”てまえも もっと勘考せんなあかん” と亡父によく言われた。最近までは勧工せぇ と思い込んでいた。明治からの工業振興策を念頭に、私の脳内では勝手に勧業工業~勧工業~勧工 と聞いていた。大正生まれの父を古い人間と思っていたのだろう。白状すると勧業を確認したのは数年前!のこと。
それだけ、父は機転が利き手先も器用であった。ずっと羨ましく思ってきた。私のやり方は一生懸命やるのだが変に重すぎて、最悪とんでもない間違いを組み込んだものに仕上げていた。試験(研究)職場に在籍の頃、同僚?M井君に”またまた、〇〇さんはオーバークオリィティな物を・・・”とよく笑われたものだ。
そんな私が今手を拱いているのが、7/24カボチャ切り でも紹介した亡父が愛用した押切の修理復活。ずっと考え、勧工もとい勘考している。もう一度写真を揚げるが、台の松の木に叩きこんだと見える抑え金具が難点。台木裏側での固定法が見当もつかん。しばらくはダメだな・・・そのうち、ボルトナット留めに堕落するのかな・・・