ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 聖域の鼓動 5

2016年02月29日 20時38分07秒 | ウォーキング

街の中を過ぎると、
8番の道標が立ち、



ぼちぼちと山の中に入っていきます。



ちょうど山の入り口辺りには、
滝尻よりも手前にあった村に
多くあったのと同じような
庚申さんがすえられていました。



え~っと、無事に目的地に着き
バスに間に合うようにと
お祈りしておきました。

萩往還のような石畳道をあがったり、



シイタケのホダ木になりそうな木を眺めたり、



またあるいはここにもあった
ミツバチのゴーラを眺めながら歩いていると、



一里塚にでます。



このあたりの一里塚は、
古来和歌山城を起点にして
設けられたものだそうです。

ここには9番の道路標識があるはずなんですが、
残念見落としてしまったようです。

ちょっと山の起伏が厳しくて
体を気にしてしまいましたし、
時間もなくて気持ち的に
ちょっと厳しくなっていたかもしれません。

なおかつ上っていきますと、



道の左側にある壇ケ峯への
登り口遊歩道があるそうです。



それがこれ。



木の根ギザギザの急こう配です。
その名の「遊歩道」とは
程遠い存在ですなあ。

10番の歩道を越えて登っていきますと、



道端のあちこちの石に
石積みがいくつもされています。



地蔵さんや王子の各地にも
かなりの賽銭があげられていることからも、
まあ願いをそういう形で
表現しようとする人が多いんでしょうねえ。

そんな山の中に突然現れるのが

「高原池」です。



ちょっと意外な場所にありますねえ。
むかしはここに水飲仮屋というのが
あったそうですが、
まあ山の中の池ですから、
水は結構すんでいますが、
飲むのはちょっとという感じですねえ。

そうそうこの池辺りから登場するのが、
「悪」四郎という昔の人間です。

「悪いから」悪がついているのではなく、
体が大きくて力持ちということから
そう呼ばれました。

その悪四郎が大石を投げ込んだのが
この高原池という話が残っているそうです。

道はなおも上っていきます。



そして分岐点をさらに左に登ったところの
11番道標のあるあたりが



「大門王子」です。



昔はここには熊野本宮の鳥居が立つと同時に



老松もあったそうですが、
いまはありません。



杉木立の中に、
鎌倉時代の塔婆



と立つ社殿とともに
静かな王子となっています。

ここで、押印帳にスタンプゲットです。



よくサルにスタンプが盗まれないこってすねえ。

そのさきで道はようやく下りを迎えます。
12、13の道標の辺りは





平たんな道が杉の木を縫うように
続いていきます。



それにしても、
今までの熊野古道はところどころに
もっと見どころがあって、
カメラも忙しかったのですが、
この辺りはほとんど山道の写真が続きます。

道標がなければ、
普通に山道を歩いているのと
同じような写真ばかりが続きますねえ。

ちょっと広いところに出てきました。



ここが「十丈王子」です。





この辺りは最近まで人の住む地でした。



新聞記事によりますと、
現在66歳の方が中学校卒業まで
住んでいたというこの地は、
山の稜線まで棚田が続き、
アケビや栗が生える
明るい里山だったそうです。

この地を離れ、
都会で学問を教えていたその人は、
46歳でこの地に帰郷し、
現在語部をされているそうですが、
そんな人に僕が聞きたいのは、
熊野の語りもそうですが、
もっと興味があるのが
46歳で帰京した時の彼の気持ちですねえ。

なんかそこにはきっと、
そこで生きていくことを選んだ彼の選択の
理由を聞いてみたいような気がしますねえ。

なにが彼をそうさせたのでしょうか。



十丈王子には太陽電気を持った
こんなハイテクトイレがあります。
そこで用を足し、スタンプをおして、



さああと数キロ頑張って進んでいきます。

わしわしと続く。