地下道を出ると、
もうすぐに目の前に広島城の
緑が目に入ってきます。
毛利輝元が太田川の河口の
三角州に気づいた平城です。
昭和20年まで城郭建設が
残存していましたが、
そうあの原爆によってすべてが
破壊されたんですね。
そういえばずっと歩いているときも、
広島はすごい復活をして
新しい建物ばかりやなあ
と思っていたのですが、
それはその通りですね。
古いお寺なんか残ってないもんね。
お堀には鯉がいっぱい泳いでいます。
この地域がもともと
己斐(こい)と言ってたのか、
それとも鯉がたくさんいたのか
わかりませんが、
広島城は「鯉城」といわれています。
球団名もそれに影響されているんですね。
門をくぐって入城していくと、
奥に護国神社が見えています。
広島県西部出身の戦死者のほか、
広島市への原子爆弾投下によって
犠牲になった勤労奉仕中の
動員学徒および女子挺身隊等など
含め約9万2千柱が祭神です。
中国地方で最もにぎわう神社で、
広島東洋カープが必勝祈願に
訪れることでも有名ですね。
見えている鳥居は
被災時にこの神社で
唯一残った建設物
なのかもしれません。
そんな護国神社を左に見ながら、
本丸の方に入ってゆきます。
これが広島城天守閣です。
もっときれいにみるとこんな感じ。
ああ歴史ある広島城に
ふさわしい映像ですねえ。
まるで、戦国時代のお殿様見たいです。
入り口のところで、
携帯温度計で体温を測っていました。
「はい、おでこを出してください」
「え~どこまでがおでこで、
どこまでから頭か
よくわからんのですけど」
といいそうになりましたが、
こらえて満開オデコ光線を
ピッと飛ばすと
「はい大丈夫です」とのこと。
「何度?」と聞くと「36度4分です」
「う~ん、適温やなあ、よしよし」
ビールを飲んだので体温が
高かったらどうしよう
というのが一瞬頭に浮かんでいたのです。
その後ミセスの体温もチェック。
「何度?」ともう一度聞くと
「35度9分です」とのこと。
「あ~あ、あんたもっと飯食わなあかんで」
といったら、体温計を持ったおねいさんが
わらい転げていました。
ああ、こんな関西ネタには
まだ汚染されていないんでしょうねえ。
お城の入館料を払いますが、
なんとミセスは65歳なので半額です。
「ウヒャー、歳をとって
初めていい思いをしたわあ」だって。
将来、高齢の証を
世間で初めて認めてもらったのが
広島城やあって、
いい思い出になりましたね。
中にはいりますと、
城の歴史や庶民の暮らしが
再現されていたりします。
あ、キャラクターも登場です。
このお城のキャラクターって
たくさんいるんです。
「しろうとくん」と
「くろうとくん」とか、
「お城博士」とか「こいこちゃん」、
「しろウサくん」とかね。
ちょっと映像はうざいので
省略します。
気になる人はホームページでどうぞ。
最近はこの「しろうニャ」君らしいです。
上に上がってゆくと
眺めがいいですね。
あの被爆から復活した広島の
景色がよく見えます。
あの資料館の写真では
広大に廃墟だった町がねえ。
ひとの力は大きいなあ。
一番上から城の構造を眺めつつ、
次の目的地である
広島拘置所の方への経路を
確認しておきます。
ここはかくれた観光スポットで、
交通量の多い道路の歩道を
進んでいくと絵が
描かれてある拘置所に差しかかります。
壁にこんな絵が描かれている。
書いたのは「入野忠芳」という画家。
広島で5歳の時に被爆している。
この人は路面電車との
接触事故で左手をなくしている。
浮世絵風に人々の姿を書いたり、
龍の絵も描いている。
もちろん赤い鯉も
しっかり描かれている。
89年に広島築上400年を記念して、
高さ2mの絵を約200mほど
書かれてある。
これを2009年に補修した後、
2010年に亡くなっているそうだ。
続く
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