過去の記録とブログを振り返る
なんだかんだと慌ただしい日々の今日この頃・・・
すっかり夫婦登山もご無沙汰状態だが、ようやく来週あたりに行けそうな気がする。
本来なら未踏1000m超峰狙いをしたいのだが、このところ体力づくりをすっかりサボっているせい
か、ハード山行に臨む気力が無く体力低下も自覚して来ると増々計画そのものが疎かになった気が
する。遠征から近場、泊りから日帰り、未踏峰から里山へと、楽な方ばかりを求めてしまう傾向に
あるのかも知れない。来週予定の夫婦登山も山の選択肢に迷いまだ決まらない有り様・・・
何もしない自分自身が居るそばで、毎日のようにランニングしている妻とのギャップを強く感じて
しまう。「そろそろ自分も走らねば・・」と心に秘めるもなかなか行動出来ないのは自分の弱さ。
山に行ってもすぐバテるのは私で元気な妻の姿に情けなくなる事多しである・・・。
「これではダメだ!」と先ずは気休めに過去の山行記録を読み返して見る事に。(何も意味は無い)
ブログを開設する前の山行記も一部載せているが、載せていない記録が幾つも目に止まった。もう
20 年位前の記録、若かりし 40 代だからイケイケの登山は、今思うと懐かしい時代を振り返る事が
出来た。
その中のひとつでブログに載せていない山行記を少し振り返る事にして見る。
★ 20 年前の幌尻岳 (2052m)・・・
「幌尻岳」、日高山脈の最高峰で唯一 2000m を越えた主峰である。
この山にはすでに 6 回登頂しているが、最後に登ったのは 2003 年 6 月 28 日。丁度 20 年前の事
になる。妻チーヤンの初登頂を機にまったくご無沙汰している遠い山になってしまった・・・。
私自身の初登頂は、1994 年 6 月 だからもう 30 年近くも昔の事だが、当時はまだ「日本百名山」
という肩書も無く、登山口となる額平川取水ダムの約 5 ㎞手前ゲートまで車で走る事が出来た時
代だった。当時も今と同じ山小屋が建ち、管理人は居なかったし、訪れる愛好家も道内の岳人と
呼ばれたツワモノが多かった印象がある。その中にまだ素人の私たちが紛れ込み、連れて行って
もらった怖いもの知らずの登山だった。
職場の登山クラブメンバーと後に入会した山岳会メンバーとのコラボ山行で、とにかく事ある毎
にビールで乾杯していて酔いながら下山したと記録に残っていた。(記憶はまったく無い)
山行日は曇り空で視界はほとんど無く、幌尻岳と戸蔦別岳のピークで景色を拝む事は出来なかっ
た。着く度に何故かビールで乾杯、下山時に再び登り返した幌尻岳山頂でもまたビールで乾杯し
たと当時の記録に残っていた。今では考えられない山頂ビールだったが、山登りが一番楽しい時
代だったかも知れない懐かしい思い出が蘇った。
1994年6月28日 幌尻山荘前にて・・当時36歳の私
一緒に行ったメンバーたち (もう一人撮影者で全員)
★ ブログには載っていない懐かしい山行記・・・
この 94 年は、登山を始めてまだ 4 年目で冬山登山は経験していない頃だった。
それでも 5 月から開始し、イワオヌプリ、余市岳、暑寒別岳、三段山、上ホロカメットク山、二
ペソツ山、空沼岳そして幌尻岳と戸蔦別岳、更に神威岳 (札幌)、平山、大雪山縦走 ( 黒岳~トム
ラウシ山 ) 、漁岳、無意根山、恵庭岳、愛山渓~沼の平、樽前山~風不死岳、徳舜瞥山~ホロホ
ロ山、ピセナイ山、キリギリ山、剣山、八剣山、伏美岳、黄金山と 12 月まで各地を登り歩いた
年で家族だけで登山を始めた年でもあった。ほとんどが初登頂の山で、キリギシ山は今のような
規制も無く山頂稜線に繋がる岩場の花畑を間近で堪能出来た登山だった。すべてブログには載っ
ていない記録と写真だが、いまも何とか保存しているので懐かしむ事が出来て、元気を貰う事が
出来た。
当時、お世話になった先輩たち。私の登山の原点は職場の登山クラブから始まった。
すでに亡くなった先輩もいるし、病気で山を辞めた先輩もいる。原点と言った登山クラブは途中
で妻も入会した山岳会は 6 年で退会してしまったが、すべて私の不徳の致すところ。人間関係が
上手く行かずあっさり投げ出す中途半端な男だった事を始めて明かす・・。
それでも独学を含めて妻と二人で挑戦しているいまの目標は、まだ止めてはいない。
その原動力を再び得ようと昔の記録から背中を押して欲しいと願うばかりである・・。
なんだかんだと慌ただしい日々の今日この頃・・・
すっかり夫婦登山もご無沙汰状態だが、ようやく来週あたりに行けそうな気がする。
本来なら未踏1000m超峰狙いをしたいのだが、このところ体力づくりをすっかりサボっているせい
か、ハード山行に臨む気力が無く体力低下も自覚して来ると増々計画そのものが疎かになった気が
する。遠征から近場、泊りから日帰り、未踏峰から里山へと、楽な方ばかりを求めてしまう傾向に
あるのかも知れない。来週予定の夫婦登山も山の選択肢に迷いまだ決まらない有り様・・・
何もしない自分自身が居るそばで、毎日のようにランニングしている妻とのギャップを強く感じて
しまう。「そろそろ自分も走らねば・・」と心に秘めるもなかなか行動出来ないのは自分の弱さ。
山に行ってもすぐバテるのは私で元気な妻の姿に情けなくなる事多しである・・・。
「これではダメだ!」と先ずは気休めに過去の山行記録を読み返して見る事に。(何も意味は無い)
ブログを開設する前の山行記も一部載せているが、載せていない記録が幾つも目に止まった。もう
20 年位前の記録、若かりし 40 代だからイケイケの登山は、今思うと懐かしい時代を振り返る事が
出来た。
その中のひとつでブログに載せていない山行記を少し振り返る事にして見る。
★ 20 年前の幌尻岳 (2052m)・・・
「幌尻岳」、日高山脈の最高峰で唯一 2000m を越えた主峰である。
この山にはすでに 6 回登頂しているが、最後に登ったのは 2003 年 6 月 28 日。丁度 20 年前の事
になる。妻チーヤンの初登頂を機にまったくご無沙汰している遠い山になってしまった・・・。
私自身の初登頂は、1994 年 6 月 だからもう 30 年近くも昔の事だが、当時はまだ「日本百名山」
という肩書も無く、登山口となる額平川取水ダムの約 5 ㎞手前ゲートまで車で走る事が出来た時
代だった。当時も今と同じ山小屋が建ち、管理人は居なかったし、訪れる愛好家も道内の岳人と
呼ばれたツワモノが多かった印象がある。その中にまだ素人の私たちが紛れ込み、連れて行って
もらった怖いもの知らずの登山だった。
職場の登山クラブメンバーと後に入会した山岳会メンバーとのコラボ山行で、とにかく事ある毎
にビールで乾杯していて酔いながら下山したと記録に残っていた。(記憶はまったく無い)
山行日は曇り空で視界はほとんど無く、幌尻岳と戸蔦別岳のピークで景色を拝む事は出来なかっ
た。着く度に何故かビールで乾杯、下山時に再び登り返した幌尻岳山頂でもまたビールで乾杯し
たと当時の記録に残っていた。今では考えられない山頂ビールだったが、山登りが一番楽しい時
代だったかも知れない懐かしい思い出が蘇った。
1994年6月28日 幌尻山荘前にて・・当時36歳の私
一緒に行ったメンバーたち (もう一人撮影者で全員)
★ ブログには載っていない懐かしい山行記・・・
この 94 年は、登山を始めてまだ 4 年目で冬山登山は経験していない頃だった。
それでも 5 月から開始し、イワオヌプリ、余市岳、暑寒別岳、三段山、上ホロカメットク山、二
ペソツ山、空沼岳そして幌尻岳と戸蔦別岳、更に神威岳 (札幌)、平山、大雪山縦走 ( 黒岳~トム
ラウシ山 ) 、漁岳、無意根山、恵庭岳、愛山渓~沼の平、樽前山~風不死岳、徳舜瞥山~ホロホ
ロ山、ピセナイ山、キリギリ山、剣山、八剣山、伏美岳、黄金山と 12 月まで各地を登り歩いた
年で家族だけで登山を始めた年でもあった。ほとんどが初登頂の山で、キリギシ山は今のような
規制も無く山頂稜線に繋がる岩場の花畑を間近で堪能出来た登山だった。すべてブログには載っ
ていない記録と写真だが、いまも何とか保存しているので懐かしむ事が出来て、元気を貰う事が
出来た。
当時、お世話になった先輩たち。私の登山の原点は職場の登山クラブから始まった。
すでに亡くなった先輩もいるし、病気で山を辞めた先輩もいる。原点と言った登山クラブは途中
で妻も入会した山岳会は 6 年で退会してしまったが、すべて私の不徳の致すところ。人間関係が
上手く行かずあっさり投げ出す中途半端な男だった事を始めて明かす・・。
それでも独学を含めて妻と二人で挑戦しているいまの目標は、まだ止めてはいない。
その原動力を再び得ようと昔の記録から背中を押して欲しいと願うばかりである・・。