ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ドジ旅日記豊臣秀吉の陰謀2

2019年10月11日 21時31分05秒 | ウォーキング

第11回ドジ旅日記 

豊臣秀吉の陰謀 

出演 ジダン、doiron 
助演 京都の皆さん
宴会地 王将

ーーーーーーー

ある日の呼びかけから
ドジ旅が始まることになりましたので、
もう少し下調べをしておきましょう。

豊国神社の横にあるのが方広寺です。
これも秀吉に大きく関与するお寺ですし、
豊国神社から豊国廟(墓石のある所)の
間にある新日吉神社なんかも
秀吉に関連しています。
まあ後はそんな経路近くにある前から
少し気になっていた「剣神社」などを経て、
京都駅へと向かうコースを
とればいいかと、ほぼ計画を決めたのでした。

そうしてできた資料がこれ。



すこし前の石垣島旅やあの大阪の
巨木シリーズ旅ほどではないにしろ、
秀吉の陰謀をテーマにわかりやすく
コースができたようです。
早速この資料に基づき
旅を始めていくことにしましょう。

今回の歩くコースを考えたら、
京阪本線の七条駅から歩くのが
よさそうですのでそういう経路を
たどって上洛してゆくことにしましょう。
まずはいつも通りに松ノ浜駅に集合です。

南海電車に揺られて天下茶屋に行き、
そこから地下鉄に乗車。

北浜で京阪線に乗り換えて
京都へと向かって行きます。



枚方ではあの「ひらパー」の横を通り抜け、
伏見桃山の方を通って
七条の方へと進んでいきます。

秀吉も晩年はここの伏見桃山城に
居たようで、遺体は廟の方へと
運ばれていきました。

ああ、その行列がドジ旅に
つながるというようなことを
想像できたでしょうか。

この伏見城で薨去となる前に、
五大老や部下を呼び寄せ
自分の息子である秀頼のことを
たくしたといわれています。
没後彼は神としての位が与えられ
葬儀はせずに、土葬も
されなかったようです。

伏見城に置かれたままになっていました。
そして一年後に今の廟地に
運ばれ埋葬されたそうです。

ああ、そんな光景は想像に堪えませんね。
実は、彼の体の一部分が
今も残っているそうです。
それはこの後のドジ旅の中で
明らかとなります。

秀吉とのご対面ですね。

彼は死後一年後に廟に埋められましたが、
神となっていたので
それを祀っているのが豊国神社です。

そこを一番最初に訪れる予定です。
京阪七条の駅に着き、
トイレをすましたら出口に
向かって行きます。

ああ、ここに案内がありますね。



ここへ向かって行きましょう。

でもちょっと待ってくださいよ、
案内のローマ字を見ると
「HOKOKU」と書かれてありますよ。

でもネットで調べたのは
「とよくに神社」です。
こ、これは一体どういうことなのだ。
まるで秀吉の陰謀なのか。
ちょっと調べてみますと、
この豊国神社は日本に数社あり、
この京都の神社が総本山です。

大阪にも豊国神社が大坂城の中にありますが、
ここは「ほうこく神社」といわれていますが、
やはり京都の総本山は
「とよくに神社」といわれています。

まあ、言ってみればどちらでも
いいようですね。

まあ結局は「とよくに」と
ここでは考えておきましょう。



駅から出るとすぐに七条大橋です。

この橋はなんと鴨川にかかる
最古の橋だそうです。
見た目もふるそうですね。



これをわたっていきます。



え~6個300円なら当然8個400円
じゃないだろうかなどと
超数学的な反論をしながら、



前を見ますと、おお~あの山が
秀吉が埋葬されている豊国廟です。



あ、ここでは「ほうこくびょう」と
いわれることが多いですね。
まあ、どっちでもいいんですね。
漢字で書いておきますから
好きなように読んでください。

秀吉の陰謀に惑わされてはなりません。

そのさきで右に見えてきた
大きなお寺が三十三間堂です。



西暦1657年に完成しましたが、
桃山時代に秀吉の方広寺の中に
含まれていたお寺でした。

ここを左に曲がって進んでいきます。

続く


ドジ旅日記豊臣秀吉の陰謀1

2019年10月10日 21時30分08秒 | ウォーキング

ある日、ジダンから指令が入りました。



お仕事を一旦引退し、
長期休暇中なので
京都市内見学という
簡単な旅をしよう
というお知らせです。

むむ、見学というのは
どういうことなのか。
夜の公園で木陰に隠れて
アベックを見張るのか?
あるいは女子大学の入り口で
可愛い子を見学するのかと、
彼のメールだけに妄想が走ります。

まあ聞けば暑いので、
あちこちウロウロせずに
京都市内を歩いて何か施設を
見学しようかという計画のようです。

新たな仕事を控えて、
まあここはおとなしくしていよう
という彼の陰謀なのでしょう。

いくつか案があるようですが、
だいたい秀吉の墓見学は
どうかという提案がありました。

静かな墓場の森の中から
アベックを見学しよう
というものかと思いましたが、
そうでもないようです。

でもさあ、京都に行くんやろ。
秀吉の墓って高野山じゃないん?
と思いましたが違うようです。
彼の墓地が京都にあるようです。
しかも、死の前にいろいろと
関連のあった豊国神社というのも
京都にありますので、
そこの見学もしようという魂胆です。

じゃ、そこに行くかということになり、
さっそく日程調節です。

長期休暇中という彼も暇だし、
doironももちろん暇なので
お互いとても忙しい身です、
というようなわけのわからん状態で、
日程調節をします。

ジダンの飲み会なんかも含めて
日にちを調節しますと
け、結果18日に実行という計画になりました。

連絡時からしばらく時間があったので、
ではこの計画をほかにも
施設見学などできないか
いろいろと調べてみましょう。

まずは地図を広げて、周辺の調査です。
豊国神社は京都国立博物館の
すぐ北側にあります。
だったらその博物館の見学も
どうか思い調べてみますと、
今度の展示が36歌仙の絵
というではないですか。

これは面白そうやなと思ったのですが、
残念ながら10月12日からの展示でした。
今は、ほぼ休館中です。

でも、せっかくですので
某ルートから入場券を
ゲットしました。




後日、ぜひ出かけていきましょう

そしてその博物館の南側には、
あの有名な三十三間堂がありますが、
ここもまあ昨年の秋に
うろついたところですから、
さほどものめずらしくもありません。



それじゃあ、一度情報紙なんかで
この時期に何かやっているところは
ないか見てみようと、
JRの一般配布紙「西Navi」を見てみました。



え~っと、9月18日の見どころはというと、



おお~なんとそこには豊国神社で
「おもしろ市」をやってると
書いてあるではないですか。
これはピッタリ偶然でしたねえ。

え?もしかしてジダンが
指定してきた日にちの陰には
こういう陰謀が潜んでいた?
というようなわけでもなさそうです。

ほかにもいくつか日にちが
指定されていましたからね。

まあ、これはピッタリのイベントですねえ。
じゃあ豊国神社のネットでも
見てみるかと思い、ネットを走らせてみると、
書いてありますよ。
豊国神社のおもしろ市。

なぜこの日にやっているのかというと、
おお~これはすごい。
豊臣秀吉が亡くなったのが
1598年の8月で
つまり新暦に直すと9月18日が没日、
すなわちこんど私らが墓に行こう
という日は、命日なのです。

421年前に、昨年の夏に
doironも行った醍醐寺の三宝院で
「醍醐の花見」をおこない、
その後衰弱していって
亡くなったといわれています。

病名は明らかにされていませんが
大腸がんなどの考えもある一方で、
よく言われているのが性病です。

まあいろいろと女性関係には
忙しかったようです。

こうしていろんなことが
調べていると明らかになって行き、
どうもこの日に墓参りに
行かせようとした秀吉の陰謀が
明らかになってきました。

これはもうただの見学会とは言えません。
秀吉の陰謀に基づいた
ドジ旅にしないとという
感じになってきたわけです。



あの石垣島の第10回ドジ旅に続いて、
第11回ドジ旅は豊臣秀吉の陰謀と、
図らずも発展していったわけなのであります。

続く


明日からドジ旅11回目

2019年10月09日 21時18分56秒 | ウォーキング

さあて、明日からドジ旅が始まります。
このブログの中の数あるシリーズの中で
定期的に続いているシリーズです。

まあ、もう飽きたシリーズだ。
なんて言わないでください
たいがい一人でウロウロしているので
複数人でウロウロするこの歩きには
楽しいものがありますのでね。

まあ今回は二人でしたけど・・・

まあそんなシリーズですから
気楽にへらへらと呼んでください。
最近は常に200人以上の人には
読んでもらっていますね。
接続するだけで、プイとやめる人も
いるのでしょうが、
興味を持ってくれているだけでも
ありがたいことです。

久々のシリーズ、とはいえ他のシリーズは
やめたわけではないですよ。
リボン通りのように
すべて歩いてしまったようなシリーズは
終わりましたが、熊野古道の
大辺路シリーズや淀川歩きシリーズ、
ちょっと懐かしいぶらチャリシリーズ、
まあもう忘れたやろうけど
「ほっつき100選」だって
また始めようと思っている次第です。

そんな風に過去を尋ねだしたら
きりがないですね。
このブログももう4500話を
越えていますからねえ。

知らなかった友達に、
ブログ読んでねと言ったところで、
こんなにたくさんあったら嫌になるよなあ。
なんて思いつつ進めたりしています。
まあそんな方は近々最近の話題位から
読み始めてみてください。

最近はこのブログを何か新たな取り組みに
利用できないか何てのを
こっそり考えているのですが、
またこれも何かいいアイデアが
あれば教えてくださいね~。

話しはずれましたが
とにかくまあ新たなドジ旅が
明日から始まるわけです。

石垣島で10回目を迎えてから
11回目の旅となります。
2013年の12月に始まった
このシリーズももう二つ目の
時代を迎えていますね。

今回の陰謀の相手はというと、
これはまあ大物ですね。
歴史の教科書には必ず登場する人物です。

それは果たして誰なのか。
その陰謀とドジの二人は
どうたたかうのか。

そんな感じでまた明日からも読んでね~。


再び広報でなんやかや12

2019年10月08日 20時55分01秒 | ウォーキング

さあて広報紙10月号も出ましたねえ。

今回は、わが市がラインを
始めたことが表紙に乗っています。

その中でdoironの記事はと言いますと、
最後のページの「街の話題」の
最終記事に採用されています。

今年から新たにモニターになられた方と
一緒に取材した堺泉北港の
イベントの様子です。



この日は始まりは大雨でした。
イベントの様子はそんな雨の中での撮影でした。
途中から、クルーズ船に乗り取材です。
子ども連れの家族の方を
いっぱい取材したのですが、
そのうちの一枚が写真で
紹介されています。

このクルーズ船乗船は面白かったですよ。

取材しているといろんな人から
声がかかりました。

「あ、広報の人や、きれいに撮ってねー」
「いつも広報見てるよ、
取材とかあちこちでされていますねえ」
と取材された経験のある人なんかも
乗って話してはりました。

中には「OOで働く何とかと言いますが、
またうちにも取材に来てください」
と頼まれてしまいましたな。
まあそれは範疇外の事なので
ちゃんと返事はできませんでしたけどね。

船の中で、いろんな泉北港の姿を目にしました。

doironのマラソン人生後半の
主な練習地である小津島町も
海から眺めましたよ。

ああ、あそこの岸壁がdoironがいつも
終点で壁にキックしていた場所です。
あと50年くらいキックし続けたら
崩壊していたかもしれません。

そんな埋め立て地や、
T本さんが働いていた会社、
昨年音楽界を取材した埋め立て地
なんかを海からしっかり眺めてきました。

また途中、乗船していた市長とも
いっぱい話をしましたねえ。
三時間走の事なんかも話をしましたし、
知り合いの市会議員や府会議員も話をして、
取材とともに申し訳ないが
楽しい時間も過ごさせていただきました。

広報の記事はまあそんな
doironの思い出にもなっています。

次回は、わが市でもいろんな
イベントが開催されます。

今のところ取材予定は、
魚釣り大会の取材があります。
なんと朝6時からの取材です。
寝ぼけて取材しないように
しっかり頑張りましょう。

ほかにも防災関係のイベントの
取材も言われていますが、
大きな取材が祭りの取材です。

祭りを楽しむ子供たちの姿が
欲しいのでお願いしますとのこと。

でもなあ、祭りはまず
沿道警備が大きな仕事です。
その合間に取材を
していかないといけません。

実は小さな子供のいる家庭には、
写真を撮りに行ったら
協力してくれよと根回しもしていますし、
実はdoironの孫も
長野県からやってくる様子ですので、
タイミングが合えばその写真も
バリバリとって広報に
提供してやろうかなどと考えておるのです。
へへ。

まあとにかく取材の関係は
そんな感じで動いています。

今月は音楽界の取材が当たってなかったので、
今年も来るかなと思っていた
知り合いの人には
申し訳ないことをしましたねえ。



これから季節は秋、広報の腕章をつけて
あちこち動き回っていますから
見かけた人はぜひとも声を
かけてくださいねえ。

知り合いの取材って、
実はとっても楽だし
楽しみも増えるのですわあ。


伊丹空港ゆっくり旅

2019年10月07日 20時41分52秒 | ウォーキング

神戸空港にのんびりと行った時に、
三宮からここへ向かう歩きのほかに
ふと思ったのが、歩きでの
空港巡りです。

伊丹空港から歩いて神戸空港に行き、
そこから船で関西空港に向かう
という歩きです。
で、地図を見てみたのですが、
伊丹空港から神戸空港は
ちょっと遠すぎますねえ。
直線で25キロくらい。
道をたどれば30キロは
あるでしょうねえ。

よおしと頑張って歩けば
いけないこともないのでしょうが、
やはり30キロはいささか遠い。

ランニングや自転車だったら
可能かもしれませんので、
そういう旅をする人だったら
選んでみたらいいかもしれませんね。

ただ自転車があんな孤島の
神戸空港に行けるのか、
関空行きの船に乗れるのか、
その辺は調べてないから
よくわかりませんけどね。

でもまあそんなことを考えてたら、
いちど伊丹空港にものんびり
遊びに行くのもいいかと思い立ち、
出かけていくことにしたのです。

我が家からだと、車で阪神高速池田線を通って
その空港に行くことができます。
高速を降りるとすぐに空港です。

意外に一台分のスペースの狭い
駐車場に車をとめて歩いていきましょう。



空港を眺めながら、
どんな見学をしようかなあ
と眺めていますと、
doironの心の奥底にわいてくる
思いがひとつあります。

それはこの空港に来た時に
いつも浮かぶことなんです。

もういまから30年くらい前、
doironは地球環境に関する
仕事をしていました、
あ、環境大臣じゃないですよ。



当時は「環境庁長官」で
その下の末端の末端の仕事をしていました。



クリスタルさんと出会う
こともありません。

そんな中でよく学んだのが、
航空機による騒音の評価方法なんです。
音を発生頻度なんかを加えて
評価する、そうこの方法を
「うるささ指数」といい、
それで評価する方法がありました。

これらはWECPNLと評価されたりする
騒音の程度でした。

そりゃあ、まあ空港もない市でも
こういう騒音に関する評価は、
たいていが市が騒音対策を
事務委任されていることが多く、
なんか必死に勉強したのを
思い出します。

騒音レベルを図るときに、
周波数分析なんかも
たっぷり覚えましたねえ。

そういう騒音問題を発展させた
原因の大きな大きな要素のひとつが、
当時問題になっていた
この伊丹空港の騒音問題でした。

「空港廃止」を求める住民訴訟が
相次いだのですが、
1990年に自治体が空港存続に
方針転換し、国内路線が残って、
航空法上の混雑空港に
指定されるようになりました。

地元住民の意思が、プラスになったり、
マイナスになったりと
いろいろと動き回った空港でしたね。

2015年度には、英国の調査会社
OAGによる空港の
定時運航率ランキングで、
定時運航率93.85%で
小規模空港の世界一となりました。

doironもたまにこの空港着の
飛行機にも乗りましたが、
たしかに大阪の町の中を
うんうんいって飛んでいきます。

まあ、大勢の人々のすぐ頭の上ですから、
いろんな摩擦なんかもあったのでしょうね。



まだ増便なんかも
叫ばれたりしてるのかなあ。
そんな人々の思いがいっぱい
詰まった空港です。

ちょうど訪れたときは、
食堂とかとの連絡道が
工事されていたのですが、
あちこちをウロウロと歩きまわって、
大阪らしくうどん屋さんに入りました。

車なのでビールは飲めませんでしたが、
こんなうどんとお寿司をいただきました。



このあと、飛行機が着陸するときに
目の前を飛ぶという場所に
行きたかったのですが、
ちょっと時間がなくこの日は
そのまままっすぐ帰ったのでありました。

まあこうして神戸、伊丹と
散歩してみましたので、
また近いうちに関西空港にも
歩きに行ってみようかなあ。

関空連絡橋が歩いて渡れたらいいのにねえ。

あ、そうだ一回だけ歩いて
あっちに行ったことがありますねえ。

第一回泉州国際マラソンでしたけど。


神戸空港ゆっくり旅

2019年10月06日 21時31分42秒 | ウォーキング

長かった山行きの話も終わったので
時系列は戻りますが、
山行き前のウロウロをブログにします。

ーーーーーーー

先日、歩くサークルの集まりに参加しました。

場所は神戸空港だ。



ここへは歩いていくことも可能なのです。
経路はというと、三宮から
ポートターミナルを通り、
ポートアイランドへまず行く。

先端のほうにある神戸動物王国までは
少し前に歩きで行ったことがありましたね。
途中あのスーパーコンピューター

「京」

の横を通って行きます。
かつて開発時には世界一の
演算速度を図るコンピューターでした。
それが今年の8月16日に
シャットダウンされ、
新しいコンピューターに
置き変わる予定だそうです。

開発の始まったのが2012年なんで
このコンピューターの開発設置に
1120億円もの経費がかかったから、
経費はかなり大変だったのじゃないのかな。

掛算一回50円とか。

そんなことはないか。

神戸空港はそこからさらに先に行きます。
先端の所の東の方に
「神戸スカイブリッジ」という橋が
かかっていますので、
ここを徒歩でわたることができます。

電車から見てると、
その歩道を歩いている人もいましたねえ。
もちろん走っている人も。

車、徒歩以外で行くとなったら、
ポートライナーという電車でいきます。
doironは今回はこの電車です。

空港内には結構食堂とかもありますよ。
我々は洋食屋さんでランチです。
空港が見渡せる大きな窓のところに
席をとり、集まったメンバーで
食べ始めました。



食べたのはこんな洋食。
お子様ランチではなく
「おじさまランチ」ですなあ。

おいしかったですよ。

でももっとおいしかったのが、
この時飲んだ淡路島のビール。



「島レモン」というビールでした。
飲むと、どこか奥の方に
レモンの香りがほのかに残るビールでした。



今度は淡路を歩いてこのビールを
飲みに行こうという話題になりましたね。

でもまあここは食堂なので
宴会風にながいはできません。
すぐにお皿やコップが下げに来られます。

食べた後は4階の展望室に行って、
神戸の町なんかを見学します。
ほぼ全域が見渡せますねえ。

ああ、あそこは歩いたなあ
とか言いつつ騒ぎます。

doironはリボン通りを完歩したので、
端から端まで歩きましたねえ。
その後はお土産屋さんもウロウロしつつ、
島レモンを探したりしましたが、
残念、ありませんでした。

まあ歩くわけでもなく、
のんびりとこんなところで
ゆっくり過ごすのもまた一つ
心の充電ではありますね。

そのうちにここまで歩くツアーも
計画してみましょう。

片道9kmくらいのお気軽歩きとなるでしょう。

あ、そこに関西空港への
船旅を入れても面白いなあ。


西国三十三所 宝塚の中山寺

2019年10月05日 21時23分52秒 | ウォーキング

西国三十三所も21寺回りました。
もう残りも3分の1程度ですが、
このあたりからは遠方の
お寺が増えてきますねえ。
一寺行くのに一日かかりそうな感じです。
下手したら泊りになるかもしれません。

ま、それはそれでいいんですけどね。
でもねえ、最近ひそかに
考えていることがあるのです。
新しく買った車に乗って、
道の駅でごろ寝しながら
旅するのです。
以前の車では熊野古道を
歩いているときにそんな旅も
していますが、もうこれは
やむを得ずという感じでした。

目的地があるし、
車を置いて歩き
そこへ戻るという旅でしたからね。

しかし、こんな感じで目的地を
持ってではなく気楽に
車で旅をするのも
意外にサバイバルなdoironには
あっているのかもしれません
と最近考えています。

あ、毎日気楽なんですよ。
どんな風に過ごそうか
気楽に考えたりしていますからね。
縛られる仕事や村の役員仕事も
軽くて日程調節できますしね。

ただ単に家を空けてミセスに
「こやつ」と思われたりしないか
というのがまあ唯一の心配事ですね。

あ、まあお金の問題も
当然年金暮らしですから
ありますけどね。

今年の秋くらいから、
ちょろっとそんな旅も
根回ししつつ試していこうかなあ
なんて考え始めています。

今回の西国三十三所は
残念ながらそんな旅ではありません。
doironにとってはあの思い出の
マラソン大会が開催された
宝塚にある第24番札所中山寺
を訪ねることにしました。

高速道路を通って宝塚へと向かいます。

あの時入院した市立病院の
ところで下道に入り、
国道176号を通って
寺へと向かいます。

ああ、あの時病院の窓から
見えていた山々の景色が懐かしいです。

この寺は真言宗中山寺派の
総本山で聖徳太子創建による
初の観音霊場です。

一時荒廃しましたが
豊臣秀頼が再建しました。

なんと彼が10歳の時にです。

あの京都の方広寺に
あの徳川を怒らせた
文章の刻まれた鐘を築く
10年前の事です。

秀頼は21歳でこの世を
去っています。

このあとドジ旅でそのお寺を
訪ねる予定ですので楽しみです。

では176号から住宅街の
狭い道を通り抜けて
寺の駐車場に入っていきます。

中山寺の正門は立派ですねえ。



こんな狛犬がいます。



むむ、どちらも男の子のようですねえ。
中に入っていきますと
参道の両側にお堂が続きます。

干支ごとにおまいりできるように
してありますね。

その先で本堂に上がっていくのですが、
おおなんとここにはエスカレータも



ありますし、エレベータもあるそうです。



年配の方にはありがたいですねえ。

また右の方にみえる五重の塔は
珍しい色をしていますね。



この塔は平成29年に再建されたそうです。

さあでは本殿でお参りして
いきましょう。
いつものように手続きを踏んでいきます。

ここの本尊は11面観世音菩薩ですねえ。

お参りをしたら朱印を
もらいに行きましょう。

結構混んでそうだったのですが、
うまく入れました。

三十三所は突然に観光バスなんかが
来て大混雑になったりしますから、
タイミングがむつかしいですね。

朱印もいただいてお参りも終わりです。

実はこのお寺は後部の方の
山の中にも奥の院があったりします。
それなりの格好、装備をして
意外に歩き回るスペースが
多いようです。

そのうちにそんなコースも
歩かないとねと考えています。

そしてこの西側には清荒神もあるのですが、
それは5年前に
親父の歩いた巡礼道で
中山寺とつないで歩きまわりましたねえ。

ああ、もうあれから
5年経つのですねえ。

さあて次の三十三所は
どこに行きましょうか。

兵庫の清水寺かなあ、
それとも日本海の方かなあ。

ぼちぼち訪ねていきましょう。


老春還暦きっぷ6

2019年10月04日 21時00分14秒 | ウォーキング

改めて岐阜駅前の信長像を見てみましょう。



金ぴかですねえ、
バスにも今風の絵で
信長の姿なんかが
描かれていますよ。



このバスにも青春18切符で・・・
乗れませんわなあ。

信長は岐阜城を整備し、
長良川の鵜飼を発展させ、
そして楽市楽座もひろげた武将ですから、
地元の人たちに愛されていますねえ。

さあ、時刻はこの時点で
だいたい3時半です。
このまま朝からやってきたコースを
帰るのはもったいないですねえ。

当初doironが計画していたように、
ここから名古屋経由で
関西線まわりで帰ることを
提案しましたら、即OKが
出ましたので、まずは
名古屋に向かうことにしましょう。

時刻表を見ながら電車を選び、
名古屋まで行きみゃす。



ここでまた電車を降りて、
名古屋城の見学というのも
いいかもしれませんが、
まあちょっと時間が足りないですねえ。



金のしゃちほこには
申し訳ないがパスしておきましょう。

ここから亀山行の便に乗ります。
これもまあ乗り継ぎ時間が短かったので、
名古屋でお弁当でも買おうかあ
と思っていたのですが無理でしたねえ。

では亀岡では20分ほど
時間がありますので
そこで駅の外に出るかして
お弁当購入といきましょう。

名古屋から蟹江、弥冨、桑名、
四日市などを通って
関西本線で下っていきます。

ああ、この辺は今年友達の
仕事車に乗って遊びに
行ったところなんかも
含まれていますねえ。
ああ、ミホちゃんの実家に
お邪魔したときも行きましたねえ。

ちょっぴり懐かしく通過しました。

そして電車はどんどん
田舎路線に入って行き、
亀山に到着です。



実はこの辺は次の仕事車便乗による
歩きの場所と考えているところですから、
外の景色や雰囲気を、
車窓から確認しておきましょう。

駅で18切符を見せながら
一旦改札を出ていきます。



え~っと、周りにお弁当の
売り場とかないかなあ
と見回してみましたが・・・
一切ありません。

駅の売店にもお弁当なんかは
置いていません。

忍者弁当とかあるかなあ
なんて思ったのですが、
駅周辺では購入できませんでしたね。

残念。

仕方ないので晩飯は少し辛抱して、
最終降りた府中駅で
いっぱい飲んで帰りましょう
ということになりました。

新たに「加茂」まで乗っていく
電車に乗っていきましょう。

JRの会社区別でいきますと
亀山まではJR東海で、
この亀山からはJR西日本となります。

また電車の種類で言うと、
亀山までは電車でやってきますが、
亀山から加茂は気動車です。

乗っているとディーゼルエンジン音が
「ゴゴゴ~」と響いています。

そういえば、昔義父母が三重県に
住んでいるときに何度か
電車で来たことがあります。

あの時は加茂あたりで気動車から
電車への切り替えがありましたねえ。

もう暗くなってきているので
うつりはわるいのですが、
この辺りは田んぼの中の
単線を電車がごとごと走っていくので、
とってもローカルです。



亀山で何も買えませんでしたが、
途中でビールだけ買って
ぼちぼちと帰りましたよ。



おつまみは持参品です。



伊賀上野あたりでは、
どうも弁当なんかもありそうですが、



単線のすれ違い時間だけの



停車なので、その間に降りて
弁当購入することはできませんでしたな。

残念やなあ。

そして、その辺から
加茂から関西線が早いのか、
それとも片町線が早いのか、
見当が始まりましたが、
まあ結局は奈良経由で
関西線が早いようなので、
そちらの経路で帰ることにしました。

もうこのころには、
メンバー全員電車でお眠です。

この経路で18切符じゃなかったら
6780円の乗車賃。
18切符で4000円以上の
お得旅でしたね。

天王寺着で阪和線に乗って
和泉府中へ。

駅前の居酒屋に飛び込んで、
おいしいビールで乾杯。

いやあ老春還暦切符で
いい旅したなあと、
大満足な一日でした。

おしまい


老春還暦きっぷ5

2019年10月03日 21時25分34秒 | ウォーキング

あ、ここには城に入る前に
槍の展示がありますよ。



と、思ったらシルバーの人の
葉っぱきりでした。
なあんか槍見たいですねえ。

そんなのを眺めつつ
城の案内なんかも見ながら
天守閣の入場料200円を払って、
入っていきましょう。

中には昔の武士たちの絵が
並べられてあったりします。



信長ってイメージ的には、
ちょっと切れ長の目で細面。
意志が強くて自分勝手と
こうあげていくと
doironとはまったく
正反対な感じですねえ。

古い文書、刀や鎧などの展示もありましたよ。



あ、手裏剣なんかも飾っていますねえ。
こうしてふらふらと暢気に
見学しまくっているdoironは
こうしてくれるっと



攻められたりします。
へへ。

まあ中にはこんな秘密の扉



なんかも見つけるのですがね。

そして最上階が展望室です。
外に設けられたところから
景色を見ると、おおここは
すごい展望です。







濃尾平野が全域見ることができます。
そして足元には長良川の悠々たる流れも。

信長はこんな場所で外を眺めながら、
これらはすべてわしのものじゃあ
と思っていたのでしょうね。
たいてい天守閣は眺めの
いい所なんですが、
ここはさらに山の上ということもあって
なおさらでしたね。

そういえばこの後信長が城を築いた
滋賀県の安土城もこんな感じでしたねえ。

この後、岐阜城資料館にもいきます。

様々な江戸時代の資料や
信長に関する様々な小説や
資料が並んでいましたよ。

どうも資料館の中も
写真撮影もできるのですが、
やはり遠慮してしまいますよねえ。
興味のある方はどうぞ自分の目で。

さあこれで城の中枢部分の
見学は終わりました。
ロープウェイまで違う道を
降りてゆきましょう。

この石垣はどうも信長時代のもの
といわれています。



城は戦いのためのものだったところから、
こうして下から見上げても
立派な石垣が見えるように
城とは権力を誇るものに
この岐阜城の頃から
なってきたそうです。

さあではこの城から下りてゆきましょう。



ロープウェイの下の駅で
お土産を買いました。
もちろん「ケイちゃん」ですが、



ちょっと色の違う
さるぼぼも売っていたので
これも一緒に購入です。

ここで時刻を見ると
今度乗る予定の名古屋行きの便迄
もう少し時間があります。
せっかくここまで来ているのですから、
時間の許す限り長良川の方も
見に行きましょう。
公園にそって北側に移動していきます。

金華山トンネルのところから、



こんな面白い水門なんかを



眺めながらさらにまっすぐ進んでいくと、



おお出ました長良川です。



きれいに鵜飼の関連の船が
浮かんでいますねえ。



でもこんな鵜飼を見ていて
いつも思うのは、そんなに魚が
いるのかなあってこと。

鵜飼で捕まえるのはアユが多いそうですが、
そんなに大勢の人のおなかに入るほど
撮れたりするんですかねえ。

鵜飼の時に上流から放流している
なんてことはないでしょうけど、
不思議なものですねえ。
鵜飼船の松明にひかれて
やってきたりするんでしょうかねえ。

川沿いをしばらく歩いていると
鵜飼のりばにやってきます。



通常1回の鵜飼い見学で、
3400円の値段がついています。
え~っと、これも18切符で・・・
というのも無理ですねえ。

残念!

そんな鵜飼のりばから
通りがずいぶん昔風な



感じになっているではないですか。
これが、長良川を水運の駅として
昔に発達した「川原町」の軒並みです。



もう町の名前が川を中心に
発達してきたということが
よくわかりますね。

このあたりでも発達したのが
和紙ですね。



これはもう信長の時代から、
薄くて頑丈で上質な美濃和紙
というのが作られており、
それを扱う商店とかも
多くあったといわれています。

こんな古い家が続いているなあ
と思ったら、銀行もこんな風に
なっていました。

この河原町をプラプラ歩いて、
このあと我々はバスに乗り、



岐阜駅へと帰っていったわけであります。



続く


老春還暦きっぷ4

2019年10月02日 20時57分15秒 | ウォーキング

とまあ公園内の
いろんな施設を眺めながら、
岐阜城に登ってゆく
ロープウェイに向かいましょう。



駅には様々なおみやげ物が売られていますよ。
中でも恵那どりの名物で
「ケイちゃん」というものがありました。



一緒に行った人もこれは知ってるよ。
おいしいよと評判だったので、
お土産にはこれを
下山時に買うことにしましょう。

実際にこれを買い、
うちでも食べお土産にあげた人も食べてたら、
秘密の県民SHOWで
ちょうどテレビ放映されていました。



地方の料理でこのケイちゃんは
第2位に入っていましたね。
岐阜県民には定番の料理なんですねえ。

お土産も決まったので、
ではロープウェイに乗って
山頂のお城を目指しましょう。
料金は往復で1080円。
ということは10月から
1100円かなあ。

あ、ここももしかしたら18切符では・・・
無理ですねえ。

ロープウェイを案内する
きれいなお姉ちゃんに
誘導されて乗車。



そうだいたい乗車率は8割くらいだったかなあ。
まず最初に左手に三重塔が見えてきます。



金華山山麓のこの三重塔は、
岐阜公園のランドマークとして
市民に親しまれてきました。
昔の武将が建てたというのではなく、
大正天皇の即位を祝う、
御大典記念事業として企画され、
市民から寄付を募って
大正6年に岐阜市が建立したものです。

今はこんなのはあるのかなあ。
令和を祝ってなんかを建てるって
話は無いのかなあ。

ロープウェイは濃い緑の上を
どんどん進んでいきます。



運転時間はだいたい3分。

スタートしてから到着するまでの間、
乗組員のお姉さんが
いろいろと話してくれます。
その話が、ロープウェイ到着と
同時に見事に終わるので、
思わず拍手してしまいそうになりましたな。



ロープウェイを降りると
しばらく歩いて岐阜城へと
向かって行きます。

そういえば、この岐阜城に
来るのは2回目です。
1回目は山登りの友達と
学生時代に来たことがあります。

ロープウェイではなく
山道を歩いて登ったのを覚えています。
登り道は何本もあるのですが、
メインの道だったような気がするので、
この七曲り登山道だったんでしょうねえ。



でも今はこんな風に
スズメバチに注意
と書かれていますよ。



そして猪にも注意だなんて、
こんな街中やのに結構自然が
豊富なんですねえ。

この金華山は多くが
チャートという石で
できているそうです。



ああ、ブラタモリでも
解説していましたねえ。
放散虫という虫の死骸なんだそうですよ。

信長はこの石が好きだったそうです。
金華山のふもとにあった
信長の居館では、
チャートを背景にした庭があったそうです。
これもブラタモリで言ってましたねえ。

でもさあ、ここに城をつくったのは
信長じゃないんだよねえ。

斎藤龍興から奪取した
稲葉山城の縄張りを破却して、
信長が新たに造営したのが岐阜城で、
ここにチャートがあるから
城を作ったんじゃないのにねえ。

ちょっとその辺はブラタモリの説も
飛躍しているんじゃないかなあ。

まあでもここに信長が城を作り、
鵜匠で武家をもてなし、
楽市楽座を開いて、
岐阜を発展させていったのは確かでしょう。

それらの功績をたたえて、
後世の人々がここに作った門が
「天下第一の門」といわれています。





あ、そうそうロープウェイを
降りてすぐのところに
「リス村」という施設があります。



リスに餌をあげたりできるんですねえ。
こんな山の中にリス村なんて言う
施設ができたのも、
実はここが昔、硝煙蔵
といわれていた施設があったのですねえ。

平らな土地がここに
あったからなんだそうです。
なにも信長がリスが好き
というわけではなかったのですね。



こんな堀切とかいう
切通しなんかも通り抜けて、
さあいよいよ天守閣が
近づいてきました。

続く