(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

普通の「青プレ」PFになっても

2013年12月19日 | 一般型、特急型|\EF65総合/|客貨どっちも
最初にこのカマに出会ったのが高2の夏、黒磯。
機関区構内の側線に、パンタを下ろして休んでいた。
黒磯発上野行きの電車待ちの合間に撮影したのだが
何か建物のそばの、渡り線みたいなトコにいたので
「こんなトコに停めるか?」と驚いた覚えがある。
因みに区名札は「田」、田端の所属になっていた。
さらに3ヶ月後に「新」、新鶴見区に異動になる訳だが
それがこのカマの運命の分かれ道になるとは
交流機天国な田舎から来た俺には、その時知る由もなかった。

元からパンタグラフにはPS17を付けていたのだが
後に新鶴見生え抜きで配属される1056以降は
最初っから下枠交差型のPS22を付けてデビューしていた。
スカートのカニパンスイッチ用のKE70ジャンパ受け穴は無かったが
その3番か5番くらい前の辺りのカマには
受け栓はなかったが一応取り付け穴は開けてあった。
だから、1050を含む数台のPFはとても半端な存在だった。
今にしてみれば、PFというカテゴリのカマ達の進化の過程の
いわゆる「Missing Link」みたいな、とても貴重な存在だったけど。
そうして如何せん、こんな存在だったから
1056以降の「生え抜き」の公逹みたいな連中とは違い
(ったって1137~1139は関西生まれだが)
コキ250000牽引対策の減圧促進装置は取り付けられず
「赤プレ」を飾って走ることも無く
JR貨物に籍を置いてこのかた20数年間はごく普通に
北は黒磯、西は山口・幡生まで貨レを牽いて走り回る生活を送る。
いつの間にか車体は更新され、パンタはPS22Bに取り替えられ
塗装は特急牽引機のモノから貨物更新機色に
さらに諸般の事情により、機番も2000番台に変わり
台座のプレートも青が濃くなった。

何だ、その辺の青プレPFじゃん( ゚Д゚)、

だが、それがいい。
嘗て広島区にいたEF58の63番なんかは
東京区にいた頃は「容姿端麗」な大窓機だったのが
関西ブルトレ牽引に際して元タメ引き通し改造を受けた後
前面窓は小窓化・黒Hゴム化され
パンタグラフはPS22Bに載せ換えられ
さらに分割型庇取り付け、大型外嵌め式尾灯に取り替えと
ありとあらゆる改造を受けた末に昭和59年初頭に廃車されたが
俺にはそれでもかっこよくみえた。
何事もなく原型のまま消えていくのも、頑固な美しさがあるが
時代に合わせて足し引きを経て姿を変えていくのもまた美しく
これはコレで乙なのがあると思うのだ。

まぁ、最後の最後は2036辺りで使ってる
PS17に再度載せ換えて走ってくれたらとか妄想しないでもないが
古くから知ってるカマだし、昔撮ったこともあるから
また今度撮れる機会があったら
「よく頑張ってるな、お前」とエールを送りたい。

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