その昔、まだ急行『能登』が定期列車だったころ
切符代をケチりに高崎まで前の日に来ては
(まあケチりに全然ならないのですが)
急行『能登』が来るまでの間
上越線に抜けていく列車をバルブ撮影しては
時間をつぶして楽しんでいたものです。
この1997年当時、高崎駅ではブルトレ『北陸』が停車していた他
高崎操で前補機の連結をせずに
水上でそれをやる運用になっていた一部の貨物列車が
高崎駅の1番線で機関士交代を行っていたので
それを狙って待ち構えることが出来たのでした。
シュプールや架線の雪取り運用とかで
1032や1051~1053が直江津に出張っていた時に
1030、1031は『北陸』牽引に
あるいは新津からの車両配給にと活躍していました。
シュプール号を撮りに『能登』に乗っていく人間としては
両頭連結器改造を施された両機のどちらかが直江津に来ないか
それを気にしていたのですが
結局あの9310レ~回9327レ、所謂重連運用に入ることはなく
ようやくシュプール号運用に入ったのは
'98~'99年シーズンに入ってからの事でした。
『銭湯』とか入った時は、凄かったんだろうな(´・ω・)
俺はそれが入った時には撮れませんで
仕事だ何だといってサボってましたが
それにしてもピギーバック連結列車が停まって
尚且つ機関士の交替までやってたとは
今では信じられないかも知れません。
この『北陸』も含めた高崎駅での扱いは
1番線ホームの片隅に下がった停止目標で停まって
そこで機関士交替などが行われたのですが
何せ交替時間が2分くらいでしたので
着いたらコチラもよーぃドンでバルブを切らなければならず
ピントや露出を合わせるのは苦労しました。
尤もこの頃にはAFカメラを使ってる人も多かったので
AF機使用の場合は夜のピント合わせにそれが重宝した
そういう鉄ちゃんも多かったかと思います。
かくいう自分がそうでしたからw
しかしこれらの撮影後しばらくして
貨物列車の機関士交替は高崎操車場に統一され
『北陸』の編成も短縮されて交替位置が移動
件の停止目標でのドラマは見られなくなりました。
それから暫くして、高崎駅の改修があり
1番線の供用が中止されて、下り優等列車は2番線に停車することに。
自分も下りの「あけぼの」に乗った折に
2番線に停まったのを知ったときはびっくりしましたが
在来線を走る優等列車が少なくなっている現在では
しょうがない流れなのでしょう。
今回は、高崎バルブの思い出を語ってみました。
この更新、どっとはらい。
切符代をケチりに高崎まで前の日に来ては
(まあケチりに全然ならないのですが)
急行『能登』が来るまでの間
上越線に抜けていく列車をバルブ撮影しては
時間をつぶして楽しんでいたものです。
この1997年当時、高崎駅ではブルトレ『北陸』が停車していた他
高崎操で前補機の連結をせずに
水上でそれをやる運用になっていた一部の貨物列車が
高崎駅の1番線で機関士交代を行っていたので
それを狙って待ち構えることが出来たのでした。
↓3011レ『北陸』 (EF64 1030牽引:97年2月21日撮影)
シュプールや架線の雪取り運用とかで
1032や1051~1053が直江津に出張っていた時に
1030、1031は『北陸』牽引に
あるいは新津からの車両配給にと活躍していました。
シュプール号を撮りに『能登』に乗っていく人間としては
両頭連結器改造を施された両機のどちらかが直江津に来ないか
それを気にしていたのですが
結局あの9310レ~回9327レ、所謂重連運用に入ることはなく
ようやくシュプール号運用に入ったのは
'98~'99年シーズンに入ってからの事でした。
↓2071レ (EF64 1035牽引:97年2月6日撮影)
↓2081レ (EF64 1024牽引:97年2月21日撮影)
『銭湯』とか入った時は、凄かったんだろうな(´・ω・)
俺はそれが入った時には撮れませんで
仕事だ何だといってサボってましたが
それにしてもピギーバック連結列車が停まって
尚且つ機関士の交替までやってたとは
今では信じられないかも知れません。
この『北陸』も含めた高崎駅での扱いは
1番線ホームの片隅に下がった停止目標で停まって
そこで機関士交替などが行われたのですが
何せ交替時間が2分くらいでしたので
着いたらコチラもよーぃドンでバルブを切らなければならず
ピントや露出を合わせるのは苦労しました。
尤もこの頃にはAFカメラを使ってる人も多かったので
AF機使用の場合は夜のピント合わせにそれが重宝した
そういう鉄ちゃんも多かったかと思います。
かくいう自分がそうでしたからw
しかしこれらの撮影後しばらくして
貨物列車の機関士交替は高崎操車場に統一され
『北陸』の編成も短縮されて交替位置が移動
件の停止目標でのドラマは見られなくなりました。
それから暫くして、高崎駅の改修があり
1番線の供用が中止されて、下り優等列車は2番線に停車することに。
自分も下りの「あけぼの」に乗った折に
2番線に停まったのを知ったときはびっくりしましたが
在来線を走る優等列車が少なくなっている現在では
しょうがない流れなのでしょう。
今回は、高崎バルブの思い出を語ってみました。
この更新、どっとはらい。
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