【死と墓堀人】カルロス・シュヴァーベ
>>目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのし . . . 本文を読む
「祈りとは何か?」と聞かれた場合、キリスト教の教義と照らし合わせた、信仰的に立派な答えというのは色々あると思います。
ただ、自分的に感覚的な部分で思うのは――「祈りとは壊されるもの」、さらに言うなら「壊されてのち、練り上げられたものこそが本当の祈り」といったものであるような気がします。
なんと言いますか、基本的に神さまへの祈りというのは、「壊される」ことが前提になっているというのでしょ . . . 本文を読む
>>わたしが道であり、真理であり、いのちです。
(ヨハネの福音書、第14章6節)
キリスト教徒にとってそれは、イエス・キリストを信じることです。
なので、クリスチャンにとっての生きる意味やこの世の成功といったことはすべてそこに懸かってきますので、お話のほうは実はこれで終わりです(笑)
でも、同じく聖書には「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わた . . . 本文を読む
失意の胸へは
だれも踏み入ってはならない
自身が悩み苦しんだという
よほどの特権を持たずしては――
(『エミリ・ディキンスン詩集~続自然と愛と孤独と~』(中島完さん訳/国文社刊)
阪神・淡路大震災が起きた時、確かある新聞記者の方だったと思うのですが、「自分たちは何もわかっていなかった」とおっしゃっているのを、テレビで見たことがありました。
つまり、それまでにも、他の国でなら― . . . 本文を読む
(この場合はただの温泉というのとは違います・笑)
「愛と聖霊の泉」
「聖霊さまの蜂蜜シロップ漬け」
前にも大体同じようなことをテーマにして記事を書いてる気がするのですが、この世の中には今現在人類が困り果てている新型コロナウイルスのことを抜きにしても――人類の誕生した遥かなる昔より、「神さまがおられるのなら、何故こんなことが起きるのだろう」ということで地上は満ちてきました。
病気のこと . . . 本文を読む
【最後の晩餐】レオナルド・ダ・ヴィンチ
>>招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエスは、彼らにたとえを話された。
「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座に座ってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう。
. . . 本文を読む
ここのブログではないのですが、以前他のブログのほうでマーリン・キャロザース先生の感謝と賛美のことについて書いたことがありました。そのブログには「足あと機能」というのがあって、ブログを見た方が同じようにブログをやっていた場合、そちらに跳べるようになっていたんですよね
そして、その方のブログトップにあった記事を読ませていただくと――お母さんの足かどこかを車で轢いてしまうという事故を起こしたこと . . . 本文を読む