さて絵を描いたのは、
もう2020年度に入って12枚です。
これでもうあと言葉を入れれば、
カレンダーも完成のような感じですが、
今はお出かけが減っている中で、
まだまだ絵が生まれてくるかもしれません。
実際に次は何を描こうかと、
いつも考えている自分がいます。
例えばスーパーに買い物に行くと、
あれが食べたい、これが食べたい
という思いよりも、
これを描くのはどうかな?
などと考えてしまいます。
そんな希望に基づいて買い物をしてくると、
これで一体何を作れというの?
とミセスが言うような買い物に
なったりします。
先日もキノコを描こうと思って、
シイタケ、エリンギ、シメジ、
ナメコ、マイタケを買っていったら
「栽培するの?」と聞かれました。
う~ん、それもいいかもと一瞬思いつつも、
ま、とりあえず絵に取り掛かって
みようと始めたのですが、
これがなかなかうまく描けません。
まあ色合いが地味で、
しっかり描けば描くほど
キノコマニア風な絵になるので、
いったん中止です。
何かいい方法はないかと
もう少し考えていくことにします。
仕方ないので、ミセスには
小分けにして鍋に入れてね
とお願いしておきました。
確かにその日はシメジと
マイタケの入った豆腐鍋でしたね。
ヘルシーですけどね。
お絵かきに失敗したdoiron画伯には、
感慨深い鍋となりました。
でもまだまだ負けませんよ。
一旦始めた趣味ですから、
めげずにもう少し頑張っていきましょう。
さっそく今度は何を描こうと
また考え始めました。
スーパーに行った時、
畑を眺めた時、日常生活の中で
目に付くものはないかと
きょろきょろしつつ考えていきます。
doironの絵は絵手紙風に描いています。
そこに書く言葉も結構考えるのです。
その考え方は描いた素材が
こんなことを言ったら
面白いかもというような
スタンスが強いのです。
なので逆に言葉が先に浮かんで、
それに当てはまる絵を描くという
描き方もあったりします。
これまでの絵では、寝ている信楽焼の狸や
トマト
イチジク
落花生
ナシ
なんかがそんな絵です。
だから素材を考えるときに、
そんな風に考え方の断面を
変えて決めていくという手もあるのです。
あれ?ちょっと待てよ。
その「断面」という言葉が
気になるじゃないですか。
断面から浮かぶ言葉って、
いろいろあるような気がします。
具体的にどんな言葉になるか
まだよく練れていませんが、
とりあえずは「断面」を
描くことによって、
思いを膨らませていこうじゃないか
と思ったわけです。
早速スーパーにいって、
断面を描くようなものを探したら、
これまであまり書いたことがないような
かぼちゃの断面やキャベツの断面が
気になりましたので、
さっそく買ってきました。
まあ、この辺の食材は柔軟性があるので、
さほどミセスの反対にも会いませんでした。
よしよし。
ではさっそく描いてみましょう。
これはさすがに使用する色が
多いようですね。
まっさらの使い捨てパレットを
使いましょう。
かぼちゃの黄色、
キャベツの緑の色合いが
むつかしいですね。
それとかぼちゃの陰部分の色、
キャベツの葉と葉の間の陰の
書き方もむつかしいです。
また意外にキャベツ断面は
黄色が強かったりもするんですねえ。
気を抜かずに書いてゆきましょう。
で、書き終わってから、
なんか少し寂しいので、
野菜のバックにマヨネーズの
絵も描き足しておきました。
そうしてできたのが、これです。
キャベツはそこそこ描けましたね。
かぼちゃは左側の陰の部分がむつかしく、
腐っているような感じになったかなあ。
まあこれも一つ新しい勉強ですね。
紙を広げて絵筆を持って、
こんな風にコロナ対策を
しているdoironなのでありました。
さあつぎは何を描こうかなあ。
希望があればぜひ教えてくださいね
ーーーーーーー
それでは今日の
コロナやっつけ対策第3弾
え~、不要不急の人は出かけずに
家で時間を過ごしましょう。
これがコロナ対策には有効ですね。
まあゆっくりとワインでも飲みながら
4000話以上ある
doironのブログを見て
退屈しのぎしてくださいね~
これが今日の対策で~す。
引き続き、絵を描いてゆきましょう。
先日の事です。
我が家の玄関の下駄箱の上には
ひょうたんが三つ置いてあります。
以前からこれに絵を描きこもうと
画策していたのですが、
果たして水彩絵の具で
描いたりできるのかなどと
ぼんやり考えていたのです。
ところがある日近所の
とってもにぎやかなおばさんが
我が家にやってきて、
そのヒョウタンを見て
ミセスにこういうのです。
「このヒョウタンって作るのに
とても手間がかかるから、
いただいたらうれしいよなあ。
大事に飾らないとね」て
言ったらしいです。
確かにそうですよねえ。
いろいろと話しの中で、
これあげるわあといって
持ってきてくれたヒョウタンです。
もちろんありがたく頂戴したので、
喜んでそこに飾っている
わけなのですが、
実はもともとその人から
「ここに絵でも描いたらどう」
なんて言って
進められてもいたのです。
そんな話をミセスからきいて
おばさんの話とあわせて
思い出したので、
じゃあとりあえず絵に
ヒョウタンを描いて
そこに絵を描き加えてみよう
と考えたのです。
ではどんな絵を描くのかが問題です。
ヒョウタンを見て最初に
思いついたのが、
その形から浮かぶパンダです。
そしてもう一つが女の子です。
ヒョウタンの形を生かして、
ふさふさの髪を生やして描けますね。
うう、あこがれもあるのか。
そして最後が、今の季節ですから
桜ですかね。
花見をテーマに、
桜の花が咲いてるようなやつです。
頭の中にそんな絵を頭に描きつつ、
絵を描きました
パンダは後で実際にヒョウタンに
描きやすいようにシンプルにしました。
これだとマジックペンで
描けそうですね。
女の子は思い切って笑顔にしました。
かわいらしくヒョウタンの先に
花も描き加えました。
桜は、近所の桜をイメージして
描きました。
幹に横筋の入るのが桜の特徴ですね。
頑張って描きました。
まあ、今のdoironにとっては
これくらいが精いっぱいですね。
その絵がこれです。
もう少し情緒的に描きたかったのですが、
そういう腕はまだありません。
そんな絵を描いて、
あとは言葉なんですが、
これはもう少し考えてみましょう。
とりあえずは、置いてある
ヒョウタンにもパンダの絵を
描いておきました。
ミセスに内緒でこっそり描き、
黙って置いてたら一時間後くらいに
玄関から悲鳴が聞こえてきました。
「ウヒャー、こんな絵だったら
あのおばさんに何か言われそう」だって。
「気に入らんかったら隠しとき」
と言ってやったのですが、
今もこんな風に玄関に置いていますから、
まあもう人に何といわれても
あの旦那やから仕方ない
と思っているのでしょう。
ヒョウタンの乾いたやつを
作るのにどれだけ手間が
かかるのか調べてみたら、
結構大変みたいですねえ。
干して、乾かしつつ中身を腐らせて
外へ排出するのも大変な作業のようです。
それからまだしっかり乾かして、
あんなヒョウタンにしていくのですねえ。
あんな下手なパンダを描いてたら
申し訳ないかなあと
思ってもいたのですが、
後でわかったのですが、
なんとその絵はヒョウタン製作者には
大好評で、ほかのヒョウタンにも
描いてもらおうかなあと言われましたね。
もしかしたら、どこかの
フリーマーケットやファンシーショップで
パンダの絵の入ったヒョウタンを
見つけたら注目してみてくださいよ、へへ。
ヒョウタン製作者、
ヒョウタン鑑賞者から
様々な意見をもらい、
絵にまつわるそんな話が
doironの周りで起こったという、
罪のないお話なのでありました。
続く
さて、今日のやっつけ
コロナ対策シリーズ第2弾です。
今日は、歩いたりしているときに
お弁当をとるとき、事前に手を
きれいにしておくことです。
doironはこんな薬品を
使っていますよ。
絵が面白いでしょ。
アライグマの絵です。
荷物もあまり多くないときは
これを持って行ってます。
事前にコロナをやっつけて
おいしい昼ご飯を食べよう
というのが、
今日のやっつけコロナ第2弾でした。
お絵かきの話を書き始めた時、
どうやらコロナウイルスの
緊急事態宣言が出されたようです。
テレビを見ていると、
いろんな業種が営業自粛する
と報告されています。
まあ、でもdoironはたいして仕事にも
人ごみの中に行くこともなく、
電車もほとんどのらないので、
もともと人との接触人数は
あまり多くありません。
う~ん、一番多くの人と接するのは
スーパーに買い物行った時くらいでしょうか。
あとは、スポーツジムなんですが、
これがねえ今はとても希薄接触なんです。
先日、ストレッチを終えて、
さあて帰るかとジムを見渡したら
貸し切り状態だったことがありました。
自主的にジムを制限している人もいれば、
昼間やってくる高齢者は
休会届を出したようです。
よく話をするのはトレーナーと
ラン仲間など数人くらいですから、
非常に希薄な状態で人と接していますから、
まあ大丈夫でしょう、
と思っていたのですが、
なんとそのジムも今日から
休みとなりました。
いやあいったいどこまで
行くんでしょうかねえ、コロナ君。
ジムの休みには、日ごろの運動を
どこかで取らないといけません。
doironはやはり散歩ですかねえ。
散歩やジョギングはやってくれて
いいんじゃないですか、
との意見はテレビで関係者さんなんかも
皆さんおっしゃってましたからね。
だったら、ジム迄必ず歩いて行って、
やっぱり今日も閉まっているか
と歩いて引き返すていうのもいいかもね。
日頃の一日をご近所、あるいは近隣市、
それとか近畿地方くらいだったら
車で行って散歩していいのかなあ
とか考えてしまいますよ。
この辺はしっかりと
いろいろと考えてみましょう。
ところで皆さんはこのブログの
出だしに掲載しているdoironの
コメントを読んだことはありますか。
いまは
「オリンピックも延期
ああいったいコロナはどうなるのか
これから夏に向けて収束に向かうのかなあ
気軽に歩きたいです」とこうなっています。
この文章の中で、気になる部分が
ひとつあります。
それはコロナが“収束”していく
という文字です。
テレビでコメントを見ていると、
たいがいがこの「収束」を使って
いるのですが、たまにこの
「しゅうそく」が「終息」という字に
なったりします。
どこかに間違いがあるのか調べてみました。
収束はこれまでまとまらなかったことが、
一本化していくこととあり、
終息は物事が終わる最後の事とあります。
ああ、どちらにも使えそうですねえ。
書いている人の想いが
そこにあったりします。
じつはdoironのそのコメントの中の
この文字も最初は収束だったものが、
一時「終息」にかえ、そしてまた今は
収束にかえていたりします。
なかなか終息してしまうほど
一気に消えることはないかもなあ
という思いです。
ま、我々もいろんな思いで
気を付けないといけませんね。
散歩に出ても人と
密接するようなことはしない。
密集地にはいかないなどね。
そこで、このブログでも
一つ取り組みを増やしていきましょう。
それがdoironの
今日のコロナ対策シリーズです。
コロナ対策シリーズ その1
本日の一回目は、昨日書いた
絵手紙を上げておきます。
これを送ることで、
自分も皆さんも気を付けましょう
ということです。
明日からブログの文末に何かあれば
掲載していきますね。
ただし、まったく医学的に根拠も
ないこともあるかもしれませんし、
そんなんあかんやんとバカに
されるかもしれませんが、
こうして書くことで自分の意識を
高めていこうという取り組みですので、
知らん顔しといてください。
でもあなたなりのコロナ対策にも
少しでも役立てばという、
doironのありがたい取り組みの
ひとつなのです、へへ。
外へ歩きに行くというのが、
最近のdoironのメインの
遊びなんですが、
これがねえ、最近は
とっても制限されてしまうのだ。
ニュースを見てても
「不要不急の人は外出しないように」
「不要不急の用事は後日に」
などと流れている。
だったら
「不要不急に生きてる私は
どうすればいいの?」と
言いたくなりますわあ。
まあ不要不急ですが
遊びに行くくらいいいかなあと
考えたりして
あちこち出かけようと場所を検討しても、
なかなか行く先がむつかしいのです。
以前も六甲に行こうとすれば、
大阪から兵庫へ行くのは
自粛と呼びかけがあった。
そんな中リュックを背負って
電車に乗って兵庫方面は
行きにくいものだ。
なのでたいがいは車で移動となるのだが、
そんなことを考えていると
なんかやはり出にくくなる。
厄介なものですねえ。
いつまでこんな時期が続くのかなあ。
早くさっぱりと出かけて行って、
あちこちウロウロと
歩き回りたいものです。
じゃ、こんな時には何をしているかというと、
家でぼちぼちとお酒を飲んでます。
というわけではない。
読書、DVD鑑賞、ブログ作成、
ジム通いとまあいろいろと
忙しくはしている。
中でも一人おうち遊びとして
ぴったりなのがお絵かきだ。
ブンゾウさんで補充に買った
スケッチブックや絵の具なども
たっぷりある。
100均で買ってある
使い捨てパレットも十分あるので、
道具には困らない。
では絵を描き始めてみよう。
と、ここで最初の問題に
ぶち当たります。
それは何を描くかということです。
今の時期といえば桜やタンポポ
とかもいいのですが、
なかなかこれはむつかしいところだ。
今の時期ねえ、と考えていたら
ふと思いついたのがありますよ。
これだけ世間を騒がしている
コロナの時期ですから、
いやでも目に付くものを描きましょう。
それがマスクと手指の消毒薬です。
マスクは持っている奴を
机の上にひろげてスケッチしましょう。
ただペタッと置くだけでは
絵になりませんね。
使い捨てのような感じで、
軽く広げて絵にしていきましょう。
そして消毒薬はというと
ネットでいろいろと見たうえで、
想像しながら描いていくことにします。
鉛筆で軽く下書きしたものを、
固めてゆきます。
それが出来たら、色付けですね。
まずは「パーマネントホワイト」と
「グレイ」まあこの2色で
マスクは描けますね。
実はこのパーマネントホワイトは
お気に入りです。
不透明性で、すでに
描画しているところに追加で
描いても結構白が生えるんです。
ま、初心者向けの白ですね。
そこに影の部分に塗るグレイですね。
消毒薬は、薄い黄色の瓶にしましょう。
これもホワイトにしてしまうと
全体に色が薄すぎます。
ある程度印象的な感じも
欲しいところです。
瓶を赤や青にすると、
なんか派手でそんな色の
消毒薬あるのって感じですもんね。
なのでレモン色。
日の当たり方でできる
影の部分には黄土色を
入れましょう。
そうそう、それから薄いブラックは
必要ですね。
どこに使ってるかなあ。
あとは張り紙に使う色として
赤を追加します。
すこし濃いローズマターがいいですね。
それと文字の部分で
少し青をいれた緑。
まあこれくらいで足りるでしょう。
では描いていきます。
まずはマスクから。
上の部分から光が
当たっているように
描いていきます。
影の部分には思い切って
グレイを入れます。
そうして出来上がったのが、
これ。
ふむふむ、今の時期なら
いいんじゃないですか。
ピクスタなんかでも
要望あるんじゃないかなあ。
アップしておきましょう。
そしてここにいれる言葉も
すぐに思いつきました。
これです。
いいですねえ。
ではまずこれをA4判にして
玄関に展示です。
そしてデータ化したのを、
はがきサイズにも縮小して、
印刷アンド上書きして
友達に送ることにしましょう。
季節の挨拶というには変ですが、
今の時期ならなかなか
インパクトのある絵手紙に
なったかもしれません。
続く
さあて新年度にもう入っています。
新年度なんて言葉が出てきがちなのは、
前の仕事の影響も強いですね。
あの職場から退職して8年が経ちます。
その間別のお仕事をしたり、
趣味的なお仕事で
淡々と過ごしてきましたが、
あっという間の8年でしたね。
脳梗塞もしましたねえ。
それらは全部ブログに残しています。
いやあほんとにこのブログは
50歳以降の自分の記録になっています。
最近、お仕事っぽい仕事をしてるのは、
地元市の広報紙の仕事と
もう一つ交通安全の仕事くらいですか。
後者は何も収入にはならないけど、
昔から一緒に遊んでいた人の
お仕事のお助けみたいなものです。
でもこれらの仕事の担当者も
新年度に入ったら人事異動で
ころっと変わるかもしれません。
なので事務的な連絡もあったので、
関連する部署も回って
その状況を確認しに
行ってみようと思い立ちました。
でもこんな感じで地元市役所も
くるくる回るなんて想像も
してなかったですね。
前の職場さえ退職後出かけていない
というのに、自分でも変な感じです。
まず最初に出かけたのは
交通安全の担当課のところです。
担当部署に行くと、
ああいつもの通り担当者が
あそこに座っているぞ
とまず目に入ってきます。
もし異動があったのなら、
机の片づけや新任との
打ち合わせなんかをしてるだろうから、
状況からしたら現任のままかな。
こちらの姿を見かけて、
奥のテーブルに呼び込まれます。
まず最初は仕事の連絡です。
4月に入ったら春の交通安全の活動で、
駅前でビラ配りなどもあるのですが、
今年はなんとこれらの活動が
すべて中止になったとのことです。
もちろんコロナの影響ですね。
不要不急の活動なんですかねえ、
なんて冗談をいったりしています。
市役所もそういう仕事が
なくなったのも楽かもしれませんが、
でもいろいろと不自由を感じることも
多いのだという感じでしたね。
そしてもうひとつ連絡事項があって、
doironたちの活動が今度
表彰を受けるかもしれない
というお話です。
さる上部団体で担当者が取り組みを
説明してきたところ
そんなお話になっているとのことでした。
まあいろいろと認めてもらえるのは
いいことですね。
みんなの頑張りも評価されてうれしいです。
で、最後に聞きました。
「君は異動の対象にはならなかったの?」
と聞くと
「そうなんです。
この部署ももう9年目に入ります」とのこと。
まあこちらとしては
やりやすいのですが、
ちょっと昇格とかしてあげて
ほしいところではありますな。
まあこれからもよろしくねと、
そこを去り、次は広報担当課に
行ってみました。
ここは秘書の隣にあるので、
秘書の前をさりげなく
通ってゆきます。
ちょっと視線を感じたのは
よく知ってる秘書の担当者が
こちらを見ていたのでしょう。
でも用事は隣の広報ですから、
そのまま通り過ぎてゆきます。
事務的な連絡をふたつ済ませます。
報酬の振込先についての連絡と
少し前に言われていた
レポーター再任の書類申し込みです。
話しの中で、担当者の異動の話があり、
新任の若い人を紹介してもらいました。
そしてもう一つ、doironを
この世界に引き込んだ
えらいさんも異動があったとのことです。
同じ部署の中でひとつ昇格し、
座る席が秘書の方になったとのこと。
ああ、先程視線を感じたのは彼だったのか、
と思っているとそちらから
その職員がやってきました。
「なるほど、そんな異動やったんやね。
おめでとう。これでまた市長に
物が言いやすくなるわ」
といっておきましたよ。
まあこちらは昇格だったので
良かったです。
これらもみんなdoironのおかげですな、へへ。
広報としてもコロナの関連で
イベントが減り仕事の割り振りに
困っていますとのことでした。
大変ですね。
でもまあそんな状況は
経験したことがあるから、
言ってくれたら柔軟に
対応するよと言っておきました。
新年度、新しい春もコロナのせいで
大変な出だしですが、
みなさん負けずに頑張ってください。
と現役の頃を思い出しながら
エールを送っておきました。
doironエールです。
そしてdoironもそれなりに
頑張っていかなきゃねと
こちらもあらためて思った
年度替わりの市役所訪問
だったのでした。
皆さんも頑張りましょう
今回歩くのも、もう終盤に
差しかかってきました。
あと残すのは和歌山城
くらいでしょうか。
気象台から西向いて城の方へと
歩いていきましょう。
するとその先の交差点に
「小人町」
という交差点がありました。
読みは「こびとまち」と読むそうです。
う~んこれは放送禁止用語かと
思ったら違いましたね。
昔殿様を守る下級武士たちの中で
槍とかを持っている下級武士を
「御小人(おこびと)」と
言ってたそうです。
その武士たちが住む町だったのですが、
明治になって殿様を尊敬する
「御」はつけなくていい
ということになって、
この名前が出来たそうです。
城の周りの武士たちの町ですから、
ほかにも駕籠をかついでいた人のいる
「駕町(かごまち)」というのも
あるとのこと。
さすがに城下町って感じですねえ。
西汀町に入ってお堀が見えてきたら
和歌山城ですね。
右手に虎伏山が見えてきました。
観光案内所の前を通り、
こんな案内を見ながら進んでいきます。
西の丸庭園は紅葉谷庭園
ともいわれています。
虎伏山の斜面を利用して作られた庭で、
池、植栽、岩、建物などが
作られて、紀州の殿様の
数奇や風雅を楽しむ場所
として作られていたそうです。
そこから山中の石段を
ずっと登っていきますと、
途中にあるのが銀名水という井戸。
水はたっぷり確保していたようです。
そして天守閣の広場に出て行きます。
あ、忍者がウロウロしていますよ。
ボランティアかなあ
と思ったのですが、
後で売店の人に聞くと
委託を受けてやっているそうです。
まあちょっと活用して
写真を撮っておきましょう。
忍者をやっつけるdoironと、
二人でニンニンのポーズです。
この日はもう天守閣内には入りません。
これまでに何度も入っているからです。
それよりもおなかがすきましたので、
天守閣広場の食堂でご飯としましょう。
この日は「梅うどん」をいただきましたよ。
うまかったです。
さあこれで今日の歩きは
終わりかなあと下に降りていきますと、
途中にこんな石が建っている
ところがありましたよ。
七福の庭と呼ばれています。
立っている石が七福神に
見立てられているそうです。
でもねえ、城内に何故この庭が
作られたのかはまだ不明だそうです。
さらに下っていくと、
最初城に入った岡口門の
ところに出ていきます。
ああ、そうだ、ここにあった森が
気になりますね。
すこし中を見てみようと入っていくと、
そこにはなんと「動物園」が
あったのです。
姫路や龍野など城の周辺に
こういう動物園が多いですね。
池田も公園にありましたねえ。
昔は人集めだったのでしょうか。
今の行政なら絶対作らない
施設でしょうねえ。
さすがにここも他度同様に、
無料ですので入ってみましょう。
あ、クマが出迎えです。
ミーアキャットもいましたが、
さほど強烈な肉食動物などはいません。
カピバラのほかおとなしい動物や
水鳥、孔雀などがいましたね。
で、この動物が人気だそうです。
それは「紀州犬」です。
二頭いましたが、誕生日が
同じなので兄弟なんでしょう。
「絢芽(あやめ)」
と
「皐月(さつき)」です。
おとなしい犬で、
ふれあい体験もしているようです。
顔を見たら優しそうな顔を
していますねえ。
でも走るのはすごい早いそうです。
そういえばdoiron家でも、
昔は白い犬を飼ってましたねえ。
長生きしてたけど、
doironが学生で4年間
家を空けてた時に亡くなりました。
名前は「しろ」でしたねえ。
彼女もとてもやさしい犬でした。
さあ、では本当にこれで
今日の歩きは終了です。
岡口門から出て駐車場に
向かいます。
あ、岡公園の傾斜の急な滑り台に、
学校がコロナで休みになったので
子どもがいっぱい群がっています。
東京、大阪などでも大量に
発生しているコロナウイルス。
一体暮らしはどうなって
ゆくんでしょうか。
doironの遊びは続けられるのか、
ちょっぴりやるせない毎日です。
おしまい
昔の寄合橋から、次は南海本線の
駅の方に向かっていくことにしましょう。
住宅街をウロウロしていると、
向こうに銅像が見えてきました。
あの稀代の天才学者「南方熊楠」
の生誕地の碑です。
植物、宗教、環境など様々な部門で
活躍した人です。
白浜で、彼の勉強などを展示した
記念館もありましたねえ。
今でも深い山に行ったら、
彼が研究した粘菌の事なんかを
思い出して、木や石を眺めて
しまいますねえ。
それに年金でやるせなく生活していますし・・・
それは関係ないか。
彼のお墓も行きましたねえ。
田辺にあった高山寺。
熊野古道沿いのお寺でした。
そしてここ橋丁は
彼の生まれた生家のあったところ。
寄合町なども含めて、
このあたりで少年時代を過ごしています。
そうかあ、彼の生まれは
こんな和歌山市内だったのかあ。
思わぬ人の銅像と出合いました。
銅像は彼の晩年の姿でした。
若いころに血気にはやって
勉強した時代とは違って、
静かな表情で立っていましたねえ。
さあ、この辺りからは
駅も近づいてきて、
にぎやかな感じになっていますねえ。
北向いて駅の方に向かっていきますと、
今度はあの勝海舟の寓居地
という記念碑が出てきます。
軍艦奉行だった彼が幕府に派遣されて
和歌山港防衛の工事監督として
やってきてここ(ほんとは50mほど南)
に住んだそうです。
あの和歌浦の砲台建設にも
かかわっていたそうです。
先ほどの熊楠といい、
この勝海舟といい、
これまで歩いてきた土地と
しっかり関連しているんですねえ。
いやあ、なかなかdoironの歩きも
しっかりしているもんですなあ、へへ。
そんな石碑を眺めながら
ここは颯爽と歩いていくと、
南海本線和歌山市駅の前に
出ていきます。
南海本線が「和歌山市駅」で
JRが「和歌山駅」なんですねえ。
ちなみに堺は南海が「堺駅」で
JRが「堺市駅」に
なっているから反対ですねえ。
この南海の和歌山市駅は
最近工事が終わったところです。
市の図書館なんかも
隣接する近代的な建物になっていますねえ。
これが4代目の和歌山市駅
ということになっています。
ちょうど一年前に和歌浦に
行った時以来で、
工事用の囲いもなくなり
様子がかなり変わった感じでした。
さて今回の歩くコースは
ここから南の方へと
歩いてゆきます。
県道15号線の歩道を進んでいきましょう。
ここへとくにゃっと曲がってきている
市堀川にかかる雄橋を渡ると、
右手に市民会館が見えてきます。
そしてその先には、
あれ市民図書館と案内がありますよ。
和歌山市駅にもありましたねえ。
きっと移転したんでしょうねえ。
その先を左折すると、
こんなビルが出てきます。
旧西本組の本社ビルです。
西本組(現・三井住友建設)は
江戸時代末の慶応年間創業の
名門であり、かつては三井財閥とも
関係を結び、多くの鉄道建設を
手がけるなど日本でも屈指の
大手土木建設業者であった会社です。
戦争の大空襲などで多くが
破損した和歌山市内に残る
貴重なビルだということです。
そしてその先にあったのが、
水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)です。
なんとここは
紀州10日戎発祥の社だそうです。
多くの信者でにぎわう戎が
開催されるようですねえ。
お参りしていきましょう。
そこからしばらく広い道の
歩道を進んでいきます。
ここは水門筋といわれる道です。
海善寺を越え、和歌山の
気象台のある交差点に出ていきます。
その気象台の横にあるのが吹上寺です。
ここには、本居宣長の養子で
家督を継いで紀州徳川家に仕えた
「本居大平」の墓があります。
これですねえ。
それともう一つ、水島春水という
画家の墓もあるようですが、
残念ながらあまり承知していません。
ぐるりと墓地を回って出てきました。
続く
ブラクリ丁を歩いていると、
こんな和菓子屋がありました。
総本家駿河屋というお菓子屋さんです。
なんかよく聞く名前ですねえ。
一時破産騒ぎを起こしたところですね。
店の名前から見て
駿河からこちらにうつってきたん
やなあと思ったら違うんですね。
このお菓子屋さんには
長い歴史があります。
徳川家の十男である頼宣公は
京都にある「鶴屋」のお菓子が
大好きでした。
なので、この頼宣公が駿河に
行った時にはその鶴屋も
つれていったそうです。
そしてその後その頼宣公がやってきて
紀州徳川家が興った時にも
和歌山に連れて行ったのですが、
そこに何と店の名前と同じ
鶴姫がお嫁入されてきたのです。
なので同じ名前を使うのは
恐れ多いとして、考えた挙句、
頼宣公と駿河に行った
というところから
総本家駿河屋を名乗るように
なったという話です。
なんか、関東の方の地名を
付けた方がありがたい
という気持ちがあったのかなあ。
それはよくわかりませんが、
そんな長い歴史を持つのが
このお菓子屋でした。
そしてなんとこのお菓子屋の
ある地名は、今も駿河町なわけです。
この駿河町からこの名前になった
という節もあり、その辺はちょっと
不明だそうです。
ではお店をのぞこうかと
思いましたが今日はまだ
歩き回るので、和菓子のお土産は
くちゃくちゃになりそうですね。
遠慮しておきましょう。
そのあたりから、先程歩いた
市堀川の方に向かっていきます。
川沿いに遊歩道があるのですが、
工事中のようで入れませんでした。
このあたりは、昔は納屋川岸と
いわれていたそうです。
紀国名所図会にも描かれています。
紀ノ川からどんどん荷物が
運ばれてきて、川に向けて
いくつも並べられた階段から
荷物がどんどん入ってきたそうで、
和歌山にとっては
重要なところでした。
まあなので河川敷の整備も
しっかり行われているんでしょうね。
そこから道をあるいていくと
「中橋」という橋に出ます。
先ほどの図会にも
描かれていましたね。
その中橋の北側に立派な
地蔵尊がありましたよ。
これは戦争中に大空襲の際に、
ここに逃げた多くの住民が、
波にのまれてたくさん
亡くなったところから、
それを供養するために
建てられた地蔵尊で
「中橋地蔵尊」といわれています。
ちょっと休憩してみている間に
二名の人がお参りしていきましたね。
町の片隅にある地蔵尊なんですが、
地元の人々の心の中には
静かに供養の思いが引き継がれて
いるんですねえ。
ああこんなところに
休憩していたら、
町を用事で歩いているような
おっさんには見えませんね。
コロナをまき散らそうとしている
おっさんにみえないように、
またやるせなく歩き始めましょう。
その先の、城から和歌山駅へと
続く中央通りの城北端から、
市堀川を見ますと川は
この先で曲がっているようですねえ。
そちらの方に歩いていきましょう。
途中ここには和歌山市立の
こども科学館がありますねえ。
ここにはプラネタリウムが
あるはずです。
実はミセスは昔、プラネタリウムの
星のおばさんをしていました。
まあだから今でも夜空の事には
詳しいのですが、
もし一緒に歩いていて、
こういう施設を見ると
入りたがりますねえ。
まあ今日はいませんし、
第一コロナで休館中であります。
曲がった川沿いにさらに
歩いていきますと。
古い橋が架かっていますよ。
それは、石でできた古い
「寄合橋」です。
宮橋とかは公設の橋でしたが、
ここは町方が作った
橋だったそうです。
これも先ほどの図会の中に
ありましたねえ。
その絵では、橋のこちら側に
火の見櫓が置かれ、向こう側には
高札場が設けられていたみたいです。
そして橋の親柱には
灯火が灯されていたそうです。
これが橋から見た市堀川で、
この先でさっき見たように
L字型に曲がっていますが、
昔はまっすぐにも
川が流れていたそうです。
続く
立派な石垣や、
城内の緑を眺めたりしながら、
中門跡を通り、
大手門から城の外へと出ていきましょう。
また帰りに城の中を通るので
天守閣の方へは後程
向かっていくことになります。
けやき大通りを横切って、
本町通の方へと進んでいきます。
ブラクリ丁の方へと向かっていく
にぎやかな道です。
前方に大きな川が見えてきましたよ。
「市堀川」といいます。
そこにかかっている橋が京橋です。
そしてここが京橋門址といって、
昔の和歌山城の表玄関でありました。
この京橋にはいろんな飾りがありますよ。
こんな彫刻があったり、
てまりを埋め込んだような
広場があります。
これは、多分からくり時計なんでしょうねえ。
ネットで見たら殿様と手毬のような
感じだそうです。
そんな京橋なんですが、
実はもう一つ大きな役割があります。
それは、ここ和歌山から奈良の方へと続く
「大和街道」の起点にもなっているのです。
doironもその道をあるいています。
最近少し止まっていますが、
もう橋本のあたりまで行きましたね。
田んぼの中を歩いたり、
川の堤防をあるいたりと、
のどかないい道です。
今回のコースはここから
河原の道をあるくことに
なっているのですが、
敷石の損傷があって今は
降りることができませんので、
街中の道を進んでいきましょう。
ビル街の裏通りを歩き、
くねくねと進んでいきますと、
そこにあったのが
「紀州藩表千家屋敷跡の碑」
です。
表千家は茶道流派のひとつで、
紀州徳川家の茶頭として
格別の待遇を受けていたそうだ。
そんな表千家の家がここに
あったのですねえ。
その近くにかかっているのが、
堀詰橋です。
そこに案内が立っていました。
この川は、少し向こうで
分岐になっているところですねえ。
その分岐の近くに
かかっていた橋だそうです。
いずれにしても重要な
橋だったみたいです。
水鳥が浮かぶ、
あまりきれいとは言えない
水質の都会の水路って感じですねえ。
あ、向こうに東ブラクリ丁の
商店街が見えていますよ。
進んでいきましょう。
しばらく歩くと、何か音楽が
聞こえてきます。
昔きいた音楽ですねえ。
そこにその音楽の歌碑がありました。
ひとが近づくと音楽が
流れるようになっているんですね。
「あいたい みたい すがりたい
・・・
和歌山 泣きたい ああやるせない」
という歌詞の「和歌山ブルース」です。
この歌碑があるのは雑賀橋のところ。
すごい再生回数で話題に
なったような歌碑です。
この歌を歌った「古都清乃」さんは、
73歳になっても現役だそうです。
和歌山ブルースの歌詞の中には
「ぶらくり丁」の言葉があり、
この人の歌のおかげで
全国的に有名な地名になったそうで、
ここにこうして歌碑が
置かれたようですねえ。
そしてなんかこの橋の所には
映画館もあったような
気がするのですが、
勘違いかなあ。
ずっと昔に来た記憶があります。
そんな音楽を聴いて、
「ああ和歌山泣きたい ああやるせない」
とか心の中で歌いながら、
ここからブラクリ丁を
西へと歩いていきましょう。
ちょっと商店街は寂しいですねえ。
シャッターの降りている
店もありましたが、でも
どことなく人々の明るさが
この商店街を
支えているような感じです。
あ、この角っこのお店は
昔入ったような気がするなあ。
もう25年くらい前ですが。
そこから一本南側の筋を
歩いていきましょう。
昔この辺りの商店は、
商品をぶら下げて
販売していたので、
そこから「ぶらくり丁」の
名がついたといわれています。
今はまあそんなぶら下げている
商店はないのですが、
商店街の通路に商品も
はみ出しておかれていたりするのは、
そんなブラクリの名残
なのかもしれません。
あ、ここは場外馬券売り場です。
最近は電話でちょろっと
馬券を買ったりしますので、
なんとなく親しみがわきますねえ。
続く
コロナのせいで、
あまりあちこちをウロウロできませんが、
その堅苦しい生活にも、
実はもう一つ大きな理由もありました。
もうブログにも描いたのですが、
今の心臓について少し詳しく
調査してみましょう
ということになっていたのです。
負荷心電図で、もしかしたら
異常がみられるかもしれない
という診断でした。
その結果を受けて今月初めに
放射線を使った心筋シンチ調査
というのをやったのですが、
それもまた全く異常なし
という結果に終わりました。
あ~よかった。
これまで過ごしてきた日々は
間違いではなかったんですね。
色々と工夫をして
少しずつ運動量を増やしてきた
遊び方は正解でした。
これが原因で、病気が進行しているよ
となってたらまたまた大きく
遊び方を変えて行かないと
いけませんからね。
とてもとてもほっとしたのでした。
しかし、コロナの事もあるので、
おおっぴらには電車に乗って
遊びに行ったりするのも抵抗あります。
そこで車で出かけて行って、
それとなく街並みを歩く
というのならいいだろう
ということで、まずは和歌山の
この前歩いた北側の城や
ブラクリ丁を詳しく歩いてみるか
と出かけていくことにしたのです。
リュックではなく肩掛けカバンで、
日常生活を送っているような格好でね。
少しやるせないけど。
和歌山までは当然車で出かけます。
前回間違えて入っていった
交番横の駐車場です。
今度はスムーズに入りましたね。
平日なんですが、
コロナの騒ぎで学校が休みに
なっているので、こどもがたくさん
自転車に乗って歩道を走っています。
あ~あ、学校休みで、
のんきな子どもたちやなあ
とか思いながら、
もっとのんきなおじさんは
駐車場へと入っていくのであります。
前回はこの駐車場から、
南の方へ歩いていきましたが、
今日は北向いて歩いていきます。
すぐ北には和歌山城がありますので、
そこの岡口門から入って
ゆくことになります。
その城の入り口のあたり、
岡公園内には百軒長屋跡の
案内棒が立っています。
昔の絵図にも丁度、
そんな絵がありますねえ。
紀州名所図会にも書かれているそうです。
城跡に入っていくと大きなクスノキが
二本で出迎えてくれます。
それから池というか、
お堀の横にはいろいろと案内板が
立っていますね。
和歌山城のことが詳しく書かれています。
この城は秀吉が弟に銘じて
作ったのが最初です。
その後家康の十男である頼宣が
藩主として入国し、
回収して紀州徳川家にふさわしい
城になったといわれています。
今は城跡全体が史跡になり、
岡口門は重要文化財に、
西の丸庭園は名勝に指定されています。
その岡口門がこれです。
戦争の空襲に焼かれることもなく、
無事に残ったそうです。
立派な門ですねえ。
昔はこの門が正門だったそうです。
お邪魔いたします~と
言いつつ入っていきます。
正面に森がありますが、
そちらの方にはいかず、
右に曲がって堀に沿って
進んでいきます。
あ、和歌山のマンふたはこれですね。
紀州手毬が題材だったようです。
そして、今回城の中で見ておきたいなあ
と思っていたのが、この伏虎像です。
そうかあ和歌山城は
タイガースファンだったのかあ、
というわけではありませんよ。
この城のある山が和歌山港から見たら
虎が伏しているような形だったので、
昔から「伏虎城」とか「虎伏城」とか
言われ、それを記念して
作られたそうです。
実はこの像は有吉佐和子の
「紀ノ川」にも登場しますが、
それは初代の虎で、
銅像であったために
戦争時に供出されたそうです。
なので今ここにあるのは
二代目の虎像だそうです。
紀ノ川を読んでこの虎を前から
見たかったので良かったです。
藤波君、コロナと戦っていますか。
大丈夫かなあ。
続く