さて、街道は旧草津川の
トンネル(まんぼ)の下にやってきました。
もともとこの川、
天井川で、昔から以降反乱を繰り返してきました。
そしてついにこの川を廃川にして
新たに草津川を南側に作ったそうなんです。
それは2002年のことでした。
この時代に新たな川を作る作業は
大変だっただろうなあ
と容易に想像できますね~。
ま、それでも新たな草津川は回収され、
ここの元あった川は今は
「旧草津川」といわれ、
現在整備のためにこのまんぼのところから
上がっていける道も
ふさがれたままになっていました。
トンネルの中には、
いろんな絵が描かれてあります。
まずはこの「大名行列」とつけられた絵。
そうです、この中仙道や東海道は
江戸時代、大名行列がよく通った場所なんですね。
そしてこれは街道として
人々の行き来でにぎわった様子。
あ、これが先ほどの絵を
打ち直した図ですね。
女の人が渡っているのが、
旧草津街道の橋だそうです。
そして次が、ここからもう少し
行ったところにあった「矢橋の渡」の絵です。
あの“急がば回れ”のことわざの
元になった琵琶湖の渡しの絵です。
そしてこれが、茶店の風景。
そして最後が「萩の玉川」といって、
今回通らないのですが
南草津の野路のほうにある
萩の産地で玉のような水がわく
場所のことが描かれています。
この琵琶湖のほとりの地域、
静かに夜ともなれば
きっとロマンティックな光景が
広がったんでしょうねえ。
とまあ、そんなことを考えながら、
トンネルをくぐると、
右側に高札場の跡があり、
左側に情報に明り取りの付いた
立派な道標が、すっくと立っている。
「追分道標」である。
もともと草津に来たのは、
この道標が一番見たかったからだ。
「右 東海道いせみち」
「左 中仙道美のぢ」
と書かれてある。
そうこの追分道標のあるところが、
昔からの東海道と中仙道の交差点なのだ。
最初「美のぢ」て何のことだろうと、
ずっと考えていてようやく
地域「美濃の道」であることに
やっと気づいたdoironなのであった。
浮世絵でいえば、
左にくっきりと大きく描かれている道標なのだ。
その道標の周りには、
その案内板なんかもたくさん立っていた。
いやあなかなかパワースポット的な場所でした。
実はこの交差点には、
こんなマンふたもあるそうなんですが、
残念ながら工事の影響とかで
あまりゆっくりと探すことができませんでした。
そうそうついでに言っておきますと、
草津市ではこういうマンふたもあるそうですし、
この後で登場する草津固有の植物である
「アオバナ」をかたどったマンふたもあるようです。
で、ふと道の橋を見て気づいたのが・・・
おお~なんとこの交差点の片隅に
「草津町道路元標」
が立っているではありませんか。
これはまた意外な発見です。
中仙道と東海道の交差点に
道路元標とはなかなかしゃれた配置ですねえ。
これで、年末の柏原町に続いて
doiron収集9本目の道路元標となります。
ここから旧草津川に
一度上がってみたかったのですが、
残念ながら工事のために通行止めになっていました。
さあ、ここからしばらく
この道標のところを曲がって、
東海道を少し歩いてみましょう。
相変わらず河川敷には上がることはできず、
さすがにあきらめました。
足元の草津の指標の入った
マンふたを眺めながら、
さらに東に進んでいきますと、
神宮寺というお寺にやってきます。
お寺なんですが山門に比叡山横河の
「角大師」の人形が張ってあります。
へえ~と思いつつ、続く。