ここが曽爾高原の駐車場です。
まあ9月のこんな時期の平日ですし、
朝早いので駐車場はガラガラでした。
早速木陰部分に車をとめて
高原の方へと入っていきます。
坂道を上がっていきますと、
すすきのエリアに入ったところで
ねもとにナンバンギセルが咲いています。
葉緑素を持たず、イネ科の植物の根に
寄生する植物です。
別名「思い草」という名で、
万葉集にも歌われたりしています。
借主のすすきをも枯らして
しまうこともあるそうです。
でもさすがにすすきが
山のようにあるところですから、
何株も出ていましたねえ。
やがて目の前が大きく
広がってきます。
まだここに来たことがない人には
絶景の景色です。
目の前の山焼きした斜面が、
全部すすきの大群落です。
実はこの前にある白い看板の向こう側は
大きな池になっています。
上から見るとこんな感じです。
今は水が少ないので
池はこんな感じに見えますが、
全体がお亀のような形を
しているので「お亀池」といわれています。
下の曽爾高原ファームガーデンの
ところにあった「お亀の湯」の
語源なわけですね。
また前の山についている道が、
倶留尊山から亀山につながる
尾根道に上がっていく道ですね。
そこを歩きに進んでいきましょう。
この日、ここへ来た大きな目的は
すすき鑑賞とナンバンギセルとの
出会いだったのですが、
もう一つ探していた花があったのです。
それがサワギキョウです。
お亀池の周りを歩いていきながら
探していたのですが見つかりません。
季節が遅いのかなあと
思っていたらようやく
咲いている何輪かを見つけました。
それがこれ。
サワギキョウは毒草です。
横溝正史の小説にも
出たことがあるのですが、
花はとてもかわいいです。
緑色の湿原に鮮やかな
青色を放っています。
doironが植物に興味を持って、
サワギキョウを見たのは
ここが初めての所でした。
そんな写真を撮りつつ、
少し広い場所に出てきたので、
山に登る前にもうここで
食事にしましょう。
今日はお弁当持参なので、
あったかい味噌汁を作りましょう。
ああ、気持ちいいですねえ。
いいお天気の秋の空の下、
すすきに囲まれつつ
遠くの山々も眺めながら
お弁当をいただきます。
もうついでに食後のコーヒーまで
いただきましたよ。
ビールの無いのが残念でしたがね。
十分休憩した後で、
さあでは山の上の方へと
上がっていきましょう。
あの大きな木の下が、
お弁当を食べたところです。
左にはお亀池がありますね。
どうもあの池は火山の
噴火口跡ではないかと
いわれています。
このあたり、火山によって
作られた鎧岳や兜岳もあり
登ってみたいところが多いですね。
体調を見ながら少しずつ
チャレンジしていきましょう。
ああ、もかなり上まで来ました。
ここから倶留尊山の方に
行けばいいのですが、
じつはあちらの方は
私有地を通るので
入山料をとられるのです。
何回かは行きましたが、
今日は反対側の亀山の方へと
向かいましょう。
こちらは初めて行く方です。
こんな岩ゴロゴロの山道を
歩いていくと、知らない間に
道が下り始めます。
ああ、もうお亀山は過ぎたのですねえ。
こんな大きな階段が
延々と続きます。
遠くを見ると、最近は山の中に
あんな大きな太陽光発電
なんかも作られているんですねえ。
鳥の声を聞きながら
どんどん下っていくと、
駐車場のすぐ上のところに
降りてきます。
これにて曽爾高原の今回の旅は
終わりですねえ。
すすきもいっぱい見れた
簡単ないい山登りでした。
帰りは、行きと違って
青蓮寺ダムから名張の方へ
出て帰ります。
さあて次のすすきは
青山高原の方にでも行くかあ
と考えながら、帰途に就いた
doironだったのでした。
おしまい。
すすきは秋口の季節を表す
自然のアイテムです。
なんてことはない姿なんですが、
気に留めてしまいますねえ。
なんかとっても好きな
植物のひとつです。
絵を描き始めたころには、
公園の穂の大きいすすきを
こんな絵に描いたりしていました。
そして以前はすすき旅ということで、
毎年秋にはすすきの名所に
旅をしていたのですが、
ここんとこは止まっていましたねえ。
じゃあ、久しぶりにこの秋には、
かつて出かけたすすきの名所に
改めていってみようということで、
二か所のすすき巡りを実施しました。
今回はその一回目、
曽爾高原を訪ねていった
旅について書いてみましょう。
まだ少しすすきには早いかなあ
と思いつつも、ここだったら
気の早いすすきも咲いているだろう
ということで、9月半ばに
訪ねて行くことにしました。
一杯花の咲いたこの野原を、
さあもう花の季節も終わりだよと、
掃き清めてくれるすすきの花。
今年のdoironもいっぱい遊んだね
とサラサラ笑ってくれる
そんな姿を見せてくれるかな。
・・・車で橿原経由で山の中に
入って行きます。
ああ、この辺は先日長谷寺に
行ったコースですねえ。
そうそう大和富士もこの近く
やったなあなどと思い出しながら、
新車は気持ちよく転がっていきます。
途中の道は伊勢本街道という
昔の伊勢参りの道と重なってます。
その一角に「めだか街道」という
道になっている部分があります。
中に入っていってみると、
昔ながらの狭い街道道が続き、
ところどころでメダカが
売られたりしていますねえ。
そこから曽爾川沿いを進んでいき、
曽爾村役場を過ぎて少し行った
「太良路」という地名のところで
曽爾高原への道を登ってゆきます。
あ、「太良路」は「たろじ」と読みます。
語源はよくわかりませんねえ。
なあんか農業的な意味を
含んでいるような感じですねえ。
この辺が曽爾村の中心地あたりの
曽爾高原への登り道ですねえ。
このあたり一帯は
「室生赤目青山国定公園」に
指定されるとともに、
今は「日本で最も美しい村」の
ひとつになっているという、
きれいで静かで長閑な景色が続きます。
ここには子どもが小さいころに、
母親を連れてきたこともあったなあ。
あまりたくさんない両親との
旅行先のひとつでした。
父親がこのあたりがとても好きで、
doironも子どもの時に
電車とバスで連れてきてもらった
こともありました。
そうして何度もすすきを見に
訪れていますが、実はここには
一度泊りできて、売り物の一つである
満天の星空を眺めたり、
すごく飛ぶホタルの群落なんかも
みてみたいなあなんて思っています。
残念ながらこの日は日帰りで
訪れているんですけどね。
太良路からそんな長閑な景色の中を
5分くらい上ると
曽爾高原ファームガーデンがあります。
まあ言ってみれば道の駅のような
ところですね。
ここでは、この曽爾村の野菜などが
売られたりしていますよ。
お土産を買うんだったらここですね。
doironは「白くま部長の純米酒」
というのを買いました。
なんか名前のおかしいお酒でしたが、
少し頂いたらおいしいお酒でした。
ここには、ほかにもお米パンの
館なんかもありましたし、
メインはやはり奥の方にある温泉
「お亀の湯」です。
美人の湯で気持ちいいとのことですが、
残念ながら入ったことがありません。
まあここまできて温泉で
景色のいい中入浴するというよりは、
外の景色に気持ちが
とられてしまいますねえ。
星空観察に来たときなんかには
ちょうどいいかもしれませんね。
さあ、ではここから曽爾高原の
メインの地まではもう少しです。
一番奥には駐車場もありますので
あと10分くらいかけて
登っていきましょう。
続く
プリンターを買うべく、
電気屋さんを何軒かウロウロと
見て回り、購入品を検討
していましたが、
なかなか思うようなものに出会いません。
そして最後にある電気屋さんを
訪れたときです。
プリンター販売のコーナーの横に、
ファックス装置の展示があったので、
そこをのぞいてみました。
家庭用のプリンターに比べて
図体はでかいのですが、
見た目はなんかとても頑丈そうです。
しかもカラープリンターとしても
使えるとのこと。
もちろんA3ノビサイズまで可能です。
仕様を見てみると、
インクはやはりインクリボンですね。
う~ん、ここは少し考えどころですねえ。
インクの種類は4種類でカラー印刷が
一枚当たりインクタンクよりは
2円ほど高くなります。
でも問題は値段です。
旧機種なので安くなっています。
一台が2万円強の値段です。
店員さんに、これはファックス回線を
つながなくてもプリンターとして
使用できる?と聞いてみましたら、
「ああ、それはOKですよ」とのこと。
無線ランでプリンターとして
パソコンとつなげることも可能ですよとのこと。
へ~やはり何となくこれは
お得な感じです。
仕様を見てみてもプリンターとしての
性能も悪くはありませんし、
よく使うスキャンやコピー機の
機能もあります。
ああ、じゃあこれにしようかあ
と心の奥底で決まりました。
あとは値段の交渉です。
いくらいっても、
なかなか値が下がりません。
仕方ないのでポイントを大きくしてもらい、
そのポイントでインクリボンを
買うからということ決着が付きました。
じゃこれを買うから包んで、
と注文をしましたよ。
いくらだったかは、まあお店のこともあるので
内緒にしておきましょう。
購入したのは9月30日。
消費税が10%になる直前の
買い物でした。
これで只今不調になっている
旧プリンターと入れ替えましょう。
まあさほど急がないので、
消費税が10%になってからでも
いいでしょうと思っていたら、
さあいよいよ祭りが近づいてきて、
これまでだんじりにかかわりつつ
わが村と仲良くなってきたものが
2組おり、その家族が自治会に
入会してきたのです。
ああ、これでまた新しい名簿が
必要だといわれますので、
せっかくなのでもう
パソコンとの接続もすることにしましょう。
機械の置く位置も決めて設置しました。
大きくて重くて大変です。
ようやくこんな風に窓枠の下に
doironが作った台の上に設置です。
ファックスの付属品として
ついているCDを取り出して、
ドライバーをパソコンに
インストールしながら接続しましょう。
まずはプリンターをネットワークに接続です。
フムフムうまくいきましたよ。
ネットワークの様子を
出力していきましょう。
さあ、ではパソコンとプリンターの
つながりです。
ああして、こうしてっと・・・
あれパソコンがプリンターと
つながらないですよ。
あれ?何か間違ったかなあ。
再度挑戦しましたが、あきません。
え~じゃあもう手作業で
つなぎましょう。
パソコンのIPアドレスを
入力したりしながら
手続きは進んでいきますが、
サイズ後のところで
やはりつながりません。
もうネットワークは完成しているはずです。
こうなったら、ルーターの
不調しかないだろうというところで、
無線ルーターの電源をオンオフしてみましたら、
ああ、やっとつながったようです。
プリンターの入魂式も完了ですね。
でももう無線ルーターも古いので、
そのうちにこれも交換しないと
いけませんね。
色々と人生細かい作業も必要ですね。
とりあえずつながったので、
名簿の印刷や、撮りためてあった
お絵かきの素材なんかを
新プリンターで印刷しておきました。
まあこれで、気になっていたことは
ひとつ解決しましたね。
写真を選んで印刷もして、
さあ予定より遅れている
写真展の開催に向けて
少しづつ頑張っていきましょう。
やっとプリンターを買いました。
今まで使っていたプリンターが
どうもヘッドの調子が悪く、
画面上に何本も「筋」が走っているのです。
何とかならんかと、
クリーニング機能なんかを使い
せっせとメンテナンスしてみたのですが、
状況は変わりません。
じゃ、修理に出そうかと思ったのですが、
なにせプリンターインクを
ネットで純正品の十分の一くらいの
値段で買っているので、
これはもう保証期間も何も
ご和算になっていますから、
結構な費用が掛かるのでしょう。
何とかならんかと、ほかにも
いろいろと試してみたのですが、
やはり具合がよくなることはありません。
まあ自分の文章用には行けるだろうけど、
いま始めようと思っている
写真や絵の展示会用には
残念ながら使えない状況です。
しかも、地元自治会では会計と
会員名簿の管理をやっており、
新規の会員さんの名前をいれた
名簿なんかも会長さんから
要望されまくっています。
これはもういけませんね。
新たなプリンターを買わなくてはなりません。
いっそ自治会費で買ってやるか・・
なんていけませんね。
そこで消費税が上がる前に
購入しましょうと、9月の中旬位から
近所の電気屋さんでいろいろと
物色を始めていました。
メーカーはやはりエプソンかなあ。
絵のスキャンなんかも
これまでエプソンでやってるから、
内容的にはよく知っているしなあ。
まずそのメーカーで探してみましょう。
じゃあ次に何を検討かというと、
大体プリンターってインク代金が
大変なのです。
純正インクを買うと4~5千円もするので、
3回くらいインク交換すると
プリンターそのものが
買えるような金額になってくるのです。
まあそんな声が多いと見えて、
最近はカラープリントすると
1枚いくらくらいというような
指標が展示品のところに
書かれてあることが多いですね。
そんな表示を見ていると、
最近は「インクタンク」というような
製品が出されており、
一枚当たりの単価が非常に安いものも出ています。
これでプリントの大きさが
希望のものを選んでみるのも
いいかもしれません。
そのプリントの大きさというのが
「A3ノビ」サイズのものです。
そのサイズというのは、A3サイズの
原稿を作るときに周りに
トンボなどを入れるサイズが
加えられているものです。
A3よりも一回り大きいものです。
この手のサイズが印刷できるものとなると、
個人的には今まで持っていませんでした。
昔、A3サイズの印刷物の作成をするときには、
仕事場では使っていましたね。
このサイズだと、展示する写真も
いいものが出来そうな気がしますねえ。
でもねえ、これくらいの家庭用プリンター
を選ぼうとすると、こんどは
値段が気になります。
安いやつでも5万円以上はしますねえ。
まあ、そもそもインクタンク
じゃないやつでも3万円以上はするようです。
脳梗塞になる前のように、
さあこれから新聞だけじゃなくて
雑誌関連の仕事もするぞ~
なんて思いこんでいたころだったら
買ってたかもしれません。
マックのパソコンも買って、
イラストレーターで記事作成を
していたかもしれませんね。
でもまあ今はもうそんな野望もなく、
自分の満足のためという理由が
ほとんどですから、なかなか
これくらいの高い値段を出して
プリンター購入というのも
贅沢すぎるって感じですねえ。
さあてどうするかと悩み始めました。
そしてまた別の電気屋さんにも
いってみました。
もう頭の中はA3印刷のできるやつが
いいなあという思いでいっぱいです。
プリンターをずらっと見て回って
「だいたいどこの店も同じ値段やなあ」
と思ったそのときです。
その展示の少し先の方で
思わぬ出会いがありました。
続く
昨年の春先に、神戸の歩く大会の中で
神戸からポーアイを歩いて、
動物王国をゴールにして歩く
大会に参加したことがある。
参加費は無料で入館料が
当時1500円(今は1800円)の
中に入れるからたいしたものであった。
中にはアリクイやゾウガメ、
カピバラなんかも歩き放題だったな。
そんなことを含めて、この横を通って
この前神戸空港に行ったことを
ミセスに言ってたものだから、
またそこへ連れていけと
あらためて言われていた。
動物王国と言っても、
今のところに住んでいたら
犬や猫やイタチ、野鳥なんかも
多いでとか言ってる冗談も
通じないほど連れていけというので、
先日ついに出かけていったのだ。
車で現地まで行くのだが、
帰りはビールを飲むので
軽自動車で行くことにした。
こんな条件を付けているdoironでした。
うひひひ~
湾岸線からハーバーハイウェイに入って
ここには結構簡単に到着する。
動物王国の場所はもう
しっかり心得ているので、
駐車場へ一直線。
すぐに入り口に到着だ。
新車になってから強制的に
入っているJAFの割引を受けて
1600円での入館となる。
これまで各地に出かけてきた中で
JAFの割引というのは結構あったな。
団体の中で持ってる人がいたら
安くしてもらえたもんな。
せっかくもたされた会員証なので
ちゃんと活用しておきましょう。
でもまあ後、数年したら
シルバー割引も使えるようになるけどね。
中に入っていくと、
さっそくこんなかわいい小動物が・・・
隣でお母さんが小さい子供に
「可愛いねえ」とか言ってますが、
自然の中で出会ったら
警戒しないといけませんね。
スカンクです。
そしてこれがアライグマ。
これも可愛く見えて共謀なんですねえ。
そしてこれが迫力ありましたねえ。
オオカミです。
狂暴そうな顔をして、
広い野原の中を走り回っていましたね。
でも前のように地面を
アリクイが歩いていたり
ゾウガメがたたずんでいたり
していることはなかったですねえ。
時間制なのかな?
それとも動物のストレスとか考えて
廃止にしたのかもしれませんね。
目の前の木の上に止まっている
レッサーパンダとかを見ながら、
鳥が飛び交う温室の方に向かいましょう。
ここが「バードパフォーマンスショー」の会場です。
どんなパフォーマンスかというと、
係の人からもう一方の係の人へと
鳥が飛んでいくだけなんですが、
意外と観客席のそばを飛んでいきますので、
パサパサという鳥の羽の音が迫力です。
これが鷲のような鳥で、
こんなインコのようなのも飛んでいました。
ミセスは大喜びでしたね。
「お客さんの中で飛んでくる鳥を
受け取りたい方はいませんか?」
という呼びかけがあったので、
一番に「は~い」と手を挙げたのですが、
結局選ばれたのは若い女性でした。
ああ、どうせそうですよ。
鶏が嫌がりますよねえ。
こんなおっさんなら。フン
と引き下がりましたぜ。
くやじい。
ミセスにあとで、
「あんたが一番先に手をあげると
思ったけど、やっぱり見た目の
いい人が選ばれるよねえ」
といわれてしまいましたね。
よーし、そしたら今度は近くを
飛んでくるインコを捕まえてやる。
なんて言ってたら、
周りの客ににらまれてしまいました。
「じょ、冗談やて」
あとでいじけてペンギンと
遊んでおきました。
ミセスはウサギと遊んでいます。
食事は、こんなちょっと変わった
やまねこ米などを使った
ハヤシライスをいただき、
その後羊を追い回す牧場犬の
シューも見ましたよ。
しっかり働く犬もいるんですねえ。
それらを見て、とっても楽しみました。
おかげでミセスは大満足でしたが、
手を挙げたのに無視された
いじけたおっさんのショーも
面白かったと喜んでおり、
世間に馬鹿をさらして
ちゃんと嫁孝行を果たした
doironなのでありました。
今年の祭りも無事に終わりました。
まあ、祭りはヤイヤイと
うるさくて楽しいんですけど、
けがや事故の無いのが一番ですねえ。
あちらこちらで結構な事故があり、
それを動画で送ってきたりするんで
はらはらしながら見ています。
だんじりはそんな厳しい祭りなんですが、
自然の猛威には勝てませんね。
やってきた台風19号のおかげで
初日の祭りはすべて中止となりました。
おかげで年寄り連中は
一日村の中でのんびりしましたね。
詰め所に行くと生ビールの
サーバーがあるので、
そこで持ち込んできたおでんや
乾き物のおつまみをつまみながら
ワイワイとやったり、
マージャンをやったりしながら
過ごしましたよ。
またdoironの孫一家も
大阪に来ており、
孫の爽ちゃんともしっかりと遊びました。
これがねえ1歳と3か月で歩き始めでねえ。
手を持っていると家じゅう
走るような感じで歩きまわります。
アスリートにならんかねえ。
こちらの顔を見て何か言ってるのですが、
まだ内容は伝わりません。
合間にこぼれる笑顔が
たまらなく可愛いです。
そして一日が過ぎて台風一過。
二日目の祭りは予定通り始まりました。
この日は朝の宮入りからです。
だんじりが7台我が神社に
集まるのですが、孫の爽ちゃんも
大騒ぎでした。
で、doironはというと
スーツの上にかみしもを付けて
鳥居の前で各町のだんじりの迎え入れです。
これは二回目の宮入り仕事やなあ。
まだちょっと雰囲気にはなれません。
そして午後は近隣8町の
パレードなんですが、
これがもう交差点警備の仕事に専念します。
もう祭りに関するすべての役を
終えたので、あら還のおじさんたちは
地味な警備に回るのです。
まあこの警備の交差点では
何事も起こらず無事に終わりましたね。
警備のおっちゃんのところに
だんじりが突っ込みかけて、
草むらにタッチダウンしたくらいかな。
笑いのネタになっていました。
だんじりに提灯を付けて、
夜間に行う曳行も警備棒を持って
車の警備となります。
だんじりの前や後ろを
プラプラと歩きまわり警備します。
時折さしいれられるビールで
乾杯しながらね。
そういえば、祭り以降になった
脳梗塞も、丁度3年になります。
ビールを飲んでるからと言って
水分補給にはなりませんね。
今年は飲んだアルコールの量と
同じ量の水分を絶対取るように
自分に課せていましたので、
まあ今のところ大丈夫ですね。
実は今回の祭りではこの後の
すべての曳行が終わってから、
doiron最大の仕事がありました。
それが自町フィナーレの司会です。
自治会長のあいさつ、
各団体の長への花束贈呈、
総括責任者の乾杯のフィナーレを
誘導していきましたよ。
自治会長さんがまじめな人なので、
司会は笑いをとらずに
厳かに行いましたが、
あとで「笑いをとらなあ」と
非難されましたがね。
あのまじめな挨拶の前に
それは無理やろ、なんて言って
笑い合いました。
みんなから司会ご苦労さん、
ご苦労さんとビールが注がれ、
かなり飲んじゃいましたねえ。
水分もとっているので
おなかはちゃぷちゃぷ。
おかげでカロリーはかなり抑えられ、
祭り後に行ったジムでは
体重が減っていましたね。
今年の祭りは、いつも以上に
花寄せに熱心で、昨年赤字となった
10数万円も今年はクリアーできました。
お金もなくて、今年を最後に
だんじり曳行をやめる街も
出てきたようですが、
まあ、これも今の時代
仕方ないですね。
我が町も先行きを考えると
不安になりますが
出来る限り頑張っていかなくては
とみんな一丸となっています。
しかも神社のある町だから
祭りはなんともやめられないしね。
まあとりあえず今年は
うまいこと行き、ほっと一息。
孫とも存分に遊べた
今年もいい祭りでありました。
来年も頑張ろう~。
墓から石段を下りて、
下の受付のところに行けば
ちょうど予告通りの30分でした。
これで、今日の墓参りコースは終わりです。
ここからは、ちょっと気になる
神社なんかを通って
京都駅の方に戻っていくことにしましょう。
豊国廟を出て、女子大学の横の
狭い道を抜けていきます。
あ、妄想はいけませんよ。
ここで女子大生との熱い秋の出会いが・・・
なんて考えるのも犯罪ですからね。
そういう陰謀を抱いてはなりません。
地図を見ながら住宅地の中を
ウロウロ進んでいきますと
「剣神社」というところに出ます。
ここは剣を埋めたというくらいしか
はっきりした創基はわかりません。
今ではこの今熊野地区の産土神として、
子どもの護身・疳の虫封じ
としてまつらわれています。
剣から太刀魚をへて、
トビウオの絵馬が奉納されています。
「新しい仕事で、トビウオのように
飛びまくれますように」
とジダンはきっとお祈りしていたのでしょう。
doironもトビウオのように
自由に遊べますようにと
お祈りしておきました。
ここにはなで石という石もありました。
ジダンも触っています。
doironも触って、毛が増えますように、
ではなく脳が元気でいますように、
とお祈りすると同時に
心臓も元気でありますように、
数値の少し高い肝機能も良くなりますように、
手の湿疹がよくなりますように、
虫歯が治りますように、
痛風が出ませんように
とからだ中触りまくってきましたよ。
よかったよかった、これでまた
遊ぶ時間が増えていくはずです。
そこから西向いて東大路通の方に
降りてゆきます。
最初の地図ではこのまま左の方に
行くはずだったのですが、
あれ?なんかこの道に記憶がありますよ。
そうか昨年の秋に三十三間堂に
行った時に東福寺方面から
下っていった道です。
ということはこの先に
新熊野神社があり大楠があるはずです。
行ってみましょう。
しばらく歩くと、おお~ありました。
これが後白河上皇が
お手植えの熊野産の大楠です。
樹形がとても力強いですねえ。
境内には、落ちた枝で作った
さすり木がありましたよ。
ここでもいろいろと触っていきましょう。
ああ、こうして参ることで
人々って自分の体の弱い所を
自覚していくからいいんでしょうねえ。
中に入っていくと、
クスノキの周りを回れるように
なっています。
手に触れると何か力を感じますねえ。
「何か面白いことが言えますように」
とお祈りする人もいるんでしょうねえ。
いやあ、これはdoironの
素晴らしい記憶力で
いいものを見ました。
っていうかまだここへ来てから
一年たってないんですけどね。
このまま鴨川に出て、
京都駅の方へと向かって行きました。
最後の仕上げはいつものように
王将でビールです。
京都駅近くの王将に行きました。
さすがに京都は景観も重視され、
王将もこんなにおとなしい
王将になっていましたよ。
時刻はもう昼飯というには
遅い時間なんですが、
結構いっぱいです。
ソファに座って待っていましたが、
なかなかお呼びがかかりません。
二階の様子を見たら
ガラ好きなのにどうして?
これも秀吉の陰謀か?
割引券を持ってる上得意さんを
こんなにまたしてもいいのかと、
怒りが込みあがってきます。
とりあえず二階にいくでと
上がって行き、無理やり
席に座りました。
はあ~やっと落ち着きました。
餃子と麻婆豆腐と鶏料理なんかで
ビールを飲んでいきます。
はあ落ち着いたあと
慌てて飲んだものですから
doironのおなかの調子が悪くなりました。
電車で休憩しつつ
頑張って帰って
第11回ドジ旅はなんとか終了です。
秀吉の陰謀に勝てたでしょうか。
彼の辞世の句を示しておきましょう。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことも 夢のまた夢」
少し悲しい句ですね。
新しい仕事に就いたジダンも
こんな句の気持ちになったかなあ。
この後ジダンは新しい仕事に就くために、
次回いつになるかは
未定となりますが、
ドジ旅のことも夢のまた夢に
ならないように、
ぜひ機会を見つけて
続けて行けたらなあと思いつつ、
完了です。
ありがとうございました。
でも江戸時代は秀吉を
信仰することは妨げられていた
ようですがひそかに祀る
人々は集まっていたようです。
この神社の奥にはとても立派な
スダジイが生えています。
樹齢は500~800年なので
江戸時代にはもう生えていました。
秀吉の信者はその木の下に
集まっていたらしく、
秀吉の名前が
「木下藤吉郎」だったことから
「木の下」に集まったようです。
そしてさらに彼は昔
「日吉丸」と呼ばれていたことからも
神社名と関連しているようですし、
狛犬ではなく狛猿が
置かれてあるというのも
「猿」と呼ばれていたことからも
関連があるようです。
このもと社という社もありました。
ここも木下という名前と符合しています。
秀吉の陰謀とそれを取り巻く人々の
思惑が、どこかで一致している
というような、ここは
そんな神社でした。
この神社を出たらさらに
東向いて進んでいきましょう。
京都女子大学なんかの横を
通っていきます。
そこにあるバス停なんかは
女子大学生でいっぱいです。
ネットを見てみても、
いつも女子大学生に会える
心弾む道です、なんて
書かれてありましたよ。
ま、そんなわけですから
ジダンと一緒に歩いていると
二人にサインを求められないかと
かなり気を遣う道路なわけであります。
このコースの先端が豊国廟、
すなわち豊臣秀吉の墓というわけです。
高野山にもありましたねえ。
いくつか各地に墓はあるようです。
でもまあここが秀吉の墓地の
総本山ですな。
どうも彼の遺言で、この阿弥陀が峯の
てっぺんに埋めてほしい
といっていたようです。
森の中に入っていくと、
墓の入り口があります。
「今日は秀吉の命日ですよ」
という案内がありました。
なんかそんなイベントも
行われていたようですね。
「山頂の墓まで行きますか?」
という質問だったので「はい。」と
答えておきました。
「時間で30分ほどかかりますよ」
と言ってきます。
そうここには500段をこえる
階段が設置されているのです。
秀吉墓、階段登り競争なんて
ありませんわな。
まあdoironは涸沢から帰ってきたばかりだし、
ジダンも山行きの日々を
過ごしているわけですから
登れないわけはないでしょう。
ではその階段登りに
取り掛かって行きましょう。
スタスタ、スタスタ。
なんか歩きやすいなあと思ったら
階段がうまい具合の配置になっています。
わりとスムースに登っていけます。
どわーと登っていきますと、
うまい具合に休憩所があって、
またそこから階段が続いていきます。
とちゅう、Tシャツを着た男性が
階段に座り込んでましたね。
むむ、もしかしてこの階段は
もっと先があって、もっときついのか
と思ってしまいましたが、
やがてすぐに階段の上に
大きな五輪塔の墓が見えてきました。
いや待てよ。
もしかしたらそういう甘い考えは
秀吉の陰謀かもしれないぞ。
ここが中間地点で、
この先に・・・とか考えているうちに
到着しました。
やはりその五輪塔がお墓のようですね。
昔からこれが立っているのか
とおもいきや、これは明治8年に
後の世の人が建てたんだそうです。
その工事の際に、素焼きの壺に入った
秀吉の意外と思われるものが
見つかったそうですが、
白日にさらされるという陰謀に合わずに、
丁寧に埋葬されたそうです。
この五輪塔の近くに、
孫の国松の墓もあるそうです。
彼は8歳という身の上で、
家康により京都市内引き回しの上
斬首されたという
かわいそうなお孫さんです。
家康の陰謀は情け容赦ないですねえ。
さあではお墓参りをして帰りましょう。
帰りに階段を見たら
先ほどの座り込んでた
Tシャツのおじさんが
さらに上に座っています。
ああ、秀吉の陰謀の圧力を受けて
へとへとになって下っている
のではなく、上る途中の
休憩だったのですねえ。
う~ん、辛そうでしたな。
続く
巫女たちの後ろでその行方を見ていると、
どうも本殿の前に入っていくようです。
ああこれは必ず何か神事があるのでしょう。
拝所のあたりで少し
うかがっていたのですが、
ただ座っている姿が
見えるだけで何も始まりません。
すると、doironの傍らから
茶々様によく似たような美人が
話しかけてきます。
「11時から命日の例祭が行われるようですよ」
とのことです。
「ははあそうですかあ。」と承っておきました。
でも11時までにはまだ
20分以上あります。
例祭の様子はネットで伺いましょうと諦め、
茶々様にも「大儀であった」と
さよならを言って
次に進んでいく我々なのでありました。
次は「方広寺」です。
ここは秀頼が大仏を再建するとともに
鐘楼も作りお披露目しようとしたところです。
確かにでかい鐘です。
doironがこれまで見かけた中でも
最大級の大きさの鐘です。
これを秀頼はお披露目しようとしたわけですが、
実は家康の陰謀がここにはあったのです。
鐘に刻まれた文字の中に
「国家安康」と「君臣豊楽」
という部分があったのです。
家康という言葉を切り刻み
豊臣という言葉を讃えたような表現です。
これに家康が難癖をつけ、
大仏開眼を遅らせたという事件がありました。
鐘のこの部分に文字が刻まれています。
その後この対立は深まり、
大坂冬の陣へとつながっていった
ということです。
ああ、家康の陰謀もなかなかのものですな。
そんな現場を目撃した我々でした。
では移動していきましょう。
方広寺の裏手の方に出ていきますと、
そこに方広寺の大仏殿跡があります。
この大仏殿は秀吉が建てたのですが
大地震で大破してしまいました。
そして今度は秀頼が立て替えたのですが、
先程の梵鐘の事件で大坂冬の陣が起こり、
豊臣氏が滅亡してしまいます。
しかし大仏は残っていたので、
奈良の大仏殿をしのぐ壮大な
お堂にのこっていた大仏は
「京都の大仏っつあん」と
親しまれていたようですが、
それも1798年の落雷で
壊滅してしまいました。
豊臣の陰謀、徳川の陰謀が
渦巻く大仏も大自然の力の中では
見事に砕け散ってしまったのです。
ここはちょうど豊国神社の真裏手です。
神社の方からは音楽が聞こえ始めました。
秀吉の縁日に伴う奉納が
始まっているようです。
大仏殿跡から少しまちなかを
進んでいきますと、今度は
妙法院門跡という施設に出ていきます。
門跡というのは皇族・貴族の子弟が
歴代住持となる別格の寺院を
指して言います。
非常に名門な寺院なんですが、
ここも秀吉の関係のある施設で、
先程の大仏殿で千僧供養をするときに、
ここの庫裏が食事の用意をした
といわれています。
邸内は静かな施設でした。
出入り口の所の石畳には、
堀跡のある石が敷かれていますねえ。
これは何なのか、調べてみたけど
わかりませんでした。
多分城の石垣のように
用意した藩の印のような
感なんですがねえ、
よくわかりません。
門跡を出て南下し、
京都国立博物館前の交差点に出たら
それを左折していきましょう。
その先には京都女子大学、高校などの
施設が並んでいます。
も、もしかしてジダンの闇の目的は
施設見学と言いつつも
ここの見学?京都の町をひょこひょこ歩く
女子大生や女子高生に
「おこしやす」と言ってもらう
という陰謀を働かせたのでは
ないでしょうねえ。
若い女性が何人も歩く坂道を、
東向いて歩いていきます。
その先にあったのが
「新日吉神社」です。
これはなんと読むかわかりますか。
「しんひよしじんじゃ」ではないですよ。
これは「いまひえじんじゃ」
と読むのです。
徳川幕府が豊国神社と豊国廟の間に
建てて秀吉の墓参りを
邪魔したといわれていますが、
それはそうではなかったようです。
続く
三十三間堂の横の交差点に
案内がありますね。
これに沿って進んでいきますと、
右手に京都国立博物館があり、
その先に豊国神社がありますよ。
道の所には「おもしろ市」の
旗も上がっています。
え~っと店員さんが吉本新喜劇
だったりするわけではありませんね。
骨董品なのか生活不用品なのか
わからないものも並んでいます。
う~ん、これがおもしろ市
なのかあって感じですな。
豊臣秀吉のリアルな像が
狛犬のように置かれています。
そして社務所の方を見ますと、
大行列ができていますね。
最近はこういう朱印をもらう人が
とても増えていますねえ。
今日のような命日だったら
特別な朱印かなあ。
残念ながら朱印帳は
持ってきていませんので
書いてもらえませんけどね。
では本殿におまいりしていきましょう。
京都に来る時は賽銭用の
5円玉を持ってきていますよ。
本殿向いてお祈りしておきます。
豊国さん相手のお祈りですからねえ。
それらしくいろんな願いが
実現するように願っておきましょう。
ん?ジダンのお祈りが長いぞ。
何を願っているのでしょう。
多分「新しい仕事で天下とれますように」
と願っているのかもしれません。
いやあ59歳、まだまだ現役、
頑張ってもらいしょう。
さてここに来るにあたっては、
せっかくですから宝物館も
のぞいていきましょう。
入館料300円を払いに
先ほど朱印で大勢の人が
並んでいた社務所に行きましょう。
横の方から受け付けをしてもらい、
さあ宝物殿に向かいます。
この建物は大正14年に
建てられたものですが、
当時としては鉄筋建ての
豪華建物だったらしいです。
中に入るとこれがねえ、
暗くてね。
千成瓢箪の登りが置かれていました。
実はこの前に岐阜城に行ったのですが、
その時に秀吉が瓢箪のついた槍で
勝ち名乗りをあげたシーンが
あったそうです。
その辺からつながってますね。
そしてこれが秀吉が使っていた弁当箱です。
何を食べていたのかなあ。
実はこの宝物館でやはり
注目していたのは、秀吉の体の
一部が残っていてそれが
展示されているということです。
でもねえ宝物殿の中は
暗くてなかなか写真がとれません。
やっととれたのがこれ。
そう、秀吉の第二臼歯が残っているのです。
大きな歯ですねえ。
これは死骸から取り出された
ものではありません。
秀吉子飼いの武将で
「賤ヶ嶽七本槍(しずがたけしちほんやり)」
の一角、加藤嘉明に
秀吉自身が贈ったものだそうです。
展示の傍には
「こいつはお前に預けておくよ」
という秀吉からの書も添えられています。
一見してすぐに老人の歯だと
分かったそうで、専門家は
歯の様子から下の歯・手前・奥の歯も
この歯が抜けた時点では
既に無かった様子であるため、
恐らくは「秀吉の最後の歯」
と考えられるそうです。
お前はこれを大事にしなさいよ
と送った秀吉の陰謀
だったのでしょうか。
でも加藤氏は立派なケースに
入れ保存していたようです。
で、歯が残っていることからも、
今分析をすれば秀吉の血液型は
O型だったことが分かったそうです。
いまなら遺伝子解析もできるかなあ。
宝物館にはほかにも
加藤清正書の額縁や
秀吉が愛用していた枕もありました。
枕が夢を喰うといわれる
獏の形をしているのが面白いですね。
さほど広くはない宝物館でしたが、
めったに費用を払ってまで
入館しない二人にとっては
なかなか面白い所でありました。
宝物館を満足して出て進んでいきますと、
何やら巫女さんや神職の服を着た
一団が歩いて進んでいきます。
今日は命日なので、
なにか行事があるのでしょうか。
続く