(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

帰ってきた1031

2024年11月03日 | ▲EF62・EF64▲遥かなる山の呼び声▲甲信越・中央東線▲
 まるで粳寅一家の何か(すすめ!パイレーツ、の1巻から出てくるw)

”シュプール妙高志賀5号”からの回9332レ (三才〜豊野間:13.02.'99)

 以前の重連シュプール「妙高志賀」なら、黒姫まで641000重連で上った後、回送のための機回しをやってから回9327レで直江津まで下り、81牽引で糸魚川の疎開地まで移動していた。
 しかし信越「山線」最終シーズンは黒姫で客扱い終了後、そのまま長野まで回送される筋書きに変わった。それで、日が低い1月の「トワイライトExp」運転中は回送の通り道になった古間の旧国道の陸橋に、大勢の「お地蔵さん」の影が見えることになった。
 その後、トワイライトに変わってフツーの「妙高志賀5号」が2月から運転された。手元に当時の運休情か時刻表があればいいんだが、生憎7日はどうだったか・・・。また後ほどに詳細が出たら直すことにしよう。
 明けて13日は、件のがレガート車+ハネハネフ15✕4+ハハフ200代✕2という編成で、1031単機牽引でやってきた。当日は曇り+雪の天気のため、人の集まり具合とか考えながら直江津から上ってきたが、最終的に豊野駅で降りて、三才〜豊野間「石」の直線で待ち構えていた。現地は最初は俺1人だったのに、そのうち地元の鉄連中がやってきて6、7人で撮ってたが、何か雰囲気が殺伐として怖かった記憶がある。
 翌週はいいお天気の中、長野のEF64 42登場で同じ編成を牽いてやってきた。「レガート」連結で人もいっぱいいらしたが、それでも月が変わって日も高くなって、大勢のお地蔵さんの丈も「低く」なって撮るのが楽になった。
 27日は仕事から抜けられず記録が抜けてるが、同じく「シニガマ」だったらしいので、結局1031は13日の1回だけ入ったレアなものになった。以後西からの客レシュプール運転は 糸冬 了 。残ったのはユーロだけになる。


 

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