公園内にはジョギングコースも作られています。
豊中にいたトライアスロン友達なんかも
こんなところを走っていたのかなあ。
こういう公園内には、
さまざまな石碑も立っています。
こんな彫刻や
市制施行OO周年の記念碑やらです。
面白いのは、もともと川であったことから、
「橋」や「樋」の記念碑なんかも多くありました。
ここが、「佐介樋跡」です。
「樋」とは、せき止めた水の出口の戸で、
水の開け閉めの水門です。
もともと水は大切な資源で、
農地が多かったころは
「水争い」という地域同士の
戦いまであったくらいです。
そんな深―い歴史を占めた「樋」の跡です。
こんな石一つでは
語り切れないような出来事があったんでしょうねえ。
ちなみに樋の跡のあるところで、
公園の外を見てみましたが、
あまり樋があったことを思わせるような
景色はなかったですねえ。
公園の中は、周りの都会と
隔絶されてなかなか快適です。
これは「六軒町橋跡」です。
この周りは、税務署などの
お役所が多く、
昔からこの橋も活躍したんでしょうねえ。
そうして「寺の上の樋跡」を通り過ぎると、
なにか橋の上に座っているところに出ました。
茨木市役所の前の橋です。
「茨木童子」と書かれています。
これは茨木市のゆるキャラでしょうか
と思ったらちょっと違っていて、
その昔、もともと茨木童子
という人がおりました。
生まれた時から歯が生えて、
母を見てニヤッと笑っただけで
母はなくなってしまい、
父もこのような形相の子は
育てられないといって
捨ててしまったそうです。
それを拾った髪結いさんが
育てたのですが、
客の血を吸いそれが癖になって
仕事を辞めさせられました。
結局、その後に酒呑童子の家来となって
京を目指したといういわゆる
「鬼」のひとりとなるのです。
むむ~ちょっとゆるキャラにしにくいな
と思っていたら、
地域の社団法人 青年会議所が
「いばらき童子」という名の
キャラを作りました。
まあこれは、もう少し見た目の
優しいキャラになっています。
その橋の市役所とは反対側に
「茨木神社」があります。
そんなに大きな神社でもないのですが、
ここには豊臣秀吉が茶の湯に使った
「黒井の清水」
という井戸があります。
昨年10月に「黒井の清水大茶会」が
開催されたそうです。
そんな公園からこんどは役所の方面の
公園に入っていきますと、
ここには「被爆石」が飾られていました。
広島市長から旧役場前の
被爆した石が送られてきたものです。
そういえば、これと同じような石が、
岸和田市の「中央公園」にあったのを
思い出しますねえ。
役所を眺める交差点のところには、
「道標」のような石がありました。
立派な道標です。
「右 茨木停車場
左 大阪 高麗橋元標四里二四丁拾間」
と書かれてあります。
いやあ、かなり表示距離が細かいですねえ。
この距離を表示するのに
何か事情があったのか
というほど細かいですねえ。
さて、道路はまだここからも、
元茨木川緑地内の公園を進みます。
その次の交差点のところに
「子育て地蔵尊」がありました。
ここの地蔵さんたちも
きれいに色が塗られています。
ふ~ん、やっぱり草津のような風習が
ここにもあるようです。
ここの地蔵さんには
もうひとつ特典があります。
それが、床下のブロック塀に、
四国八十八カ所の霊場の名前が
印刷されていて、
八十八カ所霊場巡りが
できる用になっているのです。
こんなにTOBな地蔵さん、
あ、すみません、
「とっても、お得で、便利な」
仕組みを持った地蔵さんなわけですね。
さあ、八十八カ所を回ったら、
道はここから緑地の東側へと移動しつつ、
もう一話続きます。