doironが絵を書くときに
何が必要かというと、
上手なデッサン力、
というのではなくて
筆、水彩絵の具、紙、パレット
ぐらいが必要になってくる。
その内訳はというと
筆は使いつけのものがあるねえ。
よく使うのは面相筆というやつだ。
絵具も近頃は水彩で
様々な色があるちょっと
専門的なやつを使っている。
そして紙は絵に合わせて
変えているが、多くは
F3サイズのスケッチブック風の紙が多い。
中には粗目の紙を使うときもあるので
いろいろと目で見て選んだりしている。
パレットは100均の
使い捨てがほとんどだ。
でもねえ、そんな風に、
絵の具や紙などは専門的になると
なかなか手に入らないのだ。
第一身近なところに
文房具屋さんが少ない。
なのでたいていは
大阪市内にある画材店に
出かけて行って
購入することが多くなる。
そこなら絵具も透明や不透明などもあり、
様々な色も購入できるし、
紙も種類がたくさん置かれていたりする。
筆だってたくさんあって、
気が向いたら予備に買ったり、
こんな筆も面白いかもと
選んだりもできるのだ。
そんな店が、天王寺に1軒、
梅田に1軒があり、
ほかの用事と合わせて
出かけて行った時に
立ち寄るというパターンで
利用することが多い。
あとはアリオの文具コーナー
みたいなところかな。
doironを取り巻く文房具屋というのは
だいたいこんな感じなのだが、
つい最近和泉市の郊外に
でかい文房具屋が開店したことを知った。
山の方に行く時に大きな看板が
上がっているのだ。
その店の名も「文具のブンゾウ」という。
そこはまわりにはスーパーや
寿司屋、フィットネスクラブまで
あるというちょっとした
複合施設になっている。
先日、歩きに行った帰りに
思い立ってその店に
立ち寄ってみることにした。
広い駐車場があるのだが、
意外に止まっている車は多い。
第二駐車場もあるのだが、
平日の昼間であるからまだまし。
何とか第一駐車場に
車をとめることができた。
中に入っていくと、
超おどろきだ。
え、これが文房具屋?
というほどフロアが広い。
筆記用具やノート、
ホッチキスなどの文具に加えて
文房具を入れるような
カバンまで置かれている。
こ、これはすごいじゃないか。
なんでこんな和泉の郊外に
こんな大きなお店が、
というほど立派だ。
ではひととおり歩いてみよう。
ボールペンの書き味を試したり、
ノートを眺めたりしながら遊びます。
でもなあ、ここにもあんな
天王寺の画材屋さんで買うような
絵の具があったらいいのになあ
とか思いつつさらに
店内をうろついていると、
ああ、ここにスケッチブックが
いっぱいあるじゃないか。
以前、鳳の文房具屋で
スケッチブックを探したときに、
一般的によく使われるサイズのものが
なかってがっかりしたけど、
ここはそんなことはないし、
それどころか紙質を変えて
別のものもいろいろと
そろっているではないか。
ああ、これはさっそく
一冊買おうと思って
カートに入れることにした。
で、ふと後ろを見ると、
おお~なんとdoironが
いつも買っているブランドの
絵具もそろっているでは
あ~りませんか。
ウヒャー、これはうれしいですよ。
よく見たらそのコーナーは、
doironのような下手な絵描きを
喜ばすような筆や鉛筆などの
画材が一通り
備えられているではないですか。
無いのは不透明水彩絵の具くらいかなあ。
でもまあこれくらい
そろえられていれば、
ありがたいものだ。
天王寺や梅田まで行かなくても、
ほとんどがここでそろうから、
非常にうれしい。
絵を描くことを趣味にしつつも、
田舎に住んでたら
なかなか画材調達も
大変やなあと思っていたのに、
これで大助かりとなります。
そんな道具を眺めながら、
ではまたまた寒い日とか
雨の時には、頑張って
絵を描くかあと、
doironの気持ちをプクプクと
ふくらませたのでありました。
ブンゾウさん、ありがとう。
いやあありがたいお店の開店
というお話でした。
県庁の前には、結城秀康が
ここを手に入れて大きな城を
築いていったという案内と
その像がありました。
秀康とは秀吉と家康の名前の
いいとこどりみたいな名前ですね。
実は徳川家康の次男で、
のちに松平を名乗ることを
許された人です。
県庁の中に入ってみますと、
ああ、こんな眼鏡に関する
展示もありましたね。
それから若狭湾の原発に関して、
放射能のモニタリングシステムの
端末も設置されていました。
こんなシステムの設置にも
地元自治会の元助役の意向なんかも
あったのでしょうねえ。
敦賀の若狭湾周辺の原発については、
それらを訪ねて回る旅をしましたねえ。
原発の前で写真を撮っていたら、
「写真を撮らないでください」
なんて言われたこともありました。
いくつかの原発を訪ねて回った
あの旅もとても面白いものでした。
そんな放射能モニタリング表示を
眺めてから、天守閣跡の方に
行ってみましょう。
階段を上がっていきますと、
おお石垣がありますが傾いてますねえ。
これの事だと思うのですが、
後世の地震でこんな状況に
なったみたいです。
その横に屋根のある建物が建ってますよ。
これが福の井です。
ずっと水が絶えることがなく、
こんな名前がついていますが、
もともとの城の名前「北ノ庄城」が
敗北に通じるということで、
この井戸の名前から
「福井」になったんだ
というのが通説のようです。
ああ~城跡に来て福井の由来まで
わかりましたねえ。
この城跡の石垣の所には、
屋根の後が付いている石や
刻印のある石も残っていましたよ。
この後は城跡の周りをぐるりと一周します。
城の周りには福井神社も
ありましたねえ。
それから、こんな御廊下橋もありましたよ。
でもまあ整備はそれくらいで、
doironにとっては、じっくりと
立ち止まって滞在するような
場所はほとんど無かったです。
さあではもうぼちぼちと帰る電車に
乗らないといけませんね。
福井駅に戻っていきましょう。
慌てて歩いているので、
15時45分の電車に乗ることができました。
福井では約二時間の滞在でしたね。
これに乗ってまずは
敦賀を目指しましょう。
福井発の電車だったので、
余裕で座れました。
ところどころで外を見ていると、
遠くの方に高架線路の建設地がありましたねえ。
どうやらあれが、
北陸新幹線の続きなんでしょうねえ。
2022年に金沢―敦賀間の
運転を目指しているそうです。
そんな景色を眺めながら
敦賀に着いたのは16時37分です。
次の大阪行きは16時59分ですから
少し時間があるので、
敦賀駅前を少しだけ見学しましょう。
といってもねえ、駅前広場くらいですがね。
あ、ここに立っているのが
「都怒我阿羅斯等」(ツヌガアラシト)像ですよ。
すこし前に書きましたね。
敦賀の名前の由来になっている人ですね。
まあ、駅前で確認したのは
これくらいでしたね。
ではまた駅に入っていって
大阪行きの電車に乗ることにしましょう。
山科から新快速になるやつですね。
この電車も敦賀発ですから
余裕で座っていけます。
敦賀駅前でビールを一本買って、
旅の終盤を楽しんでいきましょう。
この日は、18切符冬版の
使える最終日ですから、
それっぽいお客さんも多いですねえ。
途中からも旅姿の団体なんかも
乗ってきます。
ビールを飲んでええ具合で
最後の電車旅も居眠り風に過ごします。
でも京都を過ぎたら一気に
通勤電車風になってきますね。
スーツを着ている人たちも
増えてきます。
ああ、あんな時代もあったんやなあ。
今はもうこんな旅をして、
全く社会のはずれにいるんやなあ
と実感しますね。
最終和泉府中に着くのが20時22分。
福井地方を旅した18切符旅も
とっても満足な旅でしたとさ。
おしまい。
泉州マラソンも終わりました。
雨で残念でしたねえ。
練習の成果は出せましたかあ。
それでは福井旅の続きを
掲載いたします。
・・・・・・・
じつは鯖江のお寺巡りには、
少しだけ理由があったのです。
昔、親父が生前時に言ってたことで、
この鯖江にわしらの先祖の
墓があるというのです。
ではそれは鯖江のどこで?
と聞いたのですが、
親父の記憶も薄くって
場所はよくわからなかったのです。
でも地図を見ますと、
鯖江の駅周辺にもお寺やお墓が
ありそうなので、
今回の旅の中で行ける範囲で
親父の旧姓の墓を探してみよう
と思ってたのです。
メガネミュージアムとは
反対側の駅前を歩いてみましょう。
まわりのお寺や神社をめぐり、
墓を探しましたが
それほどの墓はなかったですね。
あまり突き詰めて考えていないので、
万が一程度くらいにしか
期待していなかったもんだから
すぐに墓探しはあきらめました。
でもねえ、何となく先祖が
この辺の人だったという
うっすらした記憶は、
ちょっと心を騒がせましたねえ。
さあ、では鯖江はこれくらいにして、
次の目的地である福井を目指しましょう。
電車に乗って、田舎の景色を眺めながら
福井駅に着いたのは
13時30分でした。
恐竜が待ってましたよ。
福井城は、駅前にあるのですが、
この駅で実は見ておきたかったのが、
駅前の恐竜広場です。
福井では勝山市で1988年に
恐竜の発掘を行い、
恐竜の歯の化石を発掘しました。
それ以来、発掘は続いており
日本で有数の発掘現場となりましたね。
その後、恐竜の足跡や肉食恐竜の
「かぎ爪」なんかも発見され、
ついに2000年6月に
恐竜博物館が竣工されたのです。
ここにはまだ整備もされていない
恐竜の化石が山ほど
保管されているそうです。
旅行に行くのが、そんな福井となると、
この恐竜博物館も
行ってはみたかったのですが、
ちょっと今回の旅では時間的に
回る余裕はなかったですね。
次の機会にぜひ実現したいな
と思っています。
車で行くのもいいしなあ。
さてそんな恐竜を展示してある
広場なんですが、行ってみると、
おお~これは迫力です。
恐竜のうごく人形が
プイーンと泣いています。
駅の壁からは、恐竜が
飛び出てきそうです。
もうすっかり恐竜一色ですねえ。
まわりを見回したら、
喫茶ティラノザウルスとか
プテラノドン美容室、
あるいはスナック、プロントザウルス
とかあるのかなと見回しましたが、
さすがにそこまではありません。
でもこの広場には恐竜の
足跡の化石なんかもありましたね。
なんとなく恐竜の学問て、
知らないことだらけだから
ユーモアのある感じがしますねえ。
実はわしはこう思っているんや
と思ったら、学説になって
行ったりするようなね。
でもまあ、そんな簡単なことでは
ないんでしょうけど、
まだそんな側面を
持っているような気がします。
そんな恐竜広場から、
にぎやかな街中を何か面白いものはないかと、
きょろきょろティラノのように
歩いていくと、前方に
大きなお堀が見えてきました。
これが福井市の中心に立つ福井城跡ですね。
この城の城主は変遷しているが、
主な城主は柴田勝家と越前松平家。
もともとは北ノ床城であったが、
「敗北」に字が似通っているために、
この城の中にあった
水の絶えない福の井から
福井城と名付けられたといわれています。
今は天守閣はなく、
城跡には福井県庁と警察がある
公園になっている。
当時、この中にそんな県庁や
警察署を作るのはお上意識の
表れだという反対もあったそうだが、
デンとこれらを建ててしまったそうだ。
このあたりで昔に仕事をしていたという
ジム通いのおじさんが、
そんな福井県民の心情を
ジムで語ってくれましたよ。
県庁に用事があってそこに行くのも、
入城するみたいな感じで、
たしかになんかこんな一等地に
県庁や警察署って現地でも
とても違和感がありましたな。
これがその県庁。
警察署はその左側にあります。
いずれも、福井城跡の堀に
囲まれた堀の中に立っているのです。
続く
今日は第27回泉州マラソンでした。
でも雨でしたね。
さあ家を出ようと思ったときに
急に地元の人が訪れてきた。
色々と心配があるようなので
話を聞いていたら
出るのが遅くなって
電車に乗って、浜寺公園に着いたら
スタートの3分前だった。
ぎりぎり応援を開始。
そのあと泉大津だけで応援し
写真も少しは撮りましたよ。
取材写真として広報に
送ったりもします。
でも雨の中やから
そんなに元気で明るい写真は
とれなかったからなあ。
これはいい写真でしたね。
もしかしたら、
小さく出来事写真掲載に
なるかもしれませんけどね。
何枚かをここにも掲載しておきますので
希望者は連絡してくれたら
差し上げますので
連絡くれたらと思います。
応援していた友達の復活は
残念ながら39kmでリタイア。
次に期待したいと思います。
スペシャルドリンク友も
DNSでざんねんでした。
きょうは応援後
王将でビールで宴会
何も頑張らずに
大して応援もできなかったけど
それなりに楽しい一日でした。
雨の中、選手の皆さん
応援の皆さん
お疲れさまでした。
明日は第27回の泉州マラソンです。
一般道を長時間にわたり
交通規制して実施される
日本陸連公認のマラソン大会ですね。
え、だとしたらここで
2時間5分50秒を切ったら
東京オリンピック内定?
ま、そんなことはありませんが、
きっちりと記録としては
残るということでしょうねえ。
ここでそんなすごい記録が出たら
陸連も大慌てかもねえ。
この大会は、doironにとっても
非常に印象深い大会です。
第1回大会から20回近く出場しています。
前の千亀利マラソンの時代から見たら
20回は越えていますねえ。
自分の自己ベストもこの大会です。
それに何といっても、
地元の大会ですから、
亡くなった父母もしっかり
応援してくれた大会でした。
それに加えて村の人たちも大勢
応援してくれましたねえ。
若い時は、出るのがとても
楽しみな大会でした。
そうそう我が市を通るときには
エイのママさんたちも
応援してくれたしねえ。
思わず「生ビールいっぱい」と
言いそうになりました。
いつも水泳とかを頑張っている
当時のジムの前なんかも走ります。
実は、今回の大会では
その昔のジムの仲間が、
25年ぶりくらいに
フルマラソンというか
ランニングの大会に復活するのです。
これがとても楽しみでねえ。
彼は若い時にはギリシャの
スパルタスロンも経験しているし、
フルマラソンも
サブスリーランナーなんです。
そんな彼も仕事の加減とかも
あってランニングをやめ、
すっかり一般人化していたのですが、
最近近所の人たちと自転車で
毎週牛滝に行くというのを
するようになったら、
運動する気持ちが
芽生え始めたようですね。
とはいえもう昔みたいな
運動をするわけではなく、
自転車でワイワイ言って
その後飲み会というパターンでしたけどね。
でもまあとりあえずはフル完走を
目指してみようというところに
立つようになったわけです。
すごいですねえ。
doironが彼と知り合ったのは、
彼も超一線級から一歩退いた後でした。
doironが30歳中ほどだったかなあ。
その当時は彼の練習のランを
見ていてもサブスリーは
無理な感じでしたが
でも10歳くらい若いので
勢いはありましたね。
泉州マラソンで10キロを
40分くらいで走っていたときに、
ふと後ろを見たら
彼がいたのにはとても驚いた
なんてことがありました。
そんな彼が、ついについに
フルマラソンに再挑戦をするのです。
しっかり応援するからね
とグループラインをしたら、
「とりあえず大津川より以北でお願いします」
なんて返事が返ってきたりします。
いやあそんなこと言わんとと
昔の仲間に怒られてましたね。
で、どんな格好で走るの?てきいたら、
ブルーのランパンランシャツで
ナイキの厚底ではないとのこと。
一番目立つのは、膝の痛々しい
テーピングだと言ってました。
忘年会の時も、仕事後
30km走って参加します、
なんて言いつつ終業後一時間くらいで
ちゃんと現れましたから、
そんな練習課程なんかも
ワイワイ楽しく騒ぎながら
楽しんで過ごしていたのでしょう。
果たして彼が完走するのか、
それとも驚くようなタイムで走るのか、
これはとても楽しみなのです。
それと今通っているうちのジムでも、
このマラソンに出る人がいます。
彼女は4時間を目標に
走る予定をしているそうですが、
果たして今回はどうなるでしょうか。
ジムのみんなで応援計画を
やり取りしているみたいで、
doironさんはスペシャルドリンク
容器つくりねと依頼されました。
グッズを集めて作った
スペシャルドリンクの容器は、これ。
青は前半、黄色は中盤、赤は後半の予定です。
心の色に合わせています
それに合わせて飲み物を
入れていきましょう。
そしてレース後は、
多分応援団で王将で
乾杯となる予定ですね。
いやあ、それにしても
何も自分が走るわけでもないのに、
これでもかと思いっきり
遊んでいますねえ。
われながらあきれたもんですなあ。
では選手の皆さん、応援の皆さん、
あしたはしっかり楽しみましょう。
でも、雨やったらどうしようかなあ ・・・
18切符で福井を旅した物語も
鯖江を終えて福井への旅と
なってきています。
終盤ですね。
でもねえ、ここで少し休憩です。
あさって近所の道路で
泉州マラソンが行われますので
そのことを書きます。
―――――――
ちょうど昨年の夏に
このマラソンのコースを
全部歩きました。
途中、なんどか南海電鉄を
利用しながら、スタートから
ゴールまで行きましたね。
道路には黄色のペンキで距離数が
書いてあったり、収容地点の
表示があったりというのを見つけて、
それをたどって行くような
面白い歩きでした。
歩きの中には、現役時に
こんなことがあったなあ
とかいう思いでもあったり、
今はこの辺で応援してますよ
ということも紹介していきましたね。
そんな泉州マラソンもコースを変えずに、
またまた今年も行われるわけです。
doironは今年も昨年と同じく、
浜寺公園、約9km地点、
約31キロ地点、約41キロ地点、
ゴール付近で応援する予定です。
トップから最後尾まで全部
最初から最後まで応援すると、
他の地点の応援が
出来なくなったりするので、
切り上げることもあります。
なのでそれぞれに時間的誤差が
できますので、応援できる人、
出来ない人は出てくるでしょうから、
その点はよろしくお願いします。
え~っと、どんな格好で
応援しているのっていいますと。
そうですねえ応援時には頭の上に、
こんなトナカイの角を
付けているはずですから、
それを目当てに探してください。
でもたらたら走ってたら
言ってあげましょう。
「ぼーっと走ってんじゃねーよ!!!」
え?還暦もとっくに過ぎているのに、
そんな角を付けたりした
恰好は恥ずかしくないのかって。
いえいえもうこの年になったら
怖いものはありませんぜ。
なんと言われようと平気ですし
新型コロナウイルスも
旧型コロナウイルスも、
きっと避けて通ってくれるでしょう。
あ、応援されている人は、
あんな変な人知り合いじゃない
と避けないでくださいね。
温かい心で応援にこたえてください。
横にもう一匹こんな角を付けている
ジダンが立っていますから、
それも目印になるかもしれません。
あっ、彼はまだ還暦ではありませんがね。
まあアラ還ということで。
あ、応援時にはもうひとつ
気にしてほしいことがあります。
今回の応援は、取材の依頼も
受けているところです。
我が市のランニングクラブの
選手たちということで、
情報を提供することに
なっていますから、
ぜひともdoironのカメラにも
こたえてくださいね。
天気はねえ、すこし今の時点では
心配ですねえ。
doironのよく知っている
強烈な晴れ人間も走るので、
大丈夫かとは思うのですが、
天気予報をよく見て、
それなりの備えで走ってくださいねえ。
この大会を走らなくなって、
もう8年になります。
言ってみればdoironの
自己ベストを出した大会ですし、
亡くなった父母も応援してくれた
大会ですから思い入れは
とてもありますよ。
走れる人たちは、みんな自分の健康に、
そして自分の取り組みに
自信をもって楽しく走ってくださいね。
一生の思い出となる時間を
満喫してください。
派手に応援しています~
でも雨やったらどうしようかなあ
ここに並べられているメガネは、
大村崑のコレクションのようで、
彼が集めた有名人のメガネのようです。
左上のメガネは、
買わないという選択肢はないやろ
というメガネですね。
笑福亭鶴瓶のメガネです。
メガネだけじゃわからないけど、
人物を特定されると
なるほどねえと思ってしまいますね。
そして、その右は
まあ僕もあまり知りません。
西条凡児ですね。
ちらっと見たような記憶はあります。
番組の司会とかしていたのかなあ。
で、下はというと左が高島忠夫ですねえ。
晩年は糖尿病からアルコール依存症でしたが、
結局88歳で老衰で
亡くなったそうです。
写真とメガネは違いますがね。
そして下の右が木梨憲武です。
ほかにも明石家さんまとか
所ジョージのメガネなんかもありましたよ。
まあさほど展示コーナは
広大な感じはなかったですね。
眼鏡を並べた売り場
のようなところもありました。
あ、トイレの男女表示は
こんな感じでしたよ。
そしてお土産も見て帰りました。
こんな眼鏡のもなかが面白かったです。
そんな感じでメガネミュージアムは終了です。
ビルの上の方は会社の事務所
みたいな感じで、ミュージアムは
下の方だけです。
もしここに来るだけで、
交通費をうんと費やして
出てくるのだったら物足りないですね。
18切符ですからいいとしましょう。
さて、そこを出てからは
少し先の方にある川の方に行きましょう。
遠くからちょっと変わった
橋が見えていたからです。
こんな感じですね。
枇杷橋という名の橋です。
メガネのモニュメントが
ありますから目立ちますねえ。
まあだいたいこれくらいで
鯖江のメガネに関する旅は
終わりですかね。
さあ、ではここからまた
鯖江駅の方にもどって行きましょう。
往路で見つけた食堂で
昼飯を食べましょうか。
通常、かつ丼といえばカツを
玉ねぎとかを混ぜて割り下で煮て、
卵を入れて作るのですが、
福井ではこれは卵カツどん
とかいう言葉で表され、
普通カツどんといえば
ソースをかけたカツを置く
どんぶりを表すのです。
そんなカツどんを食べてみよう
と入ったら、ソースカツどんと
大きくメニューに表示されていました。
それが、これです。
なんとカツどんにそばまでつく
高カロリーご飯で、
そこに別途注文した
生ビールがつきます。
ウヒャー、これは計算違いですね。
単にソースカツどんだけと
注文した方がよかったかなあ
と思いつつ、旅先だから
いいかといただきます。
こんな風に「旅先だから」が
おなかをふくらませて、
腹筋をひとつに割ってしまうのですねえ。
罪の意識からか、
ごはんは大半残しましたが、
まあ福井のカツどんは
こんなものかと納得して
店を出ていきます。
ほんとはね、元祖ソースカツどんの
店といわれるヨーロッパ軒
という店がいいのでしょうが、
まあこれくらいで勘弁しておきましょう。
駅に向かって歩いていると、
あれ?
街路樹の根元のプレートに
いくつもレッサーパンダの絵が
描かれてありますよ。
その時はなぜだろうと
思っていたのですが、
後で調べたら鯖江市の
小さな動物園に何頭もいるそうです。
これには驚くような理由があるんだ
という人もいます。
中国からメガネフレームを作る技術を
よこしてくれたら、パンダをあげる
といわれたそうです。
なので鯖江市も喜んで
フレームつくりの技術を授けたら、
くれたのがあの白黒のパンダではなく、
レッサーパンダだったという
お話があるそうです。
ああ~なんかやられちゃいましたね。
そうしているうちに、
鯖江駅に着きます。
ここから福井までは15分くらいで、
1時間に一本くらいに電車があります。
まあ後のことを考えたら、
まだここで1時間ちかく
過ごせそうなので、
駅の近所のお寺などを
少し回ろうと考えました。
続く
ベンチとかも置かれてあったのですが、
あまり人気はありません。
でかい道なのに車も
ほとんど通りませんねえ。
地域の高齢化もすすんでいるんでしょう。
こういうメガネ型の案内や
啓発看板はちょっと面白かったですねえ。
でも、目玉が飛び出るほど
面白いというものでもなかったです。
途中国道8号線をこえていきます。
この道はやはり交通量も多いですねえ。
眺めてみると「8番らーめん」
というお店もありましたよ。
8番らーめんなら、
1番らーめんのお店の方が
うまいんじゃないの?
なんて声が聞こえてきそうですが、
これは国道8号沿いだから
こんな名前になっているんですね。
鯖江だからメガネみたいな形の
「8番」というわけでもないのです。
南の方には食堂が見えてますねえ。
帰りはあそこで昼飯かなあ。
今回思っていたのは、
福井といえば「ソースカツどん」ですねえ。
椎名誠の小説や、いろんな案内本にも
登場しますので、ぜひとも
体験しておきたいところです。
「帰りにあの店に寄ってみましょう」
そんなことを考えながら、
鯖江の駅から約一キロくらい歩いて、
ようやくメガネミュージアムに到着です。
とその前に前方に高架道路が見えますよ。
ああ、あれが北陸自動車道ですね。
そういえばメガネの町、
鯖江のあたりを通るときに、
屋上にメガネの飾りがあって
目立っていたあのビルが
メガネミュージアムの建物だったんですねえ。
では中に入っていきましょう。
え~っと、入場料は無料ですね。
入ってすぐのところに
こういう彫像がありました。
増永五佐エ門翁と書かれています。
これが、doironが自転車を漕ぎながら
読んだ小説「おしょりん」の登場人物です。
田んぼも畑も川も農道も
すべてが雪で覆われ、
その雪が硬く凍りつき、
けっして割れたりしない状態を、
この土地の人は
「おしょりん」と呼ぶそうです。
それくらい硬くしっかりした意思で
眼鏡つくりを始めたこの人の物語です。
何も技術の無い所から取組はじめ、
明治に「内国共産品博覧会」で
一等を射止めて福井のメガネを
東京ものや大阪ものと
並べられるほどになったそうです。
そんな増永氏に敬意をこめて、
ここに彫像を置いているそうです。
増永氏がメガネを作った頃は、
頭もいいのに黒板の字が見えなくて、
苦労をした子供もいたそうです。
でも、かといってメガネを
かけると変なものを顔に
つけているなんて
言われたりしたそうですね。
メガネの登場で、そして
その普及でとても助かった人は
たくさんいたでしょうね。
眼鏡に助けられている人は
今の世にもたくさんいてはる
のでしょうねえ。
doironも乱視や老眼で、
そのうちメガネなしで
生活できなくなるのかなあ。
それではそんな増永氏の像に
最敬礼して中に入っていきましょう。
あ、昨年に100万人目を
向かえたのですねえ。
景品は、メガネ一生分だったりして・・・
展示はメガネの歴史なんかから始まります。
いろんな種類のメガネがありますねえ。
これは頭痛をとる
といわれていたメガネです。
それからこれは双眼鏡なんだそうです。
面白いですねえ。
材質もいろいろと変遷してきたようですね。
セルロイド、なんてのも
メガネを通じて知りましたね。
中の方には、有名人のメガネを
集めた大村崑のコレクションもあります。
眼鏡とそれを付けている人の名前を
一緒に表示しています。
例えばこの写真。
左上が「横山やすし」、
メガネメガネ~といって探したやつですね。
その横が「石坂浩二」
結構お年なんですが頑張ってはりますね。
下の左が「上岡龍太郎」。
もう長い間見ませんね、
元気にしてはるんでしょうか。
それから下の向かって右が
薬丸裕英になっています。
では、続きは問題です。
これらのメガネは誰のものか、
当ててみてください。
続く
敦賀から鯖江までは、
各停で40分ですね。
田舎の町を進んでいきます。
越前海岸とか見えるかなあ
と思ったのですが、この辺は
かなり山の方を北陸線は
走っていますねえ。
竹藪から来ているだろうという
由来を持つ武生も過ぎていきます。
そうそうマラソンを走り始めたころに、
福井マラソンというのを
走ったことがあります。
マラソンを始めて4戦目くらい
だったと思います。
制限時間は確か3時間20分。
市民ランナーには厳しい大会でしたね。
doironは初マラソンが
3時間19分28秒だったので、
あのままの調子でいけばいいか
という感じです。
でも走り出してすぐに
無謀だったことに気が付きました。
途中途中にきびしい関門があるのです。
何とか切り抜けて走っているのですが、
周りの人はなんか余裕です。
世間話をしながら走っている人もいましたね。
そして最後の30キロの
関門はもうぎりぎり。
多分30km関門をこえた選手の
けつから5番以内にはいっていたと思います。
関門の先には、へとへとになって
倒れているものもいましたね。
結局そこはまあ30kmの関門さえ抜けたら、
ゴールはできるだろうという設定でした。
確かにdoironもへとへとになって、
福井の陸上競技場
(あの桐生君が9秒台を出したグランドの前身やね)
にゴールしたけど3時間8分という、
その時の自己記録でした。
電車の中から田んぼの中を
一直線に走っている道の
光景なんか見てると、
そんな懐かしいことを
思い出したりしましたねえ。
とまあそんなことを思い出しているうちに、
電車は鯖江に到着です。
え~っとここは、魚のサバが
よく取れるところで・・・
というのは間違いですよ。
鯖江市は海に全然面してません。
どうもいわれはサバのような形をした
矢じりを持つ矢が飛んでいたことから
「鯖矢」というものがありました。
その矢じりのサバと深江の江から、
「鯖江」と名付けられたというのが
一般的だそうです。
改札で切符を見せて電車を降りたのが、
10時33分でした。
駅前に出ますと
「近松門左衛門の生まれ育ったまち」
というのと、
「めがねのまちさばえ」と
いうのがあげられていました。
眼鏡博物館に向かうのは
駅の反対側なので、
少し離れたところにある地下道を
くぐっていきます。
すると、足元にこんな光が・・・
照らされていますよ。
ああ眼鏡を強調してますね。
それから階段の段差の所にも
眼鏡の形が彫り込まれています。
出たところにこんな眼鏡の
展示物の案内がありました。
へ~こんなんあるんやと思った瞬間に、
このかけ眼鏡車止めというのを
すぐ横で見つけましたよ。
確かに眼鏡を売り込もうと
しているのですけど、
すこしインパクトが低いですねえ。
眼鏡の形だけでなく、
眼鏡をかけてしっかり見よう
みたいなコンセプトも欲しいところです。
そしてこれが、鯖江駅から
メガネミュージアムに続く
メガネストリートという道路です。
なんかこういう新しいところに来たら、
もうあちこちが気になりますねえ。
なにかこの辺だけの変わったものは
ないかとか、そんなことが
気になって仕方ありません。
なんか心がわくわくしますねえ。
あ、これはメガネの
ガードレールですねえ。
ビルにも「めがねのまちさばえ」の
プレートがあります。
なんでもこの町の自営業は
メガネに関する仕事が
大半なんだそうです。
なので地元の人なんかは
全員メガネをかけているかと思えば、
たまたまかもしれませんが、
メガネの人は少なかったのが印象でした。
あ、こんな眼鏡のベンチや
椅子も特徴的ですね。
でも車も大して通らない広い道のわきで、
こんなベンチに座って
くつろいでいる人は
一人もいませんでしたが・・・
続く
直通快速で大阪に着いたのは
7時32分でした。
あ、直通快速というのは、
阪和線が快速の停車駅どまりで
環状線が各駅停車の電車です。
朝の通勤時に便利な快速なんだそうです。
和泉府中からは
48分で大阪駅に到着です。
次に乗るのが、敦賀まで
2時間5分のるという新快速です。
駅のコンビニでお菓子を買い、
さあ乗り込みましょう。
幸い座ることができました。
これでまあひと安心です。
でも新大阪をこえ、
高槻に向かっているときに
車内アナウンスを聞くと、
この電車は京都で切り離され、
前方車両が湖西線経由の
敦賀行きで後方の車両が
米原行きとなるようです。
今、doironが乗っているのは
後部車両ですから、
京都駅からは前方車両に
乗り換える必要があります。
ちょっとこの辺は事前の
下調べでは抜けてましたね。
仕方ないので、京都で電車を飛び降り、
前方まで走って移動しました。
幸い二人がけの席が一つ空いていて、
年配の男性の横に座ることができました。
しかしねえ、ここが大失敗。
すぐ後ろに大阪弁のおばちゃん連中が
座っていて大騒ぎです。
これはいけません。
旅の情緒なんてものはぶち壊しです。
どうもこの人たちも
18切符で旅行をしている模様ですから、
出来れば避けたいですねえ。
幸い大津峡を過ぎたところで
席が大分あいたようなので、
前方の車両に移動。
やっと静かに、二人掛けの椅子に
一人で座ることができました。
落ち着いたので、ちょっとオヤツ補給です。
びわ湖の景色を見ながら
チョコを少し頂きます。
できればもうビールなんかも
あればいいのですが、
まだちょっと旅気分が
盛り上がってきてません。
何となくくもっている
琵琶湖の景色を見ながら、
福井に思いをはせる
doironだったのでした。
湖西線を眺めながら、
学生時代にこの道を友だちの車で
北陸を行き来したことや、
駅伝逆回り事件を
思い出したりしながらも
ゴトゴト揺られていきます。
ああ大きな人形の立っている
駅もありましたねえ。
あれは何かなあ。
また調べなくては。
そして北の方に差し掛かってくると、
この電車からメタセコイア並木は
見れたかなあと思いつつ
景色を眺めていますと、
おお~きれいな虹が出てきました。
ずっと同じ方向に虹が輝いています。
これはまあ、今回の旅に
いいことあるぞーという
前兆なんでしょう。
そしてそんなそんな方向に
一瞬メタセコイア並木の木々が
見えたような気もします。
ここまで電車はほとんど
すわって来れましたし、
大阪の騒がしい一団とは、
かなり外れていますから、
異国情緒たっぷりです。
びわ湖の北の方では、
多分あれは余呉湖なんでしょう。
そのあたりから、線路は
トンネルを多くくぐっていきます。
びわ湖の北側の山岳地帯を
こえていくのですね。
トンネル越えたら、そこは北陸でした。
目的の敦賀市はまもなくです。
さてではまず敦賀のことに
ついて押さえておきましょう。
なぜ「敦賀」なのか。
鶴がいっぱい舞っていた
というような話ではありません。
敦賀市のホームページには、
こう書かれてあります。
「敦賀の地名の由来にはいくつかありますが、
『日本書紀』には、崇神天皇の時代に
朝鮮半島から「都怒我阿羅斯等」(ツヌガアラシト)が
この地に渡来したことにちなんで
「角鹿」と呼ばれるようになった。
必ずしも史実かどうかはわかりませんが、
古くからの大陸との関わりを思わせる、
興味深い説話です。」
大陸に近い場所ですから、
こんな由来を持っているのですねえ。
敦賀は昔、20kmマラソンなんかでも
よくきましたねえ。
20kmなんて初めて走る大会
だったので、なんと長いんだと
思った大会でしたね。
そのときは車で来ていたので、
駅は初めてですねえ。
降りてみてみようかと思ったのですが、
乗り換え時間が3分しかないので、
帰りに期待してここは
そのまま福井行きの
電車に乗り換えました。
続く