(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

高崎『バルブ』の物語り

2012年02月23日 | とある貨レ撮りの世迷い言
その昔、まだ急行『能登』が定期列車だったころ
切符代をケチりに高崎まで前の日に来ては
(まあケチりに全然ならないのですが)
急行『能登』が来るまでの間
上越線に抜けていく列車をバルブ撮影しては
時間をつぶして楽しんでいたものです。
この1997年当時、高崎駅ではブルトレ『北陸』が停車していた他
高崎操で前補機の連結をせずに
水上でそれをやる運用になっていた一部の貨物列車が
高崎駅の1番線で機関士交代を行っていたので
それを狙って待ち構えることが出来たのでした。

↓3011レ『北陸』 (EF64 1030牽引:97年2月21日撮影)

シュプールや架線の雪取り運用とかで
1032や1051~1053が直江津に出張っていた時に
1030、1031は『北陸』牽引に
あるいは新津からの車両配給にと活躍していました。
シュプール号を撮りに『能登』に乗っていく人間としては
両頭連結器改造を施された両機のどちらかが直江津に来ないか
それを気にしていたのですが
結局あの9310レ~回9327レ、所謂重連運用に入ることはなく
ようやくシュプール号運用に入ったのは
'98~'99年シーズンに入ってからの事でした。

↓2071レ (EF64 1035牽引:97年2月6日撮影)

↓2081レ (EF64 1024牽引:97年2月21日撮影)

『銭湯』とか入った時は、凄かったんだろうな(´・ω・)
俺はそれが入った時には撮れませんで
仕事だ何だといってサボってましたが
それにしてもピギーバック連結列車が停まって
尚且つ機関士の交替までやってたとは
今では信じられないかも知れません。

この『北陸』も含めた高崎駅での扱いは
1番線ホームの片隅に下がった停止目標で停まって
そこで機関士交替などが行われたのですが
何せ交替時間が2分くらいでしたので
着いたらコチラもよーぃドンでバルブを切らなければならず
ピントや露出を合わせるのは苦労しました。
尤もこの頃にはAFカメラを使ってる人も多かったので
AF機使用の場合は夜のピント合わせにそれが重宝した
そういう鉄ちゃんも多かったかと思います。
かくいう自分がそうでしたからw

しかしこれらの撮影後しばらくして
貨物列車の機関士交替は高崎操車場に統一され
『北陸』の編成も短縮されて交替位置が移動
件の停止目標でのドラマは見られなくなりました。
それから暫くして、高崎駅の改修があり
1番線の供用が中止されて、下り優等列車は2番線に停車することに。
自分も下りの「あけぼの」に乗った折に
2番線に停まったのを知ったときはびっくりしましたが
在来線を走る優等列車が少なくなっている現在では
しょうがない流れなのでしょう。

今回は、高崎バルブの思い出を語ってみました。

この更新、どっとはらい。



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