今でこそかなり大規模な運用が存在する鉄道コンテナの自動車部品輸送だが、JR化以後に列車貸切で行った最初の例は平成3年改正から、西浜松~相模貨物間に走った9450レ、9451レだったかと記憶する。
西浜松を未明に出て終点には朝到着、折り返し相模貨物からは午前中に出発して西浜松には夕方到着するダイヤで、基本毎日運転。稲沢=愛知機関区のEF65が牽引担当なので、9や21といったネタ機が入った時は、頑張れば神奈川県内では1本で2回楽しめた。
113が牽く9450レ
(根府川~真鶴間:12.06.'93)

当日牽いていた113。避雷器はLA15、Hゴムも全て白と「原型」に近い機。「三色更新」機もいるにはいたが、この頃の東海道本線はまだまだ原形・原色を保ったのが多く走っていた。
西浜松を未明に出て終点には朝到着、折り返し相模貨物からは午前中に出発して西浜松には夕方到着するダイヤで、基本毎日運転。稲沢=愛知機関区のEF65が牽引担当なので、9や21といったネタ機が入った時は、頑張れば神奈川県内では1本で2回楽しめた。
113が牽く9450レ
(根府川~真鶴間:12.06.'93)

当日牽いていた113。避雷器はLA15、Hゴムも全て白と「原型」に近い機。「三色更新」機もいるにはいたが、この頃の東海道本線はまだまだ原形・原色を保ったのが多く走っていた。
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