ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

横浜紀行その2

2007年02月07日 23時00分59秒 | 最近の出来事

横浜と言えば、港というイメージがある。
映画やテレビでは、
たいてい港の夜景を背景に恋愛ドラマが生まれたり、
港の倉庫を舞台に犯罪が発生したりする。
それは、
港が遠い場所への出発点、
異国との接点、
物や人そして心の水際であることから、
人の感情に何かしらの刺激を与えるからだろう。
遠くへ思いを馳せるとき、
人はまなざしとともに、
心も震わせる。

港と言う漢字が、
巷(ちまた)という字に
水を表すサンズイをつけてできているのは、
港には人が集まり、
様々な思惑が交差する場所と言う意味が
きっと籠められているのだろう。

ある音響機器メーカーが、
各都道府県の音というのを選んだときに、
神奈川県の音は

「横浜港の音」

だった。

横浜港の音ってどんな音だろう。
よくドラマでは、
港の雰囲気を出すために、
あのキュ、キュ、キューと
甲高く鳴り響くサイレンのような音を
流しているが、
実際の港に今はもうそんな音は鳴り響かない。
通信機器の発達、
運航管理システムの発達にともない
消えていった情緒のひとつだろう。

宿泊先のホテルで聞いた、
横浜港の音は、
夜通し走り回る車の音と、
ビルの空調音、
眠らない人のざわめきぐらいで、
汽笛の音は聞こえてこなかった。

そんな何の音ともわからない横浜の音を打ち破るように、
遠くから鳴り響いてきた
救急車のサイレンで目覚めたのは早朝だった。
カーテンを開けると、
隣のビルとビルの間から、
うっすらと明るくなり始める空と、
そこにきらめく明けの明星、
金星が見えていた。
時刻はまだ6時前。
もう一度寝なおそうかと思ったが、
どうも昨夜から枕があわず、
首がおかしいので枕をいじっていると、
何やら廊下が騒がしい。
ドアについている覗き穴から見てみると、
ストレッチャーを押す救急隊員の姿が見えた。
同じフロアーの宿泊客が要請したのだろう。
近くの部屋から人が運び出され、
気配が遠ざかっていくのと反対に、
こちらの意識ははっきりしてきた。
もう眠気もないので、
よしと思い立ち
早朝ランで横浜見物に行くことにした。
ランニングウエアで外に出てみると、
まだ6時過ぎというのに、
もう通勤の人々が動き始めている。

まずは、
山下公園に行ってみようと港に向かって走り始めた。
その公園には20年前に横浜を訪れたときに、
確かに行った記憶はある。
当時はたしか、
その公園の前にある
ホールのようなところが用務先だったからだ。

「赤い靴はいてた女の子、
異人さんに連れられて行っちゃった」
山下公園には
この歌のモデルとなった女の子の像がある。
この子は実在の女の子で
名前は岩崎きみちゃん。
静岡から北海道開拓に向かう母親が、
娘のきみちゃんを宣教師に預けて行った。
ところが、
帰ってきたときには、
宣教師ともどもいなくなってたので、
きっと横浜港から異国の地に連れて行かれて
今頃は宣教師と幸せに暮らしてるんだろうと、
娘を偲んだ母親の心情を
推察して、野口雨情が歌った歌だといわれている。
しかし、
この話にはもう少し続きがあって、
実はこのきみちゃん、
外国に行ったわけではなく、
母親が北海道に行ってる間に胸を患い、
9歳のときに日本で亡くなっているという
悲しい話が残されている。

それを知らずに過ごした母親は、
幸せだったのだろうか、
不幸せだったのだろうか。



これがそのきみちゃんの像。

20年前、
この地を訪れた私には
こんな知識はこれっぽっちもなかった。
ただ、「赤い靴・・・」
の歌のゆかりの地なんやろうな、
ぐらいにしか考えてなかったにちがいない。
それが悪いということではない
若さとはそういうものだ。
やがて
過ぎていく年月の中で
ひとつずつ、
少しずつ、
物事が見えるようになってくる。
齢を重ねるというのは
こういうことなんだろうね。

ベンチに腰かけながら、
そんなことを考えた。

この公園からは
ベイブリッジや風力発電機、
みなとみらいの近代的な建築物を
一望できる。




しかしそんな最先端の都市景観が望まれる
この公園が、
実は、関東大震災で
大量に発生した瓦礫でできていることも
当時は知らなかったが、今の私は知っている。

自分の足元とそれを囲む景色との
間にある年月の隔たりが、
自分自身に刻まれた
年月の隔たりをいっそう増幅させた
朝の公園。
空にいっぱいカモメが舞っていた。


さらに続く・・・