神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

物欲がないってどんなこと?

2024年12月11日 | キリスト教

【「ホホホ。ファッションセンターし○むらは、安くてセンスが良くて最高ね!!」と思っている外国人観光客】

 

 割と結構前から「ほら、オレって物欲あんまりないからさー」みたいな言葉を、時々聞くようになった気がします。

 

 これは何かわたしに腹黒い意図があるわけではなく(笑)、本当にそうしたタイプの人っているなあ……みたいな感じのお話なのです(^^;)

 

 また、「クリスマスにブランド物の時計を自分にプレゼントしようかどうか悩んでいる」と聞いた場合でも、特段「物欲の強い人だなあ」とは思いませんし、「ブランド物以外絶対身に着けない!!」という方がいたとしても、それは本当に個人の趣味や価値観によることなので、べつにいいんじゃないかと思うんですよね

 

 でもそう考えていくと、「物欲が強い」ってどういうことだろうなあって思ったり。一昔前の時代であれば、洗濯機・テレビ・冷蔵庫が三種の神器などと呼ばれ、それらの物を得るために働くことが、日本国民全員のステイタスとなることだった……みたいな時代があったって言いますよね。

 

 そしてそういう時、「お母さんに楽をさせてあげたい」と考えて、就職した息子さんなり娘さんなりがボーナスすべてを費やしてテレビをプレゼントしてくれたといったようなことがあったとしたらどうでしょうか。言うまでもなく、「物欲が強いからその人は一生懸命頑張って働いたんだろう」なんて誰も思いませんし、「ええ話や」とちょっと感動するくらいですよね、むしろ。。。

 

 割と「物欲」って、「あれがなきゃ絶対ダメだ」、「そうじゃないと自分は絶対幸せになれないんだ」……みたいな感じのことのような気がします。今、クリスマス商戦真っただ中ですけれども、クリスマスやお正月などにケーキやケ○タッキーやお寿司などが勢ぞろいしていても、特にもう誰もそんなに感動しなくなった……って言うんですよね。というのも、普段からそのくらい美味しいものは食べてるし、むしろそこにプラスアルファしてちょっと珍しくて食べたことのないような美味しいものでもないと、日本国民は「ご馳走」と呼ばなくなった……という傾向さえあるそうです。

 

 まあ、それだけ豊かになったということだと思うものの、ここはキリスト教について何か書くというブログですので、聖書をちょっと開くとしますと、物欲と言いますか、そうしたことに関しては結構厳しめのことが書いてあったりします

 

 >>しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。

 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることも出来ません。

 衣食があれば、それで満足すべきです。

 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

  金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。 ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

 

(テモテへの手紙第一、第6章6~10節)

 

 その~、なんと言いますか、現代と照らし合わせて言いますと、イエスさまに対する信仰心より、金銭欲や物欲といったものが上に来る時、イエスさまのことを中心にするのでなく金銭欲を中心とした生活に人が陥る時、やはり信仰の道から迷いでる……ということがあるのではないでしょうか。

 

 わたし自身は生活の必要のためにお金を借りたことがありましたし、中古車を購入した時にローンを組んだりしたことはありましたが、何かどうしても「これが欲しい!!」というもののために大金を費やしたことは一応なかったと思います。でも結構、あとになれば「あの時は推しのために随分費やしたなあ」ということはあり(しかもおもに漫画やアニメ・笑)、まあそんな程度の人間なので、自分が手を出したことはなくても、ギャンブルなどにお金を投資する方の気持ちは多少なりわかります。

 

 何故かというと、金銭欲や物欲って、結局「なんのループに嵌まるか」の違いくらいなものだと思うからなんですよね。わたしは推しのいる間は「推しグッズ」のためにあれもこれもと購入したことがありましたし、ネットなどで同じものが好きな人たちと「わたしも手に入れたよ~!もう最高~!!」と話したりするのが超楽しかったりしたわけです。なので、それが競馬やパチンコなど、その方にとって「脳内で快楽を生みだすループ」がありそこに嵌まってる時って、「オレはこのためにこそ生きてるんだ!!」、「そのために普段から一生懸命働いてるんだ!!」ということがあったとしたら、それは他の誰かに迷惑かけない限りは基本的に誰にもとやこう言えないことだと思うんですよね(^^;)

 

 ノンクリスチャンの方でも、「キリスト教って清貧を旨としてそうだから、金銭欲とかにも厳しそうだよね」というイメージを持たれる方は多いかもしれません。でも、ギャンブルその他、「人間のクズ」と呼ばれるところまで落ちてからイエスさまのことを信じた方もいらっしゃいますし、使徒のパウロなどは自分のことを「この世のチリ」、「あらゆるもののカス」とすら呼んでいます。果たして「クズ」と「カス」と「チリ」の三者で誰が一番偉いかという気もしますが(笑)、わたし自身も自分のことを「クズ」or「カス」or「チリ」と思いつつ日々を生きております。。。

 

 でも、イエスさまの愛は本当に偉大です社会のゴミとかクズとかチリのような存在にでさえも、他の人々が「再利用の見込みなし☆」と見捨てたとしても、神さま、イエスさまだけは決してこの世の蔑まれる誰のことをも見捨てられたりはしないのですから

 

 それではまた~!!

 

 


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