地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



経済学でありません。疾病の間質性肺炎症状が愈々明らかに変化したことです。
1年以上も前の晩秋の頃には、外へ出て散策する元気もありました。半年前に妻が逝き、その翌月にはHOTのために予備?入院となり、以後は坂道を転がるように呼吸能が低下しております。昨年の夏ごろなら、坂道の傾斜を苦痛に思い始めて自身を傾斜度計とふざけておりました。それが、自宅の長手方向の距離20mほど を歩くのも苦痛に思うこの頃です。例えば洗濯物を外の干し場=小屋軒先 に干すことをわずかな仕”事”にしておるのですが、酸素ボンベを背負っていてもしんどく思い始めております。
 1,2年前の肺は、組織の細胞壁を酸素(空気というべき?)が通り難くなった状態と思います。ミクロ的病変と。最近の肺ではミクロ的な働きが衰え始め、補填するために肺臓周りの臓器や筋までがイロイロと働きだしたようです。マクロですな。
 酸素過給でこの状況ですから、先々が不安です。この病の終末を溺れ死ぬように との記載も眼にします。来週、息子と一緒に主治医さんに今後の事を相談します。横着者短慮な私ですから、4,5年前には最後はしっかり者の妻に観てもらえば とそればかりでした。天はよくしたものです。そんな私の人生を反省させようと、ちゃんと独りにしてくれました。


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