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ちょっと映画の『マクベス』を見てきて、色々思うことがあったので、少しシェイクスピアの『マクベス』のことについて書いてみたいと思います(^^;)
わたし、昔というか若い頃はシェイクスピアの良さって全然わからなくて……なので、『マクベス?べつに興味ねえな☆
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まず、『マクベス』のあらすじなのですが――映画のサイト様のSTORYのところから、引用させていただくことにしますねm(_ _)m
>>激烈な内戦で荒廃したスコットランド。
反乱軍の攻勢で窮地に陥った国を救ったのは、ダンカン王(デヴィッド・シューリス)への忠誠を誓うグラミスの領主マクベス(マイケル・ファスベンダー)だった。
獅子奮迅の活躍で敵将を切り捨てたマクベスと戦友のバンクォー(パディ・コンシダイン)は、おびただしい数の死体が散乱する荒野であどけない少女を連れた3人の魔女と出くわす。
魔女たちはマクベスがコーダーの領主となって出世し、スコットランド王になるだろうと告げ、さらにバンクォーの子孫が未来の王になると言い残して、忽然と霧の中に消えていった。
するとダンカン王の使者が現れ、魔女の予言通り、マクベスはコーダーの領主に任じられた。
映画のキャッチコピー(?)の言葉として『地獄に一番近い愛』という言葉が使われているのですが、クリスチャンの方が『マクベス』の映画なり舞台なり、あるいはシェイクスピアの原作を読んだりした場合――主人公のマクベスとその奥方であるマクベス夫人とは、おそらく死後地獄行きだろうな……ということが察せられるかと思います(^^;)
そして、マクベス夫妻の人生を狂わせたのが、最初に出てくる魔女三人組でした。
マクベスはわたしが原作を読む限り、直情径行型の猛将といった性格だと思うのですが、霧の中から魔女が現れて「コーダの領主になる」ということと、「スコットランドの王になる」ということを告げられ……事実、そのあとすぐにスコットランドの王ダンカンからコーダの領主として任じられると、魔女の予言が当たったことに驚くんですよね
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そして驚くと同時に、「スコットランドの王になる」という魔女の他の予言のことが気になりだし、マクベスは自分の奥方に手紙を出します。戦場では猛将である彼も、このことをどう思うかと奥方に相談するというあたり、少し気弱で優柔不断な一面を持ち合わせているようにも感じます。自分ひとりではダンカン王のことを殺害するなどという大それたことは実行できない、けれど、そうした人間らしい良心と、何がどうでも自分の野心を成し遂げたいという欲望の狭間で悩むどこにでもいるフツーの人……というのが、わたしのマクベスに対する性格分析だったでしょうか(^^;)
手紙を受け取ったマクベス夫人は、夫に魔女たちの予言どおりスコットランドの王になることを強く薦めます。そうなれば自分はスコットランドの王妃となる……マクベスは奥方に励まされて、自分の野営地でダンカン王を殺害することを決意。そして実際にこの計画を実行へ移すと、王殺害の容疑はダンカン王の息子マルコムにかかることに。
>>こうした事の次第を記したマクベスからの手紙を受け取った夫人(マリオン・コティヤール)は、幼い我が子を亡くした悲しみを振り払い、愛する夫を王位に就かせるために一計を案じる。
マクベスの領地であるインヴァネスにやってくるダンカン王を暗殺しようというのだ。インヴァネスの野営地に戻ってその恐ろしい計画を聞かされたマクベスは、「私たちの未来が今夜決まるのです」という妻の邪悪な囁きに激しく動揺する。
まもなくダンカン王がインヴァネスに到着し、盛大な祝宴が催された。勝利の美酒に酔いしれたダンカンは、諸侯が居並ぶその場で長男のマルコム王子(ジャック・レイナー)に王位を継がせると宣言する。
善良で人望の厚いダンカン王を殺害することの罪悪感に苛まれる一方、妻からは執拗に暗殺計画の実行をけしかけられマクベスの心は、まっぷたつに引き裂かれていた。そして真夜中、戦場で死亡した少年兵の亡霊に導かれるようにダンカン王が眠るテントへと忍び込んだマクベスは、敬愛する王の胸に何度も短剣を突き刺すのだった。
>>翌朝、ファイフの領主マクダフ(ショーン・ハリス)がダンカン王の血まみれ死体を発見し、野営地は大騒ぎとなった。
何食わぬ顔で現場に足を踏み入れたマクベスは、王殺害の濡れ衣を着せるために酔いつぶれていた王の従者ふたりを抹殺する。
こうしてマクベスはイングランドへ逃亡したマルコム王子と従者たちに罪をなすりつけ、新たなスコットランド王に指名された。
すべてはマクベス夫妻の思惑通りだった。
野望を叶えて王妃となった夫人はすっかりご満悦だったが、マクベスには心配の種があった。
知勇を兼ね備えた親友バンクォーの存在である。バンクォーの息子フリーアンスが未来の王になるという魔女の予言を阻止するため、マクベスは刺客を放った。
しかし刺客はバンクォーの命は奪ったもののフリーアンスを取り逃がし、その夜の晩餐会の席上でバンクォーの不気味な幻影を目の当たりにしたマクベスは錯乱状態に陥ってしまう。
なんていうかようするに、キリスト教的価値観が関わってくるのが、マクベス夫妻がダンカン王を殺害することを決意し、またそれのみならず実際に実行してしまって以降のことかなという気がします(^^;)
聖書には悪魔(サタン)とか悪霊と呼ばれる存在が出てくるわけですが、この作中の魔女たちもこの同類と考えて間違いないと思います。おそらく、マクベスの心の中にはずっとダンカン王を押し退けてスコットランドの王になりたいという野心があったのでしょう。魔女たちはその彼の野望を叶えてやるべく、まずは「コーダの領主になる」と予言したのです。
見事予言が的中し、マクベスの心は大きく揺らぎます。自分に対するもうひとつの予言である「スコットランドの王になる」という予言も当たるのではないかと思ったのですね。そしてこのことをどう思うかと奥方に手紙を書き――マクベス夫人は夫にスコットランドの王になることを強く薦めます。つまりは、機を見てダンカン王を殺害し、王位に就けということですよね
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シェイクスピアの筆の見事なところはやはり、マクベスのこともマクベス夫人のことも、温厚な王を殺害して王位を簒奪した冷酷非道な夫妻だ……といったような書き方をしていないところだと思います。マクベスは自分ひとりの考えではダンカン王を殺害することなど出来なかったでしょうし、ここで人間的な弱さを捨てるために奥さんの後押しを必要としており、またマクベス夫人も決して心が冷たいばかりの人間というわけでもないのです。
映画のほうで彼女は子供を亡くしており、また原作のほうではダンカン王に自分の父の面影を見たりもしているという、冷酷に夫に対してダンカン王殺害をそそのかす悪女――といったイメージは、わたし自身はあまり受けませんでした。どっちかっていうと、彼女も夫のマクベスと同じく人間としての弱さを持つひとりのフツーの女性といった感じがします(わたし的には、ということですけど^^;)
そしてまたここでキリスト教的価値観に戻りますと、『マクベス』とは言うなれば、どこにでもいるようなフツーの夫婦が魔の者に魅入られそそのかされ、その手を罪の血によって染めた結果、地獄へ落ちることなった……といったような物語だと思うんですよね。
そもそも、あの三人の魔女の目的はなんだったのか――キリスト教的価値観を排して見た場合、ただの魔女たちの気まぐれとしか見えないかもしれません。けれど、彼女たちにははっきりとした目的があり、そのことは書いているシェイクスピア自身もおそらく物凄くはっきり意識していたのではないかと思います。
まあ、魔女というか悪魔、悪霊が人間を惑わすのは、ひとりでも多くの人間を天国へ行かせないこと……つまりは自分たちと同じ地獄行きへとすることです。このテーマは実に現代性を持っており、今を生きるクリスチャンにもそのまま適応が可能なことですよね
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つまり、マクベス夫妻の欲望はスコットランドの王と王妃になることだったわけですが、彼らふたりは望みのものをダンカン王の血を流すことによって手に入れたにも関わらず、殺した人間の亡霊などに悩まされ、少しも心に平安のないまま、マクベス夫人は精神病になって死に、マクベスは最後、自分がその妻子を殺した貴族のマクダフに討ち取られて果てます。
悪魔、悪霊といった存在は、人間のもっとも弱い部分に働きかけて惑わせ、苦しめるわけですが、マクベス夫妻はまんまとこの魔女たちの罠にかかり、生前は悩み抜いて死へと至り、死後にもその魂は天国へ行くことも叶わない……ということになってしまったのです。
この究極の哀れさといったものは、ここのところのキリスト教的価値観に照らしてみないと理解が難しいと思うのですが、地球上のある国の王になる、王妃になるということは、地上の権力の頂点に立つことの象徴といっていいでしょう。そしてそうした人間的欲望を叶え、仮に天国へ行けないまでも、地上でだけでもこの世の栄耀栄華を味わえたなら――というのが、マクベス夫妻の望みだったのかもしれません。
ところが、マクベス夫妻はともに自分たちが血を流した人々の亡霊に悩まされ、その精神は狂気の世界へと冒されてゆきます。
>>野望を叶えて王妃となった夫人はすっかりご満悦だったが、マクベスには心配の種があった。知勇を兼ね備えた親友バンクォーの存在である。バンクォーの息子フリーアンスが未来の王になるという魔女の予言を阻止するため、マクベスは刺客を放った。しかし刺客はバンクォーの命は奪ったもののフリーアンスを取り逃がし、その夜の晩餐会の席上でバンクォーの不気味な幻影を目の当たりにしたマクベスは錯乱状態に陥ってしまう。
>>耐えがたい不安に駆られたマクベスはひとりで城を抜け出し、3人の魔女に新たな予言を請う。「マクダフに用心せよ」。マクベスはその言葉に従い、マクダフの妻子を捕らえて火あぶりにする。その常軌を逸した振る舞いは、かつてダンカン王の暗殺をそそのかしたマクベス夫人の目にも狂気の沙汰に映った。絶望した夫人はみるみるうちに衰弱して息絶え、ショックを受けたマクベスは妻の冷たい亡骸を抱きすくめる。そのとき城の外には復讐の鬼と化したマクダフとイングランドの軍勢1万人が押し寄せ、荒野は地獄のごとく真っ赤に燃え上がっていた……。
しつこいようですが、キリスト教的価値観に照らし合わせた場合、このふたりの何がいけなかったのかといえば、それはやはり悔い改めなかったことだと思うんですよね。そしてダンカン王を殺したのみならず、マクベスは彼の子孫がスコットランドの王になると魔女が予言した戦友のバンクォーとその息子の存在が気になるあまり、配下の者に彼らを殺させようとします。
この時、バンクォーは死にますが、彼の息子のフリーアンスはどうにか逃げおおせ――その後、マクベスはイングランドへ逃げた貴族のマクダフの妻子をも殺害してしまいます。マクダフが何故妻子を置いてイングランドへ行ったのかは謎の残るところですが、なんにしても彼は妻子の仇を討つためにマクベスと戦場で一騎打ちをし、最後にマクベスの首を討ち取るのでした。
そして物語の主人公とはとても思えない、この哀れな最期を遂げるまでに、マクベスは魔女たちの予言に終始翻弄されて果てるというのが……なんとも気の毒というか、わたし個人としては、すごくマクベスに共感してしまうところです
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まあ、もし『マクベス』を軽くさらっと読んだ程度だと(わたしも最初はそうでした)、「こんな馬鹿な男に共感などしてどうする?」という感じなのですが、誰か人を殺して王位に就くといったような、大それたことでなくてもいいのです。
たとえば、「三百万借金をして事業をはじめれば、その仕事は成功する」と、占い師のような人物に言われたとしたらどうでしょう?そして、その事業は自分のやりたいことであったとしたら……その人が自分が何もまだ詳しく言っていないのに、ズバリそう言い当てたのだとしたら――「よし、やってみよう!」といったようになる人は多いのではないでしょうか。
こうした<弱さ>といったものは、人間の誰しもが持っているものであり、魔女たちにはそのことがよくわかっていたと思うんですよね。自分たちがただ、「スコットランドの王になる」と言っただけで――マクベスがダンカン王を殺害することや、疑心暗鬼になって戦友のバンクォーとその息子を殺そうとするだろうこと、さらにはマクベス夫妻はもはや地上に安らぎを見出せない存在となり果て、その魂は自分たちの望みどおり、地獄行きへなるだろうということも……。
もし仮に、自分たちの思惑通りにいかなかったとしても彼女たちに損はないのです。そうなったとしたら、「チッ☆」と舌打ちして、自分たちの計画がうまくいかなかったことに対しブツクサ呟いたあと、べつの人間を惑わすためにまた出ていくという、魔女たちにはたったそれだけのことだったでしょう。
けれど、マクベスは魔女たちが腹を抱えて笑いだしたいくらい、まんまと自分たちの罠にかかってくれたのです。バンクォーの息子の殺害に失敗し、心に安らぎの得られないマクベスは、さらに彼女たちの予言を求め――(映画では)野をさまよって再び彼女たちに出会うと、「マクダフに用心せよ」という言葉と、「バーナムの森がダンシネインの丘に向かってくるまでは御身は安泰」、「女の生み落とした者にマクベスは倒せぬ」といった言葉を受けて、一旦は安心するマクベス。
この時マクベスの心は完全に神といったものから離れています。神の御心に背いたサウル王が、口寄せの霊媒女に頼ったように、ますます魔の者たちの世界へと深く落ち込んでいき、彼女たちの言葉によって安心するということに。そして魔女たちの「マクダフに用心せよ」との言葉に従って、彼の妻子を(映画では)火あぶりの刑に処します。
ところが、です。これもまた魔女たちの予言である「バーナムの森がダンシネインの丘に向かってくるまでは……」という言葉のために、マクベスはバーナムの森を焼き払ってしまいました。確かに、先に焼き払ってさえしまえば、バーナムの森がマクベスの居城のあるダンシネインの丘に向かってくることはないかもしれません(シェイクスピアの原作ほうでは、イングランド軍が森の枝葉を偽装して移動してくるという描写)。けれど、この森を燃やした炎がなんと、ダンシネインの丘に向かってやって来るではありませんか!
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そして、妻子を殺害され、復讐の鬼と化したマクダフに討ち取られることになるマクベス。魔女の予言では、「女の生み落とした者」にマクベスは殺せないはずですが、マクベスと対峙したマクダフは言います。「俺は女の腹を裂いて生まれてきたのだ!」と――ようするに、帝王切開で生まれたということだと思うのですが、この時マクベスは(原作のほうでは)自分の死を即座に悟ります。そしてこう叫ぶのでした。
「畜生!あのいかさまの鬼婆め、もう信用しないぞ、この俺をことごとに二重の罠に引っ掛け、約束は言葉どおりに守りながら、最後には、まんまと裏をかく」
「誰が膝まずいてマルコムの足をなめ、衆愚のやじを浴びるものか。たとえバーナムの森がダンシネインの城に迫ろうと、女から生まれぬ貴様を相手にしようと、さあ、これが最後の運試しだ。このとおり頼みの楯も投げすてる、打ってこい、マクダフ、途中で「待て」と弱音を吐いたら地獄落ちだぞ」
(二人は城壁の下を、右に左に斬り結ぶ。マクベス、ついに殺される)
(『マクベス』シェイクスピア作、福田恒存さん訳/新潮文庫より)
これがマクベスの最期でした。
たぶん、わたしがまだクリスチャンでなかった頃に「マクベス」を読んだり、舞台などを見たとしたら、「マクベス」の一体どころへんが偉大で傑作なのかとか、あんまりよくわからなかった気がします(^^;)
けれど、信仰生活を長く送っていると、「これこそまさに悪魔(魔女)の所業」ということがよく理解されるし、シェイクスピアは何も「だから地上にいる間、我々は神を畏れかしこまって生きようではないか!」といったような教訓話をマクベスに託したわけでもなく――『マクベス』の持つこの現代性が一度よく了解されると、マクベスって主人公としてはそんなに大して共感できるような性格でもないのに、地上でも安らぎを得られず、死後は地獄行きが定まっているということに対し、ただひたすら「わかるなあ
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繰り返しになりますが、何も誰か人を殺してその人の持つ権力を奪うといった大それたことでなくてもいいのです。人間というものは誰しも、一見正しい良心や道徳観念を持っているようでも、そこにちょっと魔の者に揺さぶりをかけられると、案外あっさりと陥落してしまうという、実に惨めな存在です。そして美しい表面の皮を一枚剥いだその下にある己の欲望を成し遂げたいという獣性があらわになる……といったことは、実際よくあることなのではないでしょうか。
なんというか、「あなたもわたしもマクベスだし、あるいはマクベス夫人になる可能性は、他の誰にでもあるのではないか」――というのが、やはりシェイクスピアの四大悲劇のひとつに数えられる『マクベス』の傑作たるゆえん、という気がします。
もちろん、クリスチャンには神さま、イエスさま、聖霊さまがいて信者のことを守ってくださるわけですが、ああした魔の者が信者を何かの形で攻撃するというのはなんら特殊なことではなく、今も日常茶飯事としてよくあることですし、彼らがそうしたわたしたちのことを攻撃する時に使う手口というのも、マクベスに使ったものとよく似ています。
つまり、神から心を離れさせるためには、この人間の弱点がどこにあるかを探り、そこをそのままズバリ攻撃することもあれば、もっと手の込んだ方法によって神さまのカバーリングから離れるよう仕向ける……ということがよくあると思うんですよね。
けれど、正しい信仰心を持つ者のことは、そうした攻撃や試みが許されても、最終的には必ず神さまが守ってくださいますし、そのためにクリスチャンと呼ばれる人々は日々祈り、聖書を読んだり教会で礼拝を守ったりもしているわけです。
このあたり、マクベス夫妻がもともとあまり信仰的な生活を送っていなかったように思われること、それが魔の者につけいる隙を与えてしまった……つまりはそういうことでもあったのではないでしょうか
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それではまた~!!
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