エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

唄を忘れたカナリアのよう・・

2024年08月31日 | ひとりごと
ちょっと誇張してますが・・・
唄を忘れたカナリアのよう


4月から就いた仕事に追われる日々。

唄を忘れたカナリアのように、山を忘れそうな自分と重ねる。

もう半年も山に登っていない。病気なら諦めもつくが、元気なのに行けない。

まったく素人の仕事に就くも精一杯頑張って来たつもり。

それでもまだまだ一人前とは言えず、バタバタしてる毎日・・。

だけど慣れるって凄いね。激務も過ぎて少しだけ余裕が・・。

そんな時、何故か思い出した童謡「唄を忘れたカナリア」


♪《 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい

月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す》



作詞・西条八十が大正時代に作った唄。
このカナリアは、作者の西条八十自身であり、創作活動に行き詰まりを感じていた
当時の心境を歌詞にしたとも言われています。
「唄を忘れたカナリア」になった彼は、詩を捨てたほうがいいのだろうか、それとも
無理にでも詩を作ったほうがいいのだろうかと悩みます。

子供の心を知る西条は、そのように傷つきやすい子供らの心に希望を与えようとして、
この「かなりあ」を作詞したのです。唄を忘れたカナリアも、自分の居場所を見つける
ことができれば再び美しい声で歌い出すのです。

果たして私自身は、自分の居場所を見つけて再び山に登る事はあるのだろうか・・・。