昨日の読みかけを今朝0500ごろから読む。伊藤麻琴じゃなくて伊藤真の「夢をかなえる勉強法」。
内容は看板に偽りありで、いわゆる勉強法を述べているのではない。でも十分今の私にはやくにたった。最後の部分では涙が出てきた。早朝から本を読んで涙を流す32歳。私の感受性もまだまだおとろえない。
デスペア的読むポイントフレーズ。
1,3つの質問。
伊藤真が刑事弁護。初面会のときの被告からの3つの質問。
被告人<「先生の人生の目標はなんでしょうか?」
まこと答える。
被告人<「それはなぜですか?」
まこと答える。
被告人<「そうですか。そのために先生は何をされていますか?」
まこと答える。
3つの質問。私に置き換えて私もこたえてみる。
第1の質問
人生の目標かぁ、誰かを愛して幸せにするっていうのは私には無理だなぁ、なんだろうなぁ。網膜色素変性症の治療法が見つかることは願い事であって私の人生の目標ではないなぁ。なんだろうなぁ。
なかなか答えられない私デスペア。答えを出すのをあきらめて読み進める。
2,オカマの受験生との会話。
伊藤真が受験相談をうける。オカマの人からの相談。
オカマの人<「私は性同一性障害ですが、仮に司法試験に合格しても弁護士登録してもらえるのでしょうか?」
まこと答える。(まことの答えは本を買ってみてね)
オカマの人<「オカマは社会ではつまはじき。オカマショーにでるくらいしか働く場所がないのが現状だ。自分はそういう境遇の人を救いたい!!」
オカマの人の決意を読んで涙がでた。そして、私の3つの質問の答えも分かった。伊藤真は本で述べる「私が勉強で得たことは、自分が生きる意味、つまり自分のミッション(使命)について気付いたこと」。
私の3つの回答。
第1の質問「人生の目標は?」
デスペア<「視覚障害者がうける社会的不利益を、その障害者にかわって代表して、社会に抗議していき、視覚障害者が視覚障害者で生きていくことに絶望をしないですむような世の中にしたい。」
第2の質問「それはなぜ?」
デスペア<「私も網膜色素変性症という視覚障害です。私が先天的に障害をもって生まれ出て、生きている意味。生まれながらの全盲ではなく、徐々に視野が狭まり、視力が落ちていき失明するという障害者として生まれ生きていること、そして利己的な私の性格に、意味、ミッションがあるのだとすれば、自分がよりよく生きるために社会に声をあげ、私が幸せになることが、網膜色素変性症の人みんなも幸せになるってこと。逆に言えば、視覚障害者が絶望しない世の中にしていくことが、私が絶望しない唯一の方法。きわめて利己的な行動が、利他的な結果も生む。なんと幸せなことなのだろう。」
第3の質問「そのために何をしていますか?」
デスペア<「・・・・・・・・・・・」答えられない・・・・。私は何もしていないこと気付く。
伊藤真の本を読んで、私のやるべき事とやりたい事が一致したような気がする。ただそのために私は何もしていないことにも気付く。
めらめらとやる気の炎が燃え上がる。しかしそれと同時に本を読み終わりやる気と裏腹に絶望感もあたまをもたげる。朝出勤前気分が滅入る。
これじゃだめだとFC限定DVDHello days ℃-uteスペシャルのわっきゃないZの映像を見る。めーぐるのダンスと歌声に元気をもらい。今日もバスに乗り会社へ向かった私デスペア。
川v)<「デスペア!! 司法試験の勉強毎日やるんじゃなかったのかよぉーーーwwwww」
デスペア< ・・・・・・・・・(今に見てろ!!藤本美貴!!)