コロナのせいで、
あまりあちこちをウロウロできませんが、
その堅苦しい生活にも、
実はもう一つ大きな理由もありました。
もうブログにも描いたのですが、
今の心臓について少し詳しく
調査してみましょう
ということになっていたのです。
負荷心電図で、もしかしたら
異常がみられるかもしれない
という診断でした。
その結果を受けて今月初めに
放射線を使った心筋シンチ調査
というのをやったのですが、
それもまた全く異常なし
という結果に終わりました。
あ~よかった。
これまで過ごしてきた日々は
間違いではなかったんですね。
色々と工夫をして
少しずつ運動量を増やしてきた
遊び方は正解でした。
これが原因で、病気が進行しているよ
となってたらまたまた大きく
遊び方を変えて行かないと
いけませんからね。
とてもとてもほっとしたのでした。
しかし、コロナの事もあるので、
おおっぴらには電車に乗って
遊びに行ったりするのも抵抗あります。
そこで車で出かけて行って、
それとなく街並みを歩く
というのならいいだろう
ということで、まずは和歌山の
この前歩いた北側の城や
ブラクリ丁を詳しく歩いてみるか
と出かけていくことにしたのです。
リュックではなく肩掛けカバンで、
日常生活を送っているような格好でね。
少しやるせないけど。
和歌山までは当然車で出かけます。
前回間違えて入っていった
交番横の駐車場です。
今度はスムーズに入りましたね。
平日なんですが、
コロナの騒ぎで学校が休みに
なっているので、こどもがたくさん
自転車に乗って歩道を走っています。
あ~あ、学校休みで、
のんきな子どもたちやなあ
とか思いながら、
もっとのんきなおじさんは
駐車場へと入っていくのであります。
前回はこの駐車場から、
南の方へ歩いていきましたが、
今日は北向いて歩いていきます。
すぐ北には和歌山城がありますので、
そこの岡口門から入って
ゆくことになります。
その城の入り口のあたり、
岡公園内には百軒長屋跡の
案内棒が立っています。
昔の絵図にも丁度、
そんな絵がありますねえ。
紀州名所図会にも書かれているそうです。
城跡に入っていくと大きなクスノキが
二本で出迎えてくれます。
それから池というか、
お堀の横にはいろいろと案内板が
立っていますね。
和歌山城のことが詳しく書かれています。
この城は秀吉が弟に銘じて
作ったのが最初です。
その後家康の十男である頼宣が
藩主として入国し、
回収して紀州徳川家にふさわしい
城になったといわれています。
今は城跡全体が史跡になり、
岡口門は重要文化財に、
西の丸庭園は名勝に指定されています。
その岡口門がこれです。
戦争の空襲に焼かれることもなく、
無事に残ったそうです。
立派な門ですねえ。
昔はこの門が正門だったそうです。
お邪魔いたします~と
言いつつ入っていきます。
正面に森がありますが、
そちらの方にはいかず、
右に曲がって堀に沿って
進んでいきます。
あ、和歌山のマンふたはこれですね。
紀州手毬が題材だったようです。
そして、今回城の中で見ておきたいなあ
と思っていたのが、この伏虎像です。
そうかあ和歌山城は
タイガースファンだったのかあ、
というわけではありませんよ。
この城のある山が和歌山港から見たら
虎が伏しているような形だったので、
昔から「伏虎城」とか「虎伏城」とか
言われ、それを記念して
作られたそうです。
実はこの像は有吉佐和子の
「紀ノ川」にも登場しますが、
それは初代の虎で、
銅像であったために
戦争時に供出されたそうです。
なので今ここにあるのは
二代目の虎像だそうです。
紀ノ川を読んでこの虎を前から
見たかったので良かったです。
藤波君、コロナと戦っていますか。
大丈夫かなあ。
続く