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「人間存在にとって、それはイエスさまだ!」ということで、クリスチャンの間で話は終わりになりますが(笑)、先ほどラジオで日本の子供の精神的豊かさは調査した国の中で最低ランクだ、という話が流れてきました。
確か、ユニセフ調べだったと思いますが、学校生活におけるいじめなどの問題、あるいは家庭生活における満足度の低さなどによることが原因ではないかと。また、経済的には上位国なのに、この精神的豊かさの低さはどうしたことだろう……といった話だったと思います。
個人的には、「そんなの、前からずっと言われてることじゃん
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これは割と「子供たちの抱える問題」として、あまり議題に挙げられないことのような気がするのですが、小学校に6年、中学に3年、高校に3年、計12年通うことが、一般的には「普通」とされていますが、実はこれ、全然「普通」のことではないんですよね(^^;)
もちろん、学校生活において、「一度も問題らしきものなどなかった」と答えるお子さんはいらっしゃらないでしょうし、勉強や進学の問題、友達との関係など、結構綱渡りで緊張して過ごした方もいれば、その時々で大なり小なり問題はありつつも、充実して幸せな学生時代を過ごした……という幸運な方もおられると思います。
でも、その「比較的幸運」な中に入れない方というのも統計的に見てかなりの数に上るわけで、大体義務教育、あるいは高校を卒業するまでの間に、そうした子供の多くが学校へ通うということに対し、燃え尽き症候群になっているといっていいのではないでしょうか。
とりあえずなんでもいいから学校には通わなくてはならない……という脅迫観念があるため、また、親に心配かけたくないとの思いや世間の見えないプレッシャーなどから、無理にでも学校へ行こうとするあまり、その途中でドロップアウトしちゃうか、あるいは本人が気づいていなかったとしても、力を使い果たして燃え尽き症候群になりつつ、ようやく卒業したとかって、全然珍しい話じゃないと思うんですよね。
これは、「学校で異常なまでに気を遣う」という事態があったり、あるいは家に帰ってきても「幸福でない両親の姿をいつも見ている」……という、このふたつのことって、結構高い率で存在しているのではないでしょうか。
「べつにいじめられてるわけでもなく、仲良くしてる友達もいるけど、クラス全体の立ち位置としては「こういう人間を演じなくちゃいけない」ということで気を遣う」ということがあったり、両親が離婚するかしないかというくらい、極端に不和というわけでなくても――お父さんは家に帰ってくると、晩酌しつつ会社の愚痴をこぼしてばかりいるし、お母さんはパートで働いていて、ストレス解消のために人の悪口ばかり言っているとか、こうした状態の中で「今日、学校どうだった?」なんて聞かれたら、「何かあった」なんて、本当のことを言えますか、という話(^^;)
そうですねえ。たとえば、お父さんが会社の愚痴をこぼしてなかったとしても、「俺は働いてこんなに疲れてるんだ。だからこれ以上他のことで煩わさないでくれ」という空気感を常にものっそ出しているとか、お母さんのほうでも「パートで働いてるだけなのに、こんなに色々大変なことがある」と、毎日息子や娘に話してる感じだったら――未来に希望なんて持てますか、という話でもあるんですよね。。。
自分も将来、結婚してもお父さんやお母さんみたいになるんだとか、一生懸命勉強してそれなりの会社に勤めたとしても、お父さんやお母さんみたいな感じになるとしたら、働くことにどんな意味があるのだろうとか……「いや、自分はそうはならないんだ!
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こうした中で、子供たちがユーチューバーに憧れる気持ちってすごくわかるような気がします。また、今の子たちがゲームに熱中するのも当然のことで、わたしもそうでしたが、「今自分が抱えている問題は一旦横においておいて」、ゲームしてる間はそうしたことを一時的に忘れられるという効果がゲームにはあるのですよ(^^;)
その他、子供たちが何に夢を託しているかというと……それはオンラインゲームの中の登場人物として生きるとか、異世界転生するとか、つまりはそういうことですよね。「ああ、今流行ってるよね、そういうの
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だって、現実世界ではあちこちドアが塞がっていて、それは努力なんていうことでは開いてくれない扉なのだし、そうしたら一時的にでもそうした現実逃避的世界で自分を保ったり守ったりする以外はないのですよ(^^;)
現代っ子っていうのは、いびつなもんだね、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こんなの、日本ではもっとずっと昔からそうでしたし、「その変わらない状況」がもう何十年も続いているといっていいくらいなんじゃないでしょうか。。。
それで、今はもう多くの人が気づきはじめています。「異常なまでに無理して学校へ通うよりも、そのいびつなエネルギーを健全な方向に使ったほうが絶対にいいのだ
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自分的には、ここのところがものすごく大きなポイントだと思っています。学校生活という集団生活の中でしか学べない大切なことというのもありますが、そうした集団生活の弊害としてのダメージがあんまり大きいようなら、そちらのほうは遠慮して、別の道を選んだほうが絶対にいいのです。
わたしが十代だった頃、まだフリースクールといったものも一般的ではありませんでしたし、不登校になってしまった子はその後どうしたらいいのかわからないので、とにかく親の「なんでもいいから学校行ってくれ」的圧力は、物凄く強いものでした。
でも、今はわたしの頃とは時代が変わったと思います。にも関わらず、「なんでもいいから学校行ってくれ」というのは、古い考え方なのだと、そう気づいたほうが、絶対に親子ともに幸せになれると思います。
もちろん、「そんなことでこの子はどうなるのだろう……
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仮にそうはっきり口にしなかったとしても、「なんでもいいからとにかく学校行ってくれ」的プレッシャーをかけて、自分の子供の首を真綿で絞めるようなことはしても仕方がないと思ったほうがいいのです。こうしたことは、言語化されることはないかもしれませんが、「あの時、お母さん/お父さんは俺/わたしの気持ちを理解せず、ただ真綿で首を絞めてきたよね」といったことは、子供のほうではのちのちまでも覚えています。
それがのちに「何故あの子は、ひとり暮らしする時にお金も全部出してあげたというのに、その後ろくに電話もかけてこないのだろう」といったことに繋がるのですし、こうした不幸な親子間のボタンの掛け違い的事態というのは、絶対に極めて初期のうちに摘み取っておいたほうがいいと思います。
新型コロナウイルスによって、高校野球の大会が中止になったり、その他の部活動の大会もその多くが中止になり、本当にたくさんの方が涙を流されたと思うんですよね
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日本の子供の精神的幸福度が上がるにはどうしたらいいか……それはたぶん、小学校、中学校、高校、大学と、その一本道に見える人生で、もしちょっとつまずいたりしても、すぐ横にサポートしてくるところがあるから全然大丈夫なんだよ、という安心感を持てる体制が整っていること、あとは、これは難しいことですけど、生き生きした大人がもっと増えて、大人の世界のほうでも、人生でつまずいて転んでも、社会がなんらかのセーフティネットによっていつでもすぐサポートしてくれる――といった安心感を持てる社会であることが、日本全体の幸福度が上がるために必要なことなのかな、なんて漠然と思ったりします。
新型コロナウイルスや自然災害など、絶望してしまう状況が色々許されている世の中ですが、クリスチャンというのは、この世の理(ことわり)に縛られない気違い連中なので、とにかく毎日神さまのこと、イエスさまのことしか考えていません。そして、日々、これまでイエスさまが良くしてくださったことを感謝し、今も良くしてくださり続けていることを感謝し、賛美しつつ、聖書を読むことや神さまに祈ること、礼拝することなどを生活の中心にし、それ以外の人生で起きることについては、そのあとというか、その次に考えるような感じではないでしょうか(^^;)
キリスト教徒にとっては、イエスさまなしに幸福度が上がるといったことは一切ないわけですが、それと同時に一般社会における幸福といったことも大切なので、今回はちょっとこうした記事を書いてみました、といったところです。。。
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それではまた~!!
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