神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

祈りの効能。

2020年09月18日 | キリスト教
【晩鐘】ジャン=フランソワ・ミレー

 祈りの効能……なんていうタイトル自体、なんだか不信仰な気がしますが(汗)、先日、あるテレビ番組の終わりのほうを見て、ハッ☆としたことがありました。

 といっても、たまたまチャンネルを変えたら、そのテレビ番組に当たり、しかも本当に最後のほう、3分くらいのところを見た――みたいな感じだったりはするんですけど(^^;)

 ええと、大体のところ意訳するとしますとですね、この世界はわたしたちが生きて生活し、経済活動を行っているといったような表層世界と、その隣に寄り添うようにでもいいし、地下のもっと深いところに、という表現でもいいと思うのですが、<永遠普遍の真理>のような世界とがあるとします。そして、表層世界のほうで、実利第一というのか、AをBしてCすればDになる……といった法則が一度わかると、その法則性を徹底行使して、そこから儲けのようなものを絞りに絞り取る――ということをずっと続けていると、<永遠普遍の真理>の世界のようなところから、ガッと何かが伸びてきて、ある瞬間に転覆してしまうことがある、と言いますか。

 これはある意味、人間世界がはじまった時からずっと続いてきたことであり、この場合は新型コロナウイルスに関して言われたことですが、最近多い自然災害についても含めていいのではないでしょうか。

 新型コロナウイルスに関しても、自然災害についても、「何故こんなことが起きてしまったのか」と、わたしにしても本当にそう思いますし、自分や自分の周囲に大きな被害があったとすれば、「神さまがもしいるとしたら、その胸ぐらを掴んで問いただしてやりたい」と、キリスト教徒になる前だったら、とにかくひたすらにその思いしかなかったと思います。

 自分としては、偶然テレビをつけた時にこの結論部分だけを聞いて……割と理屈として納得できるところがありました。もちろん、わたしはキリスト教徒なので、マーリンさんの「すべてのことを神さまに感謝し賛美する」ことを徹底して行うことに、あらゆる人生の問題や困難を解決する鍵がある――と信じ、また実際に祈り実行する方向性で動こうとするわけですが、実際にはここまで来る方というのは、(神さまの目から見て)少ないのかもしれません。

 また、わたしがクリスチャンでなかったとしたら、哲学的な意味で、このお話にとても深く頷いていたかもしれません。その、なんと言いますか、この<永遠普遍の真理の世界>って、宗教を問いませんよね。いわゆる「神は信じていないけど、人間存在を超える大いなる存在のような存在はいると思う」といったことにも似て、人の魂は死ぬとそのような場所へ行き、その後再び生まれ変わるのだ……と言われたとすれば、「そうかもしれないな」と感じられる方もいらっしゃることでしょう。

 でも、わたしはキリスト教徒なので、この<永遠普遍の真理の世界>として一番近いものといえば、「イエス・キリストの統治されている世界」ということになると思います。とはいえ、こちらの世界のほうへは今現在、血肉にある身としては心・精神・霊・魂といったものがある短い時間行けるにしても、完全に霊だけの姿になってそちらへ行くのは死後、肉体を離れてからということになるでしょう(それか、イエスさまの再臨を待たなければならないかのいずれか、ということでよね。キリスト教的には^^;)。


 >>この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

(マタイの福音書、第24章35節)


 キリスト教では、いつか世界の終わる時がきたら、その後にイエスさまの統治される完全な世界が現れると言われています。キリスト教徒の特権は、その時、神さまの裁きといったものを一切受けることなく、その国で永遠に憩うことが出来るということですが、これは普段わたしたちが存在している表層世界が崩れ去り、その下から<永遠普遍の真理の世界>が現れ出で、そちらの世界のほうが遥かに素晴らしいので、前あった世界は不要となり、まったく失くなってしまうということなのだと思います。

 もっとも、黙示録を読んでいきますと、少しくらいは旧世界というか、以前の古い世界も残っていて、その比較によってよりイエスさまの統治される天国がいかに素晴らしいかがよりわかるということなのではないだろうか……と個人的に思ったりするのですが、こうしたキリスト教における終末的世界観というのは、「知識として」知りたい、わかりたいという方は多数おられても、「へー。キリスト教ではそーなんだねー」くらいなもので、いずれ、いつかそれが本当に現実になるだろう――と思われる方まではいらっしゃらないのではないでしょうか(^^;)


 >>古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなった。

(コリント人への手紙第二、第5章17節)


 とも聖書にはあるわけですが、新型コロナウイルスなど、今現在わたしたちが属する世界でわたしたちが支配されるあらゆる悩みや不安や苦しみといったものは、確かにいつかは「古いもの」として過ぎ去っていくのかもしれません。

 けれども、AをBしてCすれば、必ずDになって新型コロナウイルスは治る……といった明確な法則性のようなものが確立されていない現在、全世界が足元の根底あたりがグラグラし、先を見通せない不安な要素によって満たされています。でも、実はわたしたちがこんなに肉体によって縛られて、拘束されざるをえない世界というのは、実は地表数ミリのところで起きていることであって――もしかしたらその下の部分はすべて、永遠普遍の真理の世界によって構成され、満たされているかもしれないのです。

 もちろん、こういった思考法によって考えていったからといって、わたしたちが今現在属する現実世界の借金の金額が減ったり、人間関係において悩まされている人が突然転勤になったり、何かそうした具体的変化が起きるわけではありません。

 けれども、この永遠普遍の真理の世界は、表層にも出てくるものなので、その力を人間が完璧にマスターしてコントロールするということは絶対出来なくても……祈ることによって力を貸してくれたり、あるいはその方がクリスチャンでなかったとしても、その人が神さまの律法について何も知らないのに、まるで律法に沿ってでもいるかのような正しい生き様をしているということによって、ある時、ある瞬間、力を貸してくれるといったことがあるかもしれません。

 わたしは、人間存在としては、ピンで留めたアリの如き、力のない弱い存在ですが、この永遠普遍の真理の世界(わたしにとってはイエスさまのおられる世界)を知っていることによって、無限のパワーを得ています(笑)。これはあくまでたとえ話ですが、そのお陰で、自分に刺さっているピンのことを忘れたり、いつかはこの悩みや苦しみの元であるピンが外され、イエスさまのおられる天国へ行けるのだと思うと――そのこんなにもわたしを苦しめるピンのことを、感謝し賛美することさえ出来るのです。

 もっとも、神が真実本当に神であるのなら、今すぐそのピンをあなたから除き去ることも出来るはずだとの議論が必ずあるでしょう。けれども、そんなことは人間がこの世界に誕生して以来、誰しもが経験してきた、ある意味人間の誰しもが通っていく道でもあるのです。

 ですから、「自分の身に起きるすべての問題・困難について、神さまに感謝し、賛美する」と聞くと、なんだか気違いじみて聞こえるかもしれませんが、これはそうすることで結局、最悪のことが最善の結果として現れて来、そうすることで最終的にその方が平安に満たされるのにもっとも良い方策であると思います。

 神さま(永遠普遍の真理の世界)は、必ずしも「わたしたちの望んだ形」で祈りを聞いてくださるとは限りませんし、わたしたちが短期スパンで考えて、「今すぐお金持ちになりたい。今日明日にでも」と願ったにしても、神さまのお考えというのは長期スパンなので、かなり時間をかけてわたしたちを訓練し、長く労働の徒として働くということが、神さまの御心である、といった場合もあると思います。

 そして、わたし自身、イエスさまのことを信じてから、習慣として毎日のように長く祈ってきてわかったのは――問題や困難というのはないほうがいいのですが、一方、長く学んでわかったのは、問題や困難にわたしたちがいかに囲まれていようとも、その心は平安で満ちている……ということのほうが、遥かに重要だということです。

 もちろん、わたしが誰かからお金を借りていて、その返済期限が一週間後に迫っているのに、どこからもお金の入ってくるアテがないとすれば……そのことで相当悩み、朝起きてから夜眠るまで、わたしの頭の中はそうした問題・困難を中心として動いていくと思います。

 けれども、こうした時に「まずは落ち着いて、神さまに祈ろう」ということで、しっかり祈ってから、次のことに行動を移すとします。実際のところ、祈ってる間も頭の中は葛藤だらけと思います。「あそこからお金を借りれば……いや、ブラックな金融会社から借りるのはだけは絶対ダメだ」などなど、神さまに頼ろうとする一方、そうした現実的・人間的解決策が頭の中をよぎり続けることでしょう。

 でも、どうにかそうした葛藤の中でがんばって祈りきり、「そうだ。あとのことは神さまにお任せしよう」といったような心境に人が到達できた時、不思議と心がイエスさまにある平安の霊で満たされたり、あるいは突然借りた人から電話がかかってきて、返済期限を伸ばしてくれるといったような出来事が起きてくるかもしれません。

 ようするに、AをBしてCすればDになる……といった、普段わたしたちが基礎を置いている世界というのは、実は基盤が弱いのです。けれども、こうした目に見える法則性にわたしたちは支配されているのが当たり前ですし、このことを頼りにしてもいます。一方、<永遠普遍の真理の世界>の法則性というのは、人間のコントロール下に置くことが出来ないというだけで、その力は無限にして永遠です。

 現在、新型コロナウイルスによって全世界が、わたしたちが普段基盤としているものがいかに脆弱であったかに、誰もが気づきはじめています。ですから、これからは少しマインドを変えていって、「AをBしてCすればDになる」といった法則性に目を留めるより、イエスさまの支配される世界のほうに目を留めて、その永遠の礎を基礎とすることこそ、問題や困難に囲まれていてなお、人々が心に平安を保つことの出来る唯一の道ではないでしょうか。

 それではまた~!!



 

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2 コメント

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Unknown (にゃんこ)
2020-09-21 12:21:06
初めまして。
ネットサーフィンしていてこちらにたどり着きました。
昨年末に受洗してクリスチャンになりました。
仕事のことで日々葛藤はありますが、キリスト教を知らなかったら、人を憎んだりうっぷん晴らしでお酒や買い物におぼれていたかもしれませんが、今は祈りながら穏やかに生活できています。
こちらのブログはまだ一部分しか読んでいませんが、色んな箇所に親近感を持って読むことができて、応援したくてコメント入れました☆
これからも楽しみにしてます(^^)/
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Unknown (dilfinium)
2020-09-21 17:15:06
 にゃんこさん、コメントありがとうござますm(_ _)m

 わたし自身はクリスチャンとしてまったく至らない人間ですが(汗)、あちこち取捨選択していただいて(結構どうでもいいことやくだらないことを記事にしたりしてるので^^;)、何か少しでもにゃんこさんにとってプラスになることでもあれば……と思います♪

 去年、受洗されたのですね。おめでとうございます

 わたしも仕事の人間関係等で色々悩んできているので、少しくらいはにゃんこさんの気持ちがわかるところがあるような気がします。どうか、にゃんこさんの仕事上の葛藤に関する問題が解決するよう、わたしもお祈りしますね

 また、周囲の状況がどうあろうとも、にゃんこさんとともに、イエスさまの平安の霊がいつもありますように

 応援ありがとうございます♪マーリン・キャロザース先生の感謝の教えについてなど、最初特に書きたいと思っていた記事はかなり下のほうに沈んでしまってますが(汗)、にゃんこさんにとって「あ~、それわかる」みたいに感じられるところが少しでもあれば嬉しいです

 これからも、よろしくお願いします

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