ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

最寄りの阪和線3

2021年02月24日 20時50分05秒 | 生活

阪和電鉄に客を呼び込むのに
ほかにも様々な取り組みがありました。

「もみぢ狩り」「ミカン狩り」
「蛍狩り」「潮干狩り」のほか
「松茸刈り」なんかもあったようです。



飯盛山や大福山に登った時に見た
松茸山なんかはきっとその
名残なんでしょうねえ。

展示物の中にはそんなイベントの
関連パンフレットもたくさん
並べられていました。

ほかにも、紀泉アルプスなんかは
「近畿行楽の處女地」
ととらえられたりしていましたよ。



パンフレットもたくさん出ていましたね。



牛滝山、お菊山、信太山



そして浅香山と大和川なんて言う
パンフレットも出ていたそうです。

どこもこれまで何度か歩いたところなので、
当時のなかみが見てみたいですねえ。
浜寺の宣伝なんか「躍動する裸像群」



なんてタイトルで紹介されていましたよ。

あれ?このパンフレットでは
「信太山ゴルフ場」なんて
書かれていますよ。



調べたら、現在府立の青少年野外活動
センターがあるところですね。
世の中の流れに合わせて、
地域の様子もどんどん変わるんやねえ。

こうして沿線沿いの観光とかも
一緒に変わってゆきます。
それに合わせて、鉄道会社は
地域の住宅地の発展にも
大きく貢献してゆきます。

泉ヶ丘の住宅地、



泉北の住宅地なんかが
どんどん進み、駅との接続で
バスを走らせたりし、
地域はどんどん進んでいきます。

そんななかで阪和鉄道は
次の世代を迎えます。

南海本線との合併です。

設立された阪和鉄道は
10年足らずでなくなりました。
この買収に合わせて、
駅名も阪和岸和田が東岸和田になったりと
変更されるなどあちこちで
名称変更があったようです。

阪和鉄道そのものも「南海山手線」という
線路へと変わってゆきました。
当時の世の中は中国との戦争なんかもあり
どんどんと変わってゆくような
状態だったんですね。

そんな南海山手線も4年足らずで幕を下ろし、
ついに阪和鉄道は国の鉄道である
「国鉄」となりました。
国鉄阪和線というのがその名前です。

こうして阪和鉄道は今のJR経営の
線路となってゆきました。
90年という歴史は大変な長さですが、
でもまだまだあちこちに
当時の名残があるそうです。

天王寺駅にあるドーム状のホーム、



富木駅、東佐野駅、長滝駅、
和泉砂川駅なんかはそのままの
形を残したりもしています。



またその砂川には、昭和5年の



記載のあるプレートが
残っていたりするそうです。

この弥生博物館では、
様々な過去のものを展示するとともに、
テーマを4つに分けて講演会もしています。

往復はがきで申し込んで
抽選に当たれば参加できるようです。
doironは今は第3回の講演会である

「阪和電鉄の痕跡をさぐる」

に往復はがきで応募していますが、
当たればいいですね。

痕跡をいろいろ聞いて探りに行く旅を
またしてみたいなあと考えたりしています。

いまや黒潮号や関空への特急なんかも
走る阪和線なんですが、
90年の歴史の中で大きく変わってきました。

地域の状況に合わせて
どんどん変わってゆく電車。
これからもまだまだ変わってゆくのかな。

まあこちらの寿命もさほど
残っていませんから、
どこまで確認できるかわかりませんが、
あと残りの人生を
この線路をまだまだ利用して遊びに
使って行けたらなと考える
今日この頃なのです。



展示会はまだ来月いっぱい近く
やっていますよ。
駐車場もちゃんとありますので、
阪和線の歴史に興味のある方、
ぜひとも一度訪ねて見られては
どうでしょうか。

月曜日は休みで、参加費は430円となっています。

 



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