ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

おーりとーり石垣島16

2019年12月24日 21時46分44秒 | ウォーキング

今日は上田から帰ってきた翌日です。
ビデオで高校駅伝を見ました。
仙台育英は強かったですねえ。
意外にメンタル面もすごく
鍛えられていましたねえ。
男女優勝おめでとうございます。

注目していた1区の石田君の走りは
とてもきれいなフォームでしたねえ。
でも他高の頑張りに負けました。
ちょっと身長がかなり伸びて
ランに影響が出てるかもねえ。
まあ、それでも今年は面白ったです。
ここで見た選手たちが
まもなくまた箱根駅伝とかにも
でてくるんでしょうねえ。
これからの楽しみです。

さあそれではまだ石垣島が
途中ですから書き続けて
行きましょう。
記事がたまりすぎて大変です。

昨日はdoironの二回目の誕生日でした。
なので今日はクリスマスイブ。

とりあえずはメリークリスマスです。

では石垣の続きです。

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米原キャンプ場の海岸線に出て
景色を楽しみました。



結構な数の若い人たちが
水着でワイワイやっていますよ。
若い女の子はあまりに過激な水着で、
カメラを向けることができませんでした。

読者の男性のみなさん、
残念ですが勘弁してください。

サンゴ礁がきれいだなあと
思っていたら無人販売で
サンゴの殻を販売していましたので、
ひとつかみ購入しておきました。

ただで持ち帰るのはあかんのです。
そんなサンゴのひとつがこんな感じ。



海の中で少しずつ固まって
こんな形になっていったんですねえ。
すごい自然の造形力を感じます。

我が家の玄関にしばらく飾っておきましょう。

ああ、ひょっとしたらこれは、
出産祝いとかにいいかもねえ。

「サンゴの肥立ちが良いように」なんてね。

南の海はほんとに青くて
天国見たいですねえ。
その米原キャンプ場の海岸の所には、
こんな今風の巨大シーサーを
作っている会社がありましたねえ。



かなりデザイン的に進んでいて、
もうなんか通常のシーザーではないですね。
こんな展示広場もありました。



う~ん沖縄独特のこういう文化も
それなりに進んで?いるんですかねえ。

その米原からしばらく行くと、
ここも以前に行ったことのある
ヤエヤマヤシの群落があります。



これは石垣島と西表島に
自生しているヤシである。

石垣では、沖縄県最高峰である
於茂登岳のふもとに生えており、
国の天然記念物になっています。



このヤシは1属1種の分類学上
固有性のあるヤシです。
那覇にも移植されたのも
育っているようで、
少しは寒冷にも強いそうです。



そうそうこのヤシは首里城の
周りにも植えられているそうですが、
あの火事でどうなったんでしょうねえ。

駐車場から200mくらい
歩いていくと群落があります。

ここです。



まわりは亜熱帯性の森で、
関西方面の山を歩いているのとでは
全然感じが異なります。



貴重な動植物も多いようで、
セミ、トカゲ、カラスバトなど
貴重なものがおり、
絶対荒らしてはなりません。



幸い周りに人はいず、
もうdoiron家は森をさまよう
高齢者夫婦になっていましたねえ。

「ああ、人生はつらいことだらけだ」
とそんなセリフが出てきそうやね
というと「全然やし」と
返ってきました。
返事がシャレになってたりします。

行って帰ってここはすぐに終わりです。

以前、ここの駐車場のトイレで
ウエットスーツを着替えている
女性がいましたねえ。

「ダイビング一緒にどうですかあ」
と声をかけてた女性はdoironと
ジダン相手に勇気ある発言を
していましたねえ。

「よっしゃ分かった」と返事したら
通報されそうです。

で、今はというと、
ウエットの着替えはここでは
できませんよと張り紙が
してありました。

さっきのキャンプ場でも
ウエット姿がウロウロしていましたから、
この辺はきっとそんな
スポットがあるんでしょうねえ。

さあそれでは次へと移っていきましょう。

このブログを読んでいるジダンが、
先日酒の席で
「一度行ったところにまた行くよなあ」
と感心してはりましたねえ。

でも今度は違います。
道を途中で山の方に曲がっていきます。



次に行こうとしているのは
石垣島の内部にあるダム湖です。



石垣島で一番大きな湖である
底原ダムです。

農業用水路として開発された
日本最大の堰堤をもつ
ロックフィルダムです。

石垣島というのは年間降水量が
とても多い島です。
でもそれはほとんどが
台風などによるもので、
水をためておく必要があり、
こんなダムが作られたのです。

1971年には200日近く
雨がふらなかった年もあったりして、
そんな時は島ですから
水の不足はとても
深刻なものになったそうです。

ダム沿いの道をくねくね
進んでいきます。



続く