ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

滋賀県草津もよいところ 5

2016年01月19日 21時09分44秒 | ウォーキング

アオバナはツユクサの変種のようなもので、
よくにた花ですが背丈も1m、
花の大きさも普通のツユクサの
6倍ほどあったりします。

この花から絞り出した水性の青い色が
友禅染の下絵として重宝され、
その花から絞り出して作る
「青花紙」は友禅染とともに栄え、
草津の人たちの暮らしを支えた
という歴史があります。



その青色も、
最近では化学合成で作られるようになりましたが、
草津独自のアオバナは
デリケートな植物ゆえに農薬も使わず、
徹底した管理の下で
今も草津市内で栽培が続けられています。



6~8月頃には青いはなが咲く用ですから
一度見に行ってみたいものです。

この施設にはほかにも当時の
「旅籠屋」の置物や
看板なんかの再現もあって、
なかなか楽しいところでありました。



お土産もなかなかいろんなものもあって、
doironはここで草津の浮世絵セット
をご購入しておきました。

では、ここを出て進んでいきましょう。

この辺りは近隣の商店も
かなり年季が入ってますねえ。
こんな時計屋さんも並んでいます。



で、ここで先ほどの「くさつ夢本陣」の
ボランティアさんが言ってた
「常善寺」に到着します。



入口には絵がかかっていて、
関ケ原の戦いに勝利した家康が
入場するシーンのようです。



いまは小さな駐車場と社殿が
ぽつんと残っているだけですが、



当時は東大寺並みのかなりの規模を
誇っていたそうです。

ここにとまった家康が
太田道灌にこの地で活躍するように
手配したとおっしゃってました。

その太田道灌の子孫がやっているお店が、
この近くにありました。
これ。





自社曰く「日本一小さな造り居酒屋」
といわれていますが、
ワインなども作られており、
しっかりと営業されているようです。

この道灌のお店あたりが、
東海道で3か所しかない
重要荷物をあらためる
「貫目改所」も設置されていたため、
草津の政所といわれていたそうです。

で、この辺りを過ぎますと
東海道道も若干静かな通りとなってきます。



小さな伯母川を渡るのが
「立木橋」でその橋のふもとに
立木神社が現れます。



ああ、ここもくさつ夢本陣の
ボランティアが言ってた神社です。



で、なぜ「立木神社」なのか、
これにはいわれがあります。

そういえば、淀川を歩いているときに、
鹿に乗った弘法大使がやってきて、
はえている木を観音さんに
刻んで作った鹿跳橋のところに
「立木観音」がありましたねえ。

ここもそんないわれがあるのかと思ったら、
全然違いました。

こちらでは、鹿にのってやってきた
「武雍槌命」が、この木を植えてみて、

「これが根付けば私は三笠山に鎮まらん」
といったそうで、
実際に植えてみたら根付いたんだそうだ。
それゆえ、この立木神社
と名付けられているそうです。

なので、狛犬がほとんど狛鹿になっていました。



そしてもう一つどうしても
探しておきたい道標がここにあります。
あの旧草津川のところにあった
道標を置くにあたって、
もともとからそこにあった旧の道標が
ここにあるそうです。

森の中にあるというので探してみたら・・・
ありました。
これです。



「みぎはたうかいどういせミち」



と刻まれてあります。
これはよくわかりますよねえ。
伊勢を通って江戸へ向かう道です。

「ひだりは中せんたうをた加みち」
と刻まれています。



「中さんたう」はわかるのですが、
この「をた加みち」はというと
山城の「愛宕山」を指しているんだそうです。

そして追分道標を置く前に、
あの追分におかれていた
この道標の建立年代は
1680年と刻まれてあり、
滋賀県名にある道標としては
最も古いものであることが分かります。

フムフムこれはすごい道標ですねえと、
あと一話続く。