自分のことは自分が一番分かっていると誰しもが思う。私も、そう思っていた。また、私の気持ちは誰にも分からない、分かっているのは自分だけだと。人が考えていることなんて、周りの者には分かりようがない。確かに、そうだろう!しかし、また一方で、自分が自分を分からない。だから、人は悩み、苦しみ、ある時は親にすがり、友にすがり、恋人にすがり、宗教にすがり、安心を得ようとする。
私も古希を過ぎ、そろそろ終盤に掛かろうとする今、まだまだ日々の中、新たな自分を見つける瞬間が時々ある。例えば、私はずっと運動が不得意で、不器用で、運動神経は頗る鈍いことを自認して来た。また、音痴で調子っぱずれで、歌を歌わせると、必ずといって音を外してしまうし、リズムにならない。確かにそうだ。それでも、テニスをし、卓球をし、鼻歌を歌う。どれもこれもが一番苦手とするものだ。何でこんなに苦手なことにこだわるのだろうか、とても不思議なことだ。
最近、卓球をやっていて、昨日と今日は違う卓球をする自分に気づき、この目を見張るような上達はいったい何なんだろう?実は自分には隠れた才能があったのではなかったのか?若い時からきちんと始めていれば、今頃は、卓球の名手になっていたのではなかったのか?と。
まあ、この歳になると、こんなこと言ったからといって、ぼけ老人のたわごととしか受け取られないだろうから、まあ、好き勝手が言える。実に楽しい話ではないか、と、思うのだ。