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叔父 渡邉貞三の事



 ほとんどの家庭には父方の親戚と母方の親戚があると思います。我が家にも母方と父方の親戚がそれぞれいますが母方の親戚は叔父・叔母共にちゃんと大学や短大・専門学校を出て社会人となり結婚して子供を授かり当たり障りのない、言い方を変えると山もなければ谷もない無難な人生をそれぞれ過ごしてきました。それに対して父方の親戚は一言で言えば〝波乱万丈!・破天荒!〝を地で行く家族でした。私に当たる祖母からして〝裁判が趣味?〝と思うほど気に入らないことがあると相手を裁判の場に引きずり出して白黒をはっきりさせないと気がすまない性分だったようです。勝つものもありましたが裁判で負けた方が多かったようです。訴訟相手も個人だけではなく国相手の裁判を起こした事もあり〝女で生まれた事が勿体ない!〝とよく言われたそうです(今だったらこの言葉も差別発言になりそうですが?)。子供も男3人、女3人がいましたが自由奔放で一番末の叔母は自分の能力に相当自信があったようで〝自分はこんな事が出来るので何処かの会社で採用して欲しい〝と新聞広告を出して世間で話題になったほどです。ちなみにこんな自分のアピールの仕方はアメリカ人には大変好感が持たれるようで、その後叔母は日本進出間もないIBMに採用され、IBM内ではその学力を思う存分に発揮したそうです。
 そんな自由に生きたその家族の中で亡き父は長男にあたり、〝波乱万丈!・破天荒!〝の家族の中では真っ当に数学学者になりたくて大学を卒業して、その能力を活かすために当時の通商産業省の統計部門に入庁し家族の中では異色な存在だったようです。話は逸れますが父は今の経済統計の基礎を作ったと亡くなってから同僚の方から教えてもらった事があります。父が通商産業省に入庁した時期は米国が占領下から撤退して手のひらを返したように貿易不均衡を理由に日本に介入してきた時代で繊維(絹)産業の自由化などで通商産業省そのものが国と産業界の板挟みになり大変苦労した時代だと聞いています。また、当時の通商産業省ではテレビ時代を見据えて多くの企業がテレビ産業に加わると弱肉強食の中で共倒れする恐れがありテレビ参入会社を経済統制で絞って批判を受けた時代でした。ちなみにこの時にテレビ参入出来なかったのがカシオ電子で、のちに電卓部門では見返りに優先して電卓部門に参入出来たと言う話も聞いた事があります。



 さて話を父方の親戚の話に戻すと三男になる叔父に渡邉貞三と言う方がいらっしゃいました。父が文系なのに対して貞三叔父さんは柔道と空手の師範を持ち武道家でした。けして身体はデカくなかったようですが体力には自信があり、また今で言うイケメンだったそうです。その貞三叔父さんはその体力に自信があったのか何を思ったのか角界経由でプロレスラーの道を歩むことになりました。いくら体力に自信ががあったとしても168センチの身長ではプロレス界では超小柄になってしまいます。しかし、どう言う経緯は定かではありませんが当時、人気絶頂だった力道山と一緒に巡業に回るようになったそうです。この頃、父方の実家は東京・六本木龍土町(今の六本木ミッドタウン付近)にありましたが力道山のマンションも乃木坂になったため父方の実家に力道山が来る事は無かった様ですが力道山のマンションにはミーハーな家族なので何度もお邪魔した事があると聞いたことがあります。
 その頃、貞三叔父さんはのちにお嫁さんとなる叔母と出逢う事になります。何処で知り合ったのかはなかなか謎でしたが最近になって叔母は六本木の高級キャバレーのホステスとしても働いていて力道山と共に店に来た貞三叔父さんが一目惚れして強引に付き合い始めたのが馴れ初めだったようです。



 しかし、やはり小柄なプロレスラーは格好の標的にされプロレスラーの限界を悟った貞三叔父さんはあっさりプロレスから手を引き奥さんと子供を残してモロッコへ単身で出稼ぎに出国していましたした。その後、奥さんでもある叔母には何度か連絡はしてきたようですがほとんど音信不通で、何十年で1回か2回だけ帰国しただけでした。何故帰国が少なかったのかと言うと現地でも妻をもうけ、娘が二人出来重婚状態で何年かが過ぎていたからでした。
 現地モロッコでは順調に手広く事業を進め、現地ではそこそこ有名な日本人だったようで当時のモロッコでは珍しかった柔道や空手を教えていたそうです。
 私も高校生の頃に一度だけ逢った事がありましたプロレスをやっていたと聞いていたので2メーターくらいの巨人が来るのかと思ったら小柄な男の人が現れて拍子抜けした事を覚えています。ただ小柄ながらもオーラはすごく圧倒された事もよく覚えています。その後もしばらくは消息不明となり次の連絡が現地で心臓発作で亡くなったと言う知らせでした。

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コメント一覧

DT200A@CF-F9
ミック博士様
 ご足労、ありがとうございました。モロッコの家族と連絡がとれました。まさか弊ブログから離れ離れになっていた肉親と連絡がとれるとは、ほんとうにありがとうございました。
Nisrine Mirako Watanabe
1435mm-standardgauge@nifty.comにメールしたけど、ダメでした。先メールして下さい。宜しく
渡邉ニスリヌミラコ
連絡ありがとう、家族とやっと話できる、嬉しいです。私のメールアドレス: mirako_watanabe@hotmail.com
メールも送ります。もっと詳しい連絡先の情報教えます。宜しく姉妹の連絡マジ信じられない。
DT200A@CF-F9
ミック博士様
ありがとう、ございます。日本に住む娘に連絡したものの、果たして本当になのか信じていない様です。
ぜひ、彼女のメアドを娘に知らせたいと思います(その後に連絡するかどうかは本人の判断に任せますが?)。
私のメアドは
dt200a.1435mm-standardgauge@nifty.com
です。
送るときは1435mmとSの間の-はアンダーバーに変えてください。宜しくお願い致します。
あなたの昭和プロレス研究所室のおかげで、会うことの叶わなかった姉妹がひょっとしたら逢えるかもしれません。
ミック博士
ごぶさたしています。
アメリカ在住の渡辺さんの娘さんから私のところにメールが来ました。
昭和プロレス研究室のリンクからこちらのブログを確認されたそうです。
もしよろしければ彼女のメールアドレスをお知らせしましょうか?
DT200A@CF-F9
渡邉ニスリヌミラコ様
 はじめまして!あなたがおじさんのモロッコでの娘さんですか?日本にいらっしゃるのでしょうか?
渡邉ニスリヌミラコ
渡邉貞三の三番目の娘
ミック博士
http://www.showapuroresu.com/bio_j/wa/watanabe_teizo.htm
ご了承いただきありがとうございました。
こちらのブログもリンクさせていただきます。
DT200A@CF-F9
http://white.ap.teacup.com/dt200a/
ミック博士様
直系の家族にも承諾いただきましたのでどうぞ、お使いください。
ミック博士
http://www.showapuroresu.com/bio_j/wa/watanabe_teizo.htm
DT200A@CF-F9様

レスをいただきありがとうございます。
こちらの情報名鑑に掲載させていただいても構いませんでしょうか?
DT200A@CF-F9
http://white.ap.teacup.com/dt200a/
ミック博士こと三熊様
はじめまして、また弊ブログへのご投稿、ありがとうございます。

最初に貴ホームページを勝手に弊ブログに引用させていただきお詫び申し上げます。

さて、お尋ねの件ですが叔父の渡邉貞三さんは1979年(昭和54年)07月04日にモロッコ王国で心臓発作で亡くなった事になっています。

プロレス引退後は完全に身を引き手広く商売を繰り広げ、これが順調でその中で商売の販路を開拓するためにモロッコ王国に渡ったと聞いております。
そのためプロレスの練習などしていたとは思えず余興程度はあったかもしれませんが真剣勝負があったとは考えられません。

日本ではプロレス現役時代に結婚し二人の子供に恵まれてその後、モロッコ王国に渡って現地の妻の間に三人の子供がいた事までは判っていますがとにかく身内でも消息はほとんど掴めず商売で世界中を歩いてその行程でふらりと日本に帰ってきて実家に現れたり、時には日本の妻のもとに現れて家族四人で雑魚寝をしたりいた様です。モロッコではかなり裕福に暮らしていたようで妹が何度かモロッコに渡って現地の子供と会った事もあるようです。
モロッコ王国をベースに色々な国を渡り歩いているうちに顔が広くなったのでしょうか映画にも何本か出演しているようで、もう30年くらい前に私の母が何気にテレビで映画を見ていたら貞三さんが画面に突然出てきてビックリしたと話していたのをはっきり覚えているので映画に出演していたのは間違い無いと思われます。
なお、モロッコ王国で死亡したために本当の死因など詳細は不明で遺骨は帰ってこないままです。それでも先祖代々のお墓に墓碑は刻み込まれています。そのお墓は力道山のお墓のある池上・本門寺の隣にある池上・大坊です。生前〝力さん〝と慕っていたそうで何度も力マンションを訪ねてはよくしてもらって、亡くなってからも声を掛ければ聞こえる距離にお墓があるのも何かの縁と思えて仕方ありません。

ちなみに渡邉貞三さんは昭和05年(1930年)11月29日生まれは間違いありません。
ミック博士
http://www.showapuroresu.com/bio_j/wa/watanabe_teizo.htm
はじめまして!
昭和プロレス研究室を運営していますミック博士こと三熊と申します。
現在、日本人レスラー名鑑のアップデートを行っており、こちらのブログを発見しました。
渡辺貞三さんについては、プロレスマニアの間でも謎のレスラーとされています。
最近、メキシコでは映画に出演されていることもわかり、フランスでも試合に出ていたようです。
いつ頃、帰国されたのか、帰国後はどのようなことをされていたのか、いつ頃までご健在だったのか、教えていただければ幸いです。
DT200A@CF-F9
高野陽一様
ブログネタ枯渇の中、鉄ちゃんネタ以外でのご投稿、感謝いたします。

 貞三叔父さんは実の娘でさえ謎の部分があり日本を出国してからの足取りは全く判っていません。もちろんスペインに入国した可能性もない訳ではなく、闘牛士と並んでの写真も不自然では無いと思います。ただ、この写真はiPhone7カメラ機能で撮影したものなのですが、持っていた家族はモロッコの写真だと信じてました(笑)。
 余談ですが東京・人形町に住む実母に貞三叔父さんの話をしたところ力道山の道場が人形町にあって見に行った事があると言われ何処で何が繋がる解らない!とビックリしました。
高野陽一
https://soultrainsd51241.blog.fc2.com/
DT200A 様 こんばんは

ごぶさたしております 高野です。
血族のお話と、黎明期のプロレス(興行)や力道山など興味深く拝見しました。
集合写真は、闘牛士と撮影されていますね。撮影地はスペイン?もしかして闘牛を行ったのではないでしょうか?これも興味深い写真です。それではまたどこかで。
DT200A@CF-F9
おー様
鉄ネタ以外にもかかわらずコメントのご投稿に感謝いたします。

 全くの無知なのでリキマンションが現存することさえ知りませんでした。叔母からは乃木坂と聞いていましたが、完全に赤坂のエリアですね!
 貞三叔父さんの事は謎が多すぎて身内ながらもほんの一部しか判りません。ただ昔を知るプロレスファンにはそこそこ認知されていた事を知って驚きです。
おー
今回のブログにも登場するリキマンションの1階にはフォトグラファーズラボラトリーというアナログ専門のプロラボが入っていますね。
趣味の写真ともつながっているようで面白かったです。
DT200A@CF-F9
福臨鉄様
わざわざ鉄ネタ以外でもご投稿をいただき、よっぽど暇なのか?ご熱心なのか・・・と?^_^

 私は格闘技はとんと疎いので無知を晒す様ですが貞三叔父さんの話を一定の年齢以上の人に話すと意外と知っている方がいてビックリします。当時、プロレスはプロ野球と共に国民的スポーツだったのかもしれません。ちなみに我が家の菩提寺は池上本門寺大坊でそこに貞三叔父さんも眠っているのですが、すぐ隣の本門寺本山には力道山のお墓があるのも凄いと思っています。
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