その昔、新三郷駅の上りホームはかなり離れた所にあって
地図でみると同駅南西方向300メートル先の
ちょうど小学校の手前の辺りにあった。
その間はかつての武蔵野操車場跡地で
線路が引っぺがされたまんまの原っぱが横たわっており
中学校のある彦成地区からここを横切って
駅の下りホームのある半田地区に行く場合には
間に懸けられていた跨線橋を渡っていく必要があった。
この上りホームは武蔵野線東部の撮影地のひとつでもあった。
列車が向かって左方向にカーヴを切っていく築堤には何もなく
ホーム突っ先から編成が綺麗に撮影できたからだ。
ただしここは、画角が35mm版相当で
280mm~300mm間をカヴァーする望遠ズームか望遠レンズがないと
撮れない「難所」のひとつでもあった。
↓EF65 541牽引の5881レ
↓EF64 40牽引の2459レ
また望遠専門特有のいわゆる変態アングルだったため
ピン位置を間違えれば必ず後ピン、後ろにピントが逝き
前にピシッと決まった状態で写らないことも多々あった。
こういった場合、自分の見た目より手前に
ピン位置を置くことでピンぼけを防ぐことが出来たが
他のアウトカーヴからの撮影でもこの手は有効で
大量のピンぼけ写真と引き換えではあったけれども
ここで磨いた「感覚」は後から色々役立った。
この写真を撮って暫くしてから
新三郷駅の上り線は下り線と平行する形に移設されて
旧上りホームは廃止され消滅した。
その後は武蔵野線の電車から眺める通りだが
晩秋の黄色く枯れたススキが埋め尽す広大な原っぱに
あの巨大な商業施設が建つとは、当時は全然思わなかったから
今はあの辺りを通る度、ただ呆然と眺めているだけだ。
地図でみると同駅南西方向300メートル先の
ちょうど小学校の手前の辺りにあった。
その間はかつての武蔵野操車場跡地で
線路が引っぺがされたまんまの原っぱが横たわっており
中学校のある彦成地区からここを横切って
駅の下りホームのある半田地区に行く場合には
間に懸けられていた跨線橋を渡っていく必要があった。
この上りホームは武蔵野線東部の撮影地のひとつでもあった。
列車が向かって左方向にカーヴを切っていく築堤には何もなく
ホーム突っ先から編成が綺麗に撮影できたからだ。
ただしここは、画角が35mm版相当で
280mm~300mm間をカヴァーする望遠ズームか望遠レンズがないと
撮れない「難所」のひとつでもあった。
↓EF65 541牽引の5881レ
↓EF64 40牽引の2459レ
また望遠専門特有のいわゆる変態アングルだったため
ピン位置を間違えれば必ず後ピン、後ろにピントが逝き
前にピシッと決まった状態で写らないことも多々あった。
こういった場合、自分の見た目より手前に
ピン位置を置くことでピンぼけを防ぐことが出来たが
他のアウトカーヴからの撮影でもこの手は有効で
大量のピンぼけ写真と引き換えではあったけれども
ここで磨いた「感覚」は後から色々役立った。
この写真を撮って暫くしてから
新三郷駅の上り線は下り線と平行する形に移設されて
旧上りホームは廃止され消滅した。
その後は武蔵野線の電車から眺める通りだが
晩秋の黄色く枯れたススキが埋め尽す広大な原っぱに
あの巨大な商業施設が建つとは、当時は全然思わなかったから
今はあの辺りを通る度、ただ呆然と眺めているだけだ。
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