2011年3月11日の東日本大震災から間もなく5年が過ぎようとしています。
その後のことがテレビや新聞で報道されることもめっきりと少なくなりましたが、物事がどんどんと良い方向に向かっているからか?と言えば、被災地の現状を聞いても、原発の事故対策の進展を見ても、とてもそうは思えません。
まるで「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の諺そのもののように見えます。
今日の東奥日報の一面では、「東通原発の事故の際の避難計画で、むつ市・東通村からの6万人の避難民受入計画のうち2万人分が不足と判明」という内容の記事が載っていました。
これまでの試算では、更衣場所その他の必要なスペースを全く配慮せずに、収容施設の面積を単純に一人当たりの必要面積で割って収容人数を算定していたのだそうで、今回その点を見直した結果不足が判明したようです。
これと同様に、避難場所までの移動手段も紙上の計画があるだけでバスも運転手も確保されてはいませんし、数年前の大雪の時のように1本しかない国道が通行できなくなった際の対策も決まっていません。
それどころか、「想定外?の事故」が起きる可能性については、電力会社も国(原子力規制庁)も躍起になって否定しようとしています。
「断層はあるが活断層とは『考えていない』」というけれど、それは「動く可能性は低い」というだけで「動かない」とは違います。
5年前の津波による大事故だって、過去の事実を調べた結果からは「あったが、同じことが起き得る可能性は低い」として対策に反映させなかったための、いわば人災の側面が否定できないことは明らかです。
なぜ同じ轍を踏むような「利益優先、安全後回し」の対応がなされるのでしょう。
昨日起きたJR北海道の青函トンネル内での避難訓練では「想定外の停電」で避難が遅れました。
本当に火災が起きていたら、多くの人命が失われていたかもしれない状況で、「事前に想定してた事故にさえ対応できればOK」などという甘い考えでは全く役に立たないことが誰の目にも明らかになりました。
原発・関連施設立地自治体に住む者として、目先の餌(お金)に目を奪われて将来の危険を飲み込むことがないように、もう一度基本から整理し直して考える必要があるのではないでしょうか。
「羹に懲りて膾を吹く」と笑うことなく、「災いは忘れた頃にやってくる」という気持で対応することが求められているのではないかと思います。