親は無くとも庭に咲く花々
僅かながら裏庭のあるわが家。
札幌から移住して二世帯住宅を建て両親との同居が始まったのはもう27年前の事だった。
庭いじりが好きだった父親の意向と芝生のある庭が欲しかった私たちの意見も取り入れて、裏庭の
構想が決まって行く。同居する前に住んでいた実家から庭木を運び、娘が中学に入学する記念にと
購入した「さくらの木」を植え、芝生も張ってそれなりに描いた庭が出来ていった。
春には父が少しずつ植えて増やした芝桜や色んな種類のツツジが咲き始める。当時、庭花にまった
く興味の無かった私、無知のまま任せっきりで口出しは無用。芝生だけ時々雑草を取っていたくら
いだった。年々庭木は成長するが、自分で張った芝生は雑草だらけ、今は芝生とは言えない状態に
なってしまった。
そんな裏庭・・・。
同居して10年で父が他界、その後は母親が引き継いで庭木の手入れをしていた。ただ、「剪定が
出来ないのでお前に頼む」と言われ、少しは伸び過ぎた枝を切った事はあった・・。
記念樹の桜も今は大きくなって毎年花を咲かせるが、これもまた剪定したり手入れしないと病気に
なる事を知り、少しだけ学習もした。
母親は89歳となり要介護状態で施設のお世話になっている。だから裏庭の木々を手入れする親は
もう居ない・・。
それなのに今年も桜は咲き、雑草の混じる芝桜も満開に、名前の分からないツツジたちも次第に花
を咲かせて窓から眺める裏庭はいつものように賑やかになって来た。でもそこに異変を感じた・・。
木と木の間に雑草が増え、手入れしていないツツジの枝が延び過ぎてバランスが悪いと気が付く。
妻も「親の庭」意識があるのか自分から手入れはまだしていない。私なんかも未だ興味が沸かずど
うすれば良いのかと雑草の庭を見過ごしている。
「キシツツジ」
「ヤマツツジ」
タンポポと蜂
キシツツジとシバザクラ
「芝桜」
「満開の芝桜」
僅かながら裏庭のあるわが家。
札幌から移住して二世帯住宅を建て両親との同居が始まったのはもう27年前の事だった。
庭いじりが好きだった父親の意向と芝生のある庭が欲しかった私たちの意見も取り入れて、裏庭の
構想が決まって行く。同居する前に住んでいた実家から庭木を運び、娘が中学に入学する記念にと
購入した「さくらの木」を植え、芝生も張ってそれなりに描いた庭が出来ていった。
春には父が少しずつ植えて増やした芝桜や色んな種類のツツジが咲き始める。当時、庭花にまった
く興味の無かった私、無知のまま任せっきりで口出しは無用。芝生だけ時々雑草を取っていたくら
いだった。年々庭木は成長するが、自分で張った芝生は雑草だらけ、今は芝生とは言えない状態に
なってしまった。
そんな裏庭・・・。
同居して10年で父が他界、その後は母親が引き継いで庭木の手入れをしていた。ただ、「剪定が
出来ないのでお前に頼む」と言われ、少しは伸び過ぎた枝を切った事はあった・・。
記念樹の桜も今は大きくなって毎年花を咲かせるが、これもまた剪定したり手入れしないと病気に
なる事を知り、少しだけ学習もした。
母親は89歳となり要介護状態で施設のお世話になっている。だから裏庭の木々を手入れする親は
もう居ない・・。
それなのに今年も桜は咲き、雑草の混じる芝桜も満開に、名前の分からないツツジたちも次第に花
を咲かせて窓から眺める裏庭はいつものように賑やかになって来た。でもそこに異変を感じた・・。
木と木の間に雑草が増え、手入れしていないツツジの枝が延び過ぎてバランスが悪いと気が付く。
妻も「親の庭」意識があるのか自分から手入れはまだしていない。私なんかも未だ興味が沸かずど
うすれば良いのかと雑草の庭を見過ごしている。
「キシツツジ」
「ヤマツツジ」
タンポポと蜂
キシツツジとシバザクラ
「芝桜」
「満開の芝桜」