渡田(わたりだ)の踏切の近所に、父方の叔父が社長やってた工場があって、高校時代に根府川へ遠征した時には自宅に泊めてもらって、そこから出撃したことを思い出す。何せ30年も前の話だから叔父もその息子である従兄も今現在どうしてるかは知らない。
叔父がいるからには兄弟である父も若い頃には世話になってた訳で、その近所の下宿に住んで鶴見の某大工場に勤めていた。家族で叔父の自宅にお邪魔させてもらった時は、大川支線のクモハ12を見て懐かしがり、「いいから乗ってみろ」と誘ってきたりした。
そんな川崎のド・川崎な所に金失しに来たのは二十ン年振り。
★どっか懐かしい風景だと思った
5052レ EF66 127 (S2) 1227上 ・コキ4-、6-、7-、×24車
72レ EF210-119 (鶴) 1246上 ・コキ100系、×20車
8460レ EH500- 81 (定) 1331上 ・タキ10-、430、243、等×10車
ナゾの白いU51Aが目立つ5052レ
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隅田川から72レを牽いて戻ってきた、EF210-119
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"混色タキ編成"を牽くEH500-81
…ここでキンタを見るとは思わなかった orz
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普通に南武線を下っても西国分寺1153時の通過には間に合わないので、どうやったら72レが撮れるか考えた結果、進行方向にずり下がって尻手支線で浜川崎へ行くことにした。
ただそこの鶴見方向突っ先は実質"使えない"みたいで、外にでてその先にある踏切に行くしかない。これが判らなくて昔出掛けて何回か敗退していたが、今回駅を実際降りてみて、クルマがスーッと向かって左に曲がるのが見えたのでやっと判った・・・やっぱりあそこの回り道だった。
道路も狭いので三脚は使わず手持ちで撮る。ふと踏切の黄色いコンクリの柵に寄っ掛かったら、虎ロープ巻き取りウインチが錆びまくって朽ち果てていた。ここは昔踏切手のいた有人の踏切だったのだ。だが、感傷に浸ってる暇はない。黙ってると来るものが来てしまう。
現車24両に戻った5052レが行った後、すぐに現れたのが72レ。鶴太郎では唯一未撮となった-119の牽引だったが、やっぱり武蔵野線でないとしっくりこない気がする。
まだヒトコマ余ってたので、次いでだからと3064レを待ってみる。だが同レは12分遅れ予定とかいいながら全然こない。そのうち尻手支線の205系ワンマン電車とEH500のタンカー列車がきた。うわ、こんなとこまできてEH500かよとか思いながら堪らずシャッターを切ったけれど、時の流れは残酷だ。
帰りの電車が待ちきれないので、市電通りに出て川崎氏バスで川崎駅へ。やっぱり市内はバスで回るに限る。それは貨車撮影に熱中してた二十ン年前と変わらない。また来るときも尻手支線で来てバスで逃げようか。
叔父がいるからには兄弟である父も若い頃には世話になってた訳で、その近所の下宿に住んで鶴見の某大工場に勤めていた。家族で叔父の自宅にお邪魔させてもらった時は、大川支線のクモハ12を見て懐かしがり、「いいから乗ってみろ」と誘ってきたりした。
そんな川崎のド・川崎な所に金失しに来たのは二十ン年振り。
★どっか懐かしい風景だと思った
5052レ EF66 127 (S2) 1227上 ・コキ4-、6-、7-、×24車
72レ EF210-119 (鶴) 1246上 ・コキ100系、×20車
8460レ EH500- 81 (定) 1331上 ・タキ10-、430、243、等×10車
ナゾの白いU51Aが目立つ5052レ
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隅田川から72レを牽いて戻ってきた、EF210-119
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"混色タキ編成"を牽くEH500-81
…ここでキンタを見るとは思わなかった orz
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普通に南武線を下っても西国分寺1153時の通過には間に合わないので、どうやったら72レが撮れるか考えた結果、進行方向にずり下がって尻手支線で浜川崎へ行くことにした。
ただそこの鶴見方向突っ先は実質"使えない"みたいで、外にでてその先にある踏切に行くしかない。これが判らなくて昔出掛けて何回か敗退していたが、今回駅を実際降りてみて、クルマがスーッと向かって左に曲がるのが見えたのでやっと判った・・・やっぱりあそこの回り道だった。
道路も狭いので三脚は使わず手持ちで撮る。ふと踏切の黄色いコンクリの柵に寄っ掛かったら、虎ロープ巻き取りウインチが錆びまくって朽ち果てていた。ここは昔踏切手のいた有人の踏切だったのだ。だが、感傷に浸ってる暇はない。黙ってると来るものが来てしまう。
現車24両に戻った5052レが行った後、すぐに現れたのが72レ。鶴太郎では唯一未撮となった-119の牽引だったが、やっぱり武蔵野線でないとしっくりこない気がする。
まだヒトコマ余ってたので、次いでだからと3064レを待ってみる。だが同レは12分遅れ予定とかいいながら全然こない。そのうち尻手支線の205系ワンマン電車とEH500のタンカー列車がきた。うわ、こんなとこまできてEH500かよとか思いながら堪らずシャッターを切ったけれど、時の流れは残酷だ。
帰りの電車が待ちきれないので、市電通りに出て川崎氏バスで川崎駅へ。やっぱり市内はバスで回るに限る。それは貨車撮影に熱中してた二十ン年前と変わらない。また来るときも尻手支線で来てバスで逃げようか。
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