母の初盆と墓参り終えて
【8月14日 (水) 】
★ 二人の墓参り・・・
結婚して以来欠かすこと無く「墓参り」は、45年以上続いている。
母親が元気だった頃は、一緒に行く事も多かったが、高齢と足腰が弱くなってから私たちが代わり
に行く形で続いている。そこは苫小牧市にある大きな墓地で丘陵地帯でもあり階段を上り下りする
には辛い墓参りだったかも知れない。
私たち夫婦で行く「墓参り」は、町内のお墓を含めて6ヶ所あり、周るだけでも300㎞を超える
距離がある。早朝から出発して一日がかりのイベント的行事でもあった。まず、妻チーヤンの両親
と祖父母が眠るお墓、チーヤンの母方先祖代々のお墓、私の父方両親が眠るお墓、母方の父が眠る
お墓、父の兄夫婦が眠るお墓と父親が建て祖母と父・母が眠る町内のお墓の6ヶ所となる。色々事
情もあるが、私たちが元気な内は、欠かせないお墓巡りはこれからも続きそうな気がする。
父の代までほぼ「無宗教」と呼ぶほど先祖を敬う何物もなく、父方のお墓に連れて行かれたのは遠
い昔話。家には仏壇も無かったし、拝むという習慣も無く大人になった。この地に移住・二世帯同
居で暮らし、祖母が亡くなってから初めて「お墓」と「お寺」の事が浮上し、あっという間に決ま
った気がする。当時38歳だった私には相談すらも無く、70歳だった父は、住職の事を「お経を
読んで金をむしり取るくそ坊主」と呼んでいた。檀家の意識も無く母親が婦人会に入ってお手伝い
していた事は記憶に残っているが、父親がお寺のお手伝いをしたり、お布施を払った記憶は全く無
い。それなのにお墓は見栄を張ってちょっと大きめで1.5区画分の敷地を購入して建てていた。
今67歳になった私だが、やはり宗教とか檀家について、特に関心がある訳では無い。ただ、大切
な家族が亡くなった時どのような形で葬るのかと問われると、普通に「通夜」「葬儀」を行い「法
要」「納骨」「仏壇」「供養」と言う文字が浮かんで来る程度である。
父と母を亡くした時、父が決めたお寺 (曹洞宗) の住職に電話を掛け亡くなった事の連絡をすると葬
儀の日取りが決まっていく。葬儀会場は、町内の会館かお寺の本堂、または葬儀屋の斎場。葬儀屋
の選択は生前から積立加入していた業者となり、その後すべてのスケジュールが決まって行く。
遺族はほとんど何もしなくても無事葬儀を終える事が出来たのは、葬儀屋と住職の言われるままに
導かれ、あとはお布施と費用を支払えば終了だった。ひとまず遺族としての責任は果たせたかなと
思っている。くそ坊主と呼んでいた住職も今は75歳となり、3年後に息子が住職となって寺を継
ぐことが決まっている。母の葬儀を終えても「49日法要」までの七日法要から始まり、新たな墓
誌の依頼や「月命日法要」そして一周忌法要の打合せと毎年の年会費など供養を続けるためにはそ
れなりの費用は今後も掛かって行くものだった。
これが日本の風習なのか人として当たり前の供養の仕方なのかは分からないが、死んで終わりでは
ない事だけは、45年以上続けて来た「墓参り」から得た大切な心構えなのかも知れない。
★ 過る墓じまい・・・
今は夫婦健康の年金生活だが、足りない分は働いて補う事が出来ている。
しかし、それは永遠ではなく明日突然途絶える事だってあり得ることなのだ。もし、私が死んだ場
合、年金は遺族年金となり今の半分となる。生活費は妻の年金と遺族年金だが、生活は苦しくなる
だろう。色んな事を節約しなければと悩む中に「墓じまい」の選択肢は無いのだろうか?
お墓を潰し、遺骨は永年納骨堂に移し、来る法要も取り止めて実質檀家を止める事もあるかも知れ
ない。毎年続いていた「墓参り」も周る数が減ったり行かなかったりになるかも知れず、孫たちへ
のお小遣いすら余裕が無くなれば、家や土地を手放しアパート生活も現実味も帯びて来る・・。
なんだかんだと言いながら、世の中お金が無ければ何も出来ないのが現実。
足りない年金、働けない身体、負担が大きい税金、医療費、自宅の修繕費や檀家としてのお布施も
安くは無い。山登りなんて贅沢な遊びで行ける内が華だったかも知れず、私が居なくなった妻の一
人暮らしを想像するとせめてもう少しお金を残せたら・・と悔いは残る。
では、妻に先立たれた場合はどうだろう・・・
その時の年齢でも違うだろうが、問題はお金では無く日々の生活に関わる事が出来るか出来ないか
だろうと思う。単純に炊事・洗濯・掃除は出来るか。規則正しい生活をして趣味の山登りもしてる
のだろうか。働ける状態なら働いているのか?病気になって娘家族に迷惑を掛けていないか?
元々宗教とか供養についても余り関心の無い私だから、墓じまいは早々に終えて、墓参りも法要も
せず世の中と離れた孤独な生活になっているかも知れない。
しょうも無い事かも知れないが、そんな事を考え始めた今日この頃である・・・。
【8月14日 (水) 】
★ 二人の墓参り・・・
結婚して以来欠かすこと無く「墓参り」は、45年以上続いている。
母親が元気だった頃は、一緒に行く事も多かったが、高齢と足腰が弱くなってから私たちが代わり
に行く形で続いている。そこは苫小牧市にある大きな墓地で丘陵地帯でもあり階段を上り下りする
には辛い墓参りだったかも知れない。
私たち夫婦で行く「墓参り」は、町内のお墓を含めて6ヶ所あり、周るだけでも300㎞を超える
距離がある。早朝から出発して一日がかりのイベント的行事でもあった。まず、妻チーヤンの両親
と祖父母が眠るお墓、チーヤンの母方先祖代々のお墓、私の父方両親が眠るお墓、母方の父が眠る
お墓、父の兄夫婦が眠るお墓と父親が建て祖母と父・母が眠る町内のお墓の6ヶ所となる。色々事
情もあるが、私たちが元気な内は、欠かせないお墓巡りはこれからも続きそうな気がする。
父の代までほぼ「無宗教」と呼ぶほど先祖を敬う何物もなく、父方のお墓に連れて行かれたのは遠
い昔話。家には仏壇も無かったし、拝むという習慣も無く大人になった。この地に移住・二世帯同
居で暮らし、祖母が亡くなってから初めて「お墓」と「お寺」の事が浮上し、あっという間に決ま
った気がする。当時38歳だった私には相談すらも無く、70歳だった父は、住職の事を「お経を
読んで金をむしり取るくそ坊主」と呼んでいた。檀家の意識も無く母親が婦人会に入ってお手伝い
していた事は記憶に残っているが、父親がお寺のお手伝いをしたり、お布施を払った記憶は全く無
い。それなのにお墓は見栄を張ってちょっと大きめで1.5区画分の敷地を購入して建てていた。
今67歳になった私だが、やはり宗教とか檀家について、特に関心がある訳では無い。ただ、大切
な家族が亡くなった時どのような形で葬るのかと問われると、普通に「通夜」「葬儀」を行い「法
要」「納骨」「仏壇」「供養」と言う文字が浮かんで来る程度である。
父と母を亡くした時、父が決めたお寺 (曹洞宗) の住職に電話を掛け亡くなった事の連絡をすると葬
儀の日取りが決まっていく。葬儀会場は、町内の会館かお寺の本堂、または葬儀屋の斎場。葬儀屋
の選択は生前から積立加入していた業者となり、その後すべてのスケジュールが決まって行く。
遺族はほとんど何もしなくても無事葬儀を終える事が出来たのは、葬儀屋と住職の言われるままに
導かれ、あとはお布施と費用を支払えば終了だった。ひとまず遺族としての責任は果たせたかなと
思っている。くそ坊主と呼んでいた住職も今は75歳となり、3年後に息子が住職となって寺を継
ぐことが決まっている。母の葬儀を終えても「49日法要」までの七日法要から始まり、新たな墓
誌の依頼や「月命日法要」そして一周忌法要の打合せと毎年の年会費など供養を続けるためにはそ
れなりの費用は今後も掛かって行くものだった。
これが日本の風習なのか人として当たり前の供養の仕方なのかは分からないが、死んで終わりでは
ない事だけは、45年以上続けて来た「墓参り」から得た大切な心構えなのかも知れない。
★ 過る墓じまい・・・
今は夫婦健康の年金生活だが、足りない分は働いて補う事が出来ている。
しかし、それは永遠ではなく明日突然途絶える事だってあり得ることなのだ。もし、私が死んだ場
合、年金は遺族年金となり今の半分となる。生活費は妻の年金と遺族年金だが、生活は苦しくなる
だろう。色んな事を節約しなければと悩む中に「墓じまい」の選択肢は無いのだろうか?
お墓を潰し、遺骨は永年納骨堂に移し、来る法要も取り止めて実質檀家を止める事もあるかも知れ
ない。毎年続いていた「墓参り」も周る数が減ったり行かなかったりになるかも知れず、孫たちへ
のお小遣いすら余裕が無くなれば、家や土地を手放しアパート生活も現実味も帯びて来る・・。
なんだかんだと言いながら、世の中お金が無ければ何も出来ないのが現実。
足りない年金、働けない身体、負担が大きい税金、医療費、自宅の修繕費や檀家としてのお布施も
安くは無い。山登りなんて贅沢な遊びで行ける内が華だったかも知れず、私が居なくなった妻の一
人暮らしを想像するとせめてもう少しお金を残せたら・・と悔いは残る。
では、妻に先立たれた場合はどうだろう・・・
その時の年齢でも違うだろうが、問題はお金では無く日々の生活に関わる事が出来るか出来ないか
だろうと思う。単純に炊事・洗濯・掃除は出来るか。規則正しい生活をして趣味の山登りもしてる
のだろうか。働ける状態なら働いているのか?病気になって娘家族に迷惑を掛けていないか?
元々宗教とか供養についても余り関心の無い私だから、墓じまいは早々に終えて、墓参りも法要も
せず世の中と離れた孤独な生活になっているかも知れない。
しょうも無い事かも知れないが、そんな事を考え始めた今日この頃である・・・。