神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

コントラクト・キラー。

2025年01月08日 | キリスト教

 アキ・カウリスマキ監督の「コントラクト・キラー」という映画を見ました♪

 

 正直、最初に見終わった時には「そんなに面白くもなかったな」、「面白くなかったので、映画の内容自体すぐ忘れてしまうかも」、「ブログか何かに感想書くほどでもないような?」……と、そう思っていました(^^;)

 

 と、ところが……見終わったあと、いわゆる「ジワる」というのか、わたし的に「ジワジワくる」感じというのがありまして、それでこんなふうに感想を書くことに

 

 ええと、まずお話のほうがですね、

 

 >>ロンドンで暮らす孤独なフランス人アンリ(ジャン=ピエール・レオ)は、15年務めた職場をあっさり解雇されてしまう。絶望して自殺を図るもことごとく失敗した彼は、ギャングのアジトを訪れて自分自身の殺害を依頼する。

 死を待つアンリだったが、パブで花売りのマーガレット(マージ・クラーク)に出会って恋に落ち、生きる希望を取り戻す。しかし、殺し屋(ケネス・コリー)はすでに差し向けられていた。

 

 というのが、ウィキペディアさまにあるあらすじなのですが、もう少し詳しく説明してみたいと思いますm(_ _)m

 

 主人公の冴えない中年アンリが15年勤めたというのが、ロンドンの水道局で、「これから民営化することになったから、職員をリストラしなきゃなんないんだよね」とある日突然上司から言い渡され、それでクビを宣告されるわけです。

 

 アンリはいくつも灰色の机が並んだ部屋で事務仕事に従事しているようなのですが、お昼休みになっても、食堂のような場所ではひとりきりでぽつん☆と食事しています。隣のテーブルでは、同じ室内で同じように事務仕事をしているイギリス人たちが何人も「ワッハッハッ!!」と」笑ったりしながら、いかにも楽しそうに食事してるにも関わらず……。

 

 最初わたしこれ、「(コメディ的な意味で)フランス人だからかな」と思ったりしたのですが、どうもそうではないらしい。というのも、のちに恋人となったマーガレットに「どうしてフランスからイギリスに来たの?」と聞かれて、「みんなに嫌われたから」みたいにアンリは答えており――ようするに、フランス人だけど、フランス人と合わなかったので海を渡ってイギリスへやって来たものの、状況は同じだったということなのではないでしょうか(^^;)

 

 ここまでで映画を見ている側には、アンリが非常に真面目な仕事人間で、周囲に打ち解けない退屈でつまらない孤独な人であることが理解されています。しかも、粗末なアパートに戻ってきて植物に水をやろうとするものの、その鉢植えを落としそうになってしまったりなど、ドジで運のなさそうな男性であることもわかっている。

 

 そして、仕事をクビになって絶望したアンリは自殺しようとするものの、ホームセンターのような場所でがっしりしたロープを3メートル分購入し、穴を開けてフックをかけ、そこから首を吊ろうとするものの見事に失敗。ガス自殺しようとするものの、何故か突然ガスがぴたりと止まってしまったりと――自殺することさえうまくいかない。

 

 こうしてアンリは、ある新聞広告を見て、殺し屋に「誰か恨みのある人物を殺してもらう」のではなく、「自分を殺してくれるよう」依頼します。なんとも奇妙な依頼ですが、タイトルの「コントラクト・キラー」のコントラクトとは、書類を交わして契約するといったようなビジネス用語らしく、そこから来ているものと思われます(確かにこれは邦題として訳すのは難しいかも^^;)。

 

 けれど、あらすじにあるとおり、こののちアンリはマーガレットという真っ赤な薔薇を売っていた女性と恋に落ち、生きる希望と力を取り戻すわけです。こう書くと「ありがちで陳腐なストーリーなのでは?」と思われるかも、なんですけど……アンリは水道局の事務職員として、この15年間真面目に判で押したような生活をただひたすら繰り返してきたのだろうと思います。ゆえに、自分の住むアパートの向かいにパブがあっても、今まで入ったことすらなく、ただ窓から眺めているというそれだけだった。そしてこの時おそらく「どうせ死ぬのなら」と、ずっとその建物や輝くネオンサインなどを見ているだけだったパブへ行ってみようと考える。今までお酒ともタバコとも無縁な生活を送ってきたアンリでしたが、パブで紅茶を一杯頼むと、「うちは酒しかない」といったように言われ、この時初めてお酒を注文し、タバコをふかすことを覚えたらしい

 

 この時、アンリはマーガレットに普段の彼であれば決してしないことを強要し――「ここ(俺の隣)に座れ!!」といったように命令します。ようするにナンパというのか、連絡先を交換するんですよね。これもまた、彼が「死のう」と決心しなければ起こりえなかったことであり、マーガレットのような美しい女性に声をかけることが出来たのも、生まれて初めて口にしたお酒の力と酔った勢いがあったろうことは間違いありません。

 

 けれどその後、マーガレットとの関係が進むにつれ、「もう死にたくないな」と思ったにも関わらず、殺し屋に「あの件、もういいや」とキャンセル出来ない事態が生じます。というのも、殺し屋というか、ギャングのボスやその部下、チンピラ風情の男たちの溜まり場――のような場所までもう一度行ってみたところ、その「ホノルル・バー」とかいう場所は、そもそも何かの建物の建設予定地だったらしく、すっかり壊されて跡形もなくなっていたからなのです。

 

 自分は臆病だから、突然やって来て殺してくれ……といったように依頼したアンリでしたが、こうなるといつ何時殺し屋からグサリと刺されるか、それとも銃でズバーン!!と殺られるかわかりません。アンリはマーガレットに相談し、自分の住んでいたアパートから逃げますが、殺し屋が彼をつけ狙っていることだけは間違いありません。

 

 あらすじのところに「ブラック・コメディ」とあるとおり、どこか真面目な調子で淡々と進んでいくものの、あちこちにそれゆえにこそ漂うユーモアやコメディ要素があり、たとえば殺し屋に「自分を殺してくれ」と依頼した時なども、いかにも安っぽいチンピラといった男ふたりに挟まれ、アンリはバーで酒を奢られています。「なんで死にたいんだい?」、「人生は美しいものだぜ」といったように、この悪役面のふたりは親切に説得しようとさえしてくれますが、アンリはのちにこのふたりと再会します。

 

 それが、このふたりのチンピラが宝石店で盗みを働いている場面でのことで、アンリとしては「あの殺してくれって契約、なしにしてもらえないかな?」と、偶然見かけたふたりに話そうとしたに違いありません。ところが、宝石屋の店主が抵抗し、片方のチンピラが脅していた銃で撃ってしまったことから――アンリは彼から銃を押しつけられ、呆然とそこに立ち尽くします。店の外にはすでに騒ぎや銃声を聞きつけて人が窓のあたりに立っています。アンリもまた慌てて裏口から逃げ、ゴミ箱に銃を捨てます。

 

 結局こうなるのか、自分はなんて運がないんだ……と、おそらくは絶望したに違いないアンリ。ただこの時、アンリは殺し屋から逃げるためでしょう、途中の店で買ったサングラスをしていました。そこで、新聞のほうには防犯カメラに映ったサングラスの男の顔がでかでかと一面を飾るということに。

 

 こうしてアンリはマーガレットにも逃亡先を知らせずに逃げ、墓地のそばにあるハンバーガー屋で隠れるようにひっそり暮らしていたのでしたとはいえ、殺し屋のプロはアンリのこの隠れ場所も突き止めて追ってきます。ところが――殺し屋はガンを患っており、何度もゴホゴホと咳をしては、口許を押さえたハンカチに血が滲む……といった描写があり、殺しを請け負った金のほうを娘に渡す場面もあります

 

 もっとも、この時点では「プロとして金を貰った以上はきっちり仕事のほうはさせてもらう」といったある種の真面目ささえこの殺し屋からは感じるため……墓地の前でアンリとこの男が鉢合わせた瞬間、とりあえず見てるわたしとしては「ここまでかな」と思ったりしました。というのも、彼を追ってきたマーガレットと心も体も結ばれたアンリでしたが、それだとちょっとやっぱり「映画としちゃ話うますぎんじゃねーか?」、「北欧系やフランス映画じゃ特に、このあたりで悲劇が起きるのが定番だからな」というのがあり。。。

 

 ところがこの好感の持てる殺し屋、一度はアンリに向けた銃口をくるりと自分のほうに向け直し、それで胸を撃ち抜いてしまうのです!「この墓っていうのもようするに死の暗示なんだろ?」なんて感じられていたのですが、こうしてアンリは殺し屋の魔の手からも完全に逃げ切ります

 

 さらにこのあと、マーガレットに急かされたタクシーの運転手がアンリのことを危うく轢きそうになるのですが……ギリギリのところでこのタクシーのほうも止まる。こうして、アンリとマーガレット、愛し合うこの恋人ふたりは幸せになるのだろうという予感とともに映画のほうは終わるわけです

 

「なんだよそれー、つっまんねえの」とか、「今どき流行んないよ、そんなの」という意見ももっともかもしれません。何分わたし自身、見終わったあとはそんなふうに感じていました。ところがですね、その後「やれやれ。つまらん映画に時間を無駄に費やしてしまったわい。そろそろ寝るべか」と横になってみたところ……何かこう、突然にして胸がぽかぽか☆してきたのです。映画の色んな場面が脳裏を通りすぎてゆき、ちょっとその時考えが変わったんですよね。

 

 アンリはずっと真面目に働いてきた仕事人間だった。しかも、15年もの間同僚の中に親しい人間がいるでもなく、お昼はみんなが楽しそうに話す隣のテーブルでひとりでぽつねん☆と食事をする……そんな生活を15年も繰り返したにも関わらず、会社のほうではすぐに冷たく彼のクビを切った。「仕事をクビになった?そんなもんまた仕事を探せばいいだけの話じゃねーか」……まあ、確かにそうではあるのです。けれど、アンリの「生きる気力を失った」という気持ちも、見ている側にはわかります。そして、おそらくはあとにしてみると――いわゆる人生どん底の「どん底」部分がアンリの場合は自殺を図ろうとした前後であり、そこから彼はゆるやかにV字回復していったのではないかと思われるわけです。

 

 ゆるやかなるV字回復……このVとは、ヴィクトリーのV、そうした意味での人生のV字回復ということです(笑)。強盗の罪をなすりつけられたアンリでしたが、その後盗品を売ろうとした例の強盗ふたりは逮捕され、アンリは無罪であることが自然と証明されてもおり……墓地の真横で殺し屋に殺され、そのまま墓石の下に収まるかと思いきや、あろうことかガンを患っていた殺し屋は自分で自分の胸を撃ち抜き、アンリは奇跡的に命が助かります。さらには交通事故に遭うかと思いきや、この時もギリギリのところでタクシーは止まり、そこから愛する恋人のマーガレットが飛び出してくる――わたし、最初は「つまらない映画を見て、貴重な時間を無駄にした」とちょっとだけ思わなくもなかったものの……この時考えが変わったのです。

 

 アンリはおそらく、水道局で親しく話すような同僚もいない灰色の毎日を15年も繰り返すうち、飛行機のマイルを溜めるマイル修行僧でもあるかのように、コツコツ☆そうした運を溜め、いよいよ彼が「もうこんな人生疲れた。死のう」となった時――おそらくはその貯めた運気の良さのようなものを銀行からお金を下ろす時みたいに一気にドバッ☆と下ろしたのではないでしょうか?

 

 人生には苦労しなければならない溜めの時期と、その逆のように思われる時期とがあり、前者のほうが遥かに長く、後者のほうはほんの束の間の短い時間で終わってしまうように感じられるものです。映画の「コントラクト・キラー」には宗教的要素のようなものは一切ありませんが、それでも天使のような存在がいて、「アンリ、死んじゃダメよ」と、ギリギリのところで助けてくれた……そんなふうに思われたりもするのです。というのも、確か強盗と間違われ、アンリがハンバーガー屋に勤めていた時、そばの墓地を「なんで自分はこう運がないんだろう」とばかり見つめていると、その墓石の並ぶところに白い天使像のようなものがあったからなんですよね。

 

 もちろん、アンリとマーガレットの前にはこれからも、生活の苦労のようなものはあるに違いありません。けれど、15年も灰色の勤め人としての生活を送ってきたアンリにとって、おそらくこれから出来ないこと、耐えられないことというのはなさそうな気がします。もしそれが彼ひとりだけなら、ということなら無理だったかもしれない。けれど今は、真っ赤な薔薇の生きる情熱の源となるようなマーガレットがそばにいてくれることを思えば……きっと人生なんとかなると、そうした希望とともに映画は終わりを迎えたのではないでしょうか?

 

 というわけで、この瞬間、「あれ?わたしは今、ものすごくいい映画を見たような気がしてきたぞ」と、わたしの中で考えが変わってしまったわけです。見たのは12月29日のことでしたが、心のぽかぽか☆感は今も持続してちょっと続いています。何より、年末年始って、自分が不幸だったり気分が落ち込んでいたり鬱病だったりすると――「年が暮れるからなんだってんだ」、「年が明けたからなんだってんだ」といったような気分になりがちなものだと思います。

 

 わたしも過去にそんなふうに思っていたことがありますし、今年はたまたまそうじゃなかったというだけで、来年はどうか、再来年はどうかなど、先のことはまったくわかりません。そうした時、この「コントラクト・キラー」を見たとすれば……「なんといういい映画だろう」と感じた可能性というのは、実際のとこ結構あったと思うんですよね(^^;)

 

 そんなわけで、ネットフリックスなどには計算し尽くされたような素晴らしい作品が目白押しとは思うものの――そうした急激に体が暖房の力で暑く暖まる系の上がる映画も好きなのですが、「コントラクト・キラー」のように最初は「面白くない」、「つまらなかった」とさえ感じたのに、その後じわじわ温かくなってきて、そのじわじわ☆が長く継続する……という映画もすごくいいなあと思ったような次第であります。。。

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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