ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

再度茨木へ 4

2016年02月13日 21時39分09秒 | ウォーキング

さあて、地図もこのあたりでは
もう南を向いて元の方向へと
下っていきます。

この道の先にある「慧光院」
にはもうよらずに、



白衣観音の横の階段を下っていきますと、



山里の静かな道を下っていきます。



途中「慧光院」への道標も
埋まっておりました。



途中、横にあるこんなあぜ道の
ようなところに入っていきます。



道端にはホトケノザも満開です。



徐々に街の中に入っていきますと
こんな地蔵が並び、



その先にあの川端康成が
幼少時代を過ごしたという
旧跡の碑があります。



子供のころは、この家で過ごし、
庭の枕木の上で
寝っ転がったりしたそうです。

もう今はないといいますが、
その碑の前にある家の名字が
「川端」だったのにはなにか



関連があるんでしょうかねえ。

このあたりの地域は「宿久庄」といいます。

これがその「宿久庄」の公民館です。



じつはこの宿久庄から、
山のほうに上がっていく
自然道があります。



それが、「鉢伏自然歩道」と言われています。

ジダンがいってたように、
この自然歩道も道が
アスファルトになっているようで、
ネットで見ていたら
自転車で登ったりする人が多いようです。

山道を歩く人、
自転車で楽しむ人、
道標ばかりを訪ねる人
といった感じで、
最近はいろんな遊びを
ネットで公表しているようです。

まあ、いろんな遊びがあるもんですな。

道はなおかつ田舎道を進んでいきます。



この辺りはずいぶんと
耕作地も広いようです。



やがて道が豊川橋にかかったあたりで、
郡山宿本陣が近づいてきたようです。



広い道から一本中に入りますと
そこにあるのが「郡山宿本陣」です。



西国街道の京都~西宮沿いには
かつて山崎、芥川、郡山、
瀬川、小屋の五つの宿がありました。

郡山宿はその真ん中にあった宿です。

参勤交代には西国の
諸大名が利用しています。

当時、この宿の入り口には椿が咲いていて、
別名を「椿の本陣」と言われていたそうです。



建物の周りには、
まだこんな馬つなぎ環や



幕をかける金具なども
残っています。



この施設の中も見学が可能なんですが、
なんでも事前に5人以上のグループで
予約をしておかないといけないそうです。



うう~、おっさん一人には
見学できないようです。

この本陣から少し離れたところに、
道標が3本立っています。



これには
「茨木街道(右向き手形)茨木三島江 枚方道」
と刻まれています。



そしてこの小さい道標には、
右には「右 茨木停車場 /そうぢじ 道」
そして左には「左 かちをう寺 /〇西国道」
と刻まれています。

なにか道そのものも色付けされていて、
旧跡を意識しているのでしょうが、
若干取り組みの真剣さに欠けますな。

さて、doironはこの道を
右へと向かうということになります。



しばらく歩いていきますと、
道はぐい~と登り始めます。



ああ~、最後ののぼり坂でしょう。

ここから、郡山住宅の
集団地に入っていきますが、



途中思わぬ道を抜けて、
「地蔵ヶ池ジョギングコース」のほうへと
降りてゆきます。



え~っと、この道はゴルフ場の
フェンスの横を抜けて行く道であるため、
こんな看板が立っていたり、



自らの責任で通るための
こんな看板も立っています。



アスファルトもないような山道を
1キロ超走ったところで、











広い街の中に入っていきます。



さあ、ここからJR茨木駅までは、



ひたすらの歩道歩きです。



結局この日はトータル16キロを歩きました。



前回の歩行と合わせて、
2度目の茨木歩きでしたが、
今回はさすがに広いエリアを歩いて、
茨木市とはかなり親密に
なれたような気がします。

今度はいつかまた
山方面にもいかなくちゃと
決意しながら、
再度茨木へシリーズ

終わりです。