コースは河川敷の中を
ずっと歩いていきました。
この川から見た比叡山が素敵です。
北山大橋のところまできて
ふと思い出したのが
川の向こう側の賀茂川中学校のあたりに
あの豊臣秀吉が作ったという
「御土居」が残っていることでした。
でもここからだとかなり戻らないといけません。
残念ながら今回はその遺跡は
見逃してしまいました。
北山大橋を渡って北山駅の
ほうへと向かっていきましょう。
そして駅前から向かい側にある
京都府立植物園のほうへと入っていきましょう。
中に入ると、
若干の花が咲いているくらいでしたなあ。
おっ、水琴窟もあるようです
こうして公園内をプラプラあるいてから、
再び賀茂川の方へと出ていきました。
しかし、この公園内の散歩道には
様々な人がいましたね~。
ベンチに仲良く座っているアベック、
元気に歩いている高齢者、
走り回る子供たち、
そしてものすごいスピードで
ランニングをしている
アスリートランナーも結構いました。
このあたりの大学の陸上部
とかそんなんですね。
そんな河原の右岸、左岸を
1時間ほど歩き、葵橋のところで
次の目的地である下鴨神社へと
向かうことにしました。
この神社ももちろん、
このブログの一話目に書いたように、
上賀茂と同様に「鴨族」に起因する
神社の一つです。
ご祭神が、
賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)
で上賀茂神社祭神の祖父にあたります。
川を離れて町の中を抜けていきますと、
深そうな緑の森の入り口に到着です。
下鴨神社にある「糺(ただ)すの森」の入り口です。
ここは東京ドームの3倍の面積を持つ
下鴨神社の社叢林で、
山城の国の過去の植層を残している
として有名な森です。
神域全体が国の史跡として
指定を受けて保存されているそうです。
ではなぜ、「糺すの森」という名前なのか。
まあ、これについては
様々な説があります。
一つが「偽りを糺す」。
まあ、これは神域の森ということで
自然な命名ですね。
清水の湧き出ることから「直済」、
多多須玉依姫の神名に由来する
という説などほかにも
いろいろあるようです。
京都の神社の中でも
最も古いほうの神社ですから、
長い歴史を持つことが
そんな命名由来の多さからもわかります。
では入っていきましょう。
まず最初にあらわれるのが
「河合神社」です。
下鴨神社の摂社の一つで、
この神社の禰宜の家系として有名な
鴨族の「鴨長明」がいます。
賀茂御祖神社の神事を
統率する禰宜の鴨長継の次男
として京都で生まれた、
まあ今でいう「芸術家」
といったところの人でした。
鴨一族で有名な人をあげなさい
といったら、たいていこの人の名前が
上がるでしょうね。
彼は歌や楽器の演奏なども上手でした。
しかし、神社の奉職などには
なかなか恵まれず、
様々な機会で出世の道を絶たれています。
まあ、そういう意味では
なかなか大変な人生だったでしょうね。
その後、晩年公職を退いた後にかいた
「方丈記」が彼の名前を有名にしましたね。
最近は九州の地震が大変そうですね。
早く落ち着くことを願っていますが、
彼の書いた方丈記は、
「ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。」
の書き出しで始まっています。
そして「地震」のことや「竜巻」、
「大火事」のことなど当時の
災害時の様子が細かく記されており、
貴重な歴史資料であるとともに、
当時の様子をよく表しているそうです。
で、神社内にあるここが
この人の往時の居間ともいうべき
「方丈」を再現しているところです。
神社本殿の周りにシートが張られているのは、
昨年の下鴨神社の
式年遷宮の名残でしょうねえ。
ずらっと参拝して、
さあ下鴨神社の本殿のほうへと向かいつつ、
続きます。