昔、家頁の片隅でコキ+ワムの5183レを撮りに行った件を綴ったのを出してたが、それ以来のうpになる。

2004年の4月下旬か。当日明けだったか非番だったかも忘れたが、兎に角”この複合編成”をED75 98先頭の重連が立つという情報だけで、勝手知ったる泉崎~矢吹間の直線に出掛けた。
夕方通過の列車に対しては”面だけ”の場所なので、あまり光線状態はよくない場所だったが、ならば逆手にとって影が伸びてる所を撮ろうと上り線側から狙った。
意図は良かったかも知れない。良く晴れた日の夕方だったから影はハッキリ出た。しかし、思った以上に影が長くてファインダーから思い切りはみ出てしまう。それでも思った所でシャッターが切れて、個人的にはよいのが撮れたと満足した。
前機98、次位(ソ)機1016。同じ月のある日曜日に3083レを牽いてた組み合わせでもある。だが後にこの2機はおよそ8ヶ月後、中越地震の際に運転された磐西線の迂回ワム列車の件でも関係することになるが、この時は俺も知るよしもなかった。

2004年の4月下旬か。当日明けだったか非番だったかも忘れたが、兎に角”この複合編成”をED75 98先頭の重連が立つという情報だけで、勝手知ったる泉崎~矢吹間の直線に出掛けた。
夕方通過の列車に対しては”面だけ”の場所なので、あまり光線状態はよくない場所だったが、ならば逆手にとって影が伸びてる所を撮ろうと上り線側から狙った。
意図は良かったかも知れない。良く晴れた日の夕方だったから影はハッキリ出た。しかし、思った以上に影が長くてファインダーから思い切りはみ出てしまう。それでも思った所でシャッターが切れて、個人的にはよいのが撮れたと満足した。
前機98、次位(ソ)機1016。同じ月のある日曜日に3083レを牽いてた組み合わせでもある。だが後にこの2機はおよそ8ヶ月後、中越地震の際に運転された磐西線の迂回ワム列車の件でも関係することになるが、この時は俺も知るよしもなかった。
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