(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

撮り鉄が出来る最敬礼は

2013年12月18日 | ガレージ&サルヴェージ
やはり撮って記録を残して
幾久しく記憶に残していくことしかないんじゃないかと。


先の3.11でも「この火事場に撮りに出掛けるとか、不謹慎だぞ」とか言う
いわゆる不謹慎厨が大勢出たのを記憶してる人は多いと思う。
けれども百聞は一見に如かずの譬があるように
「いる筈のない奴がどこそこに出た!」と散々言ってみても
見てない人間からしたら嘘かも知れない
またオオカミ少年か?としか思われない訳で
それでは、折角遠くから救援に馳せ参じてきた連中の働きが
後々報われないものだったと言ってるように思えてならない。
ならばどうしたらその働きがどんな形にせよ
とても立派なものだったと伝えればいいのか?
写真、画像に残して幾久しく残して伝えていくのが
俺ら撮り鉄が出来る撮り鉄ならではの最大の礼、最敬礼ではないのか。
尤も、撮りにいくにしてもそれなりに職場や学校に筋を通して
法規やマナーを守っていく必要があるが
その上で撮ったものは惜しみなく出して
残すべきものを残して伝えていくべきではないのか。

…と、ポジ箱を漁って再確認した次第。
でも、撮影が成功したからいいけれど
失敗しましたじゃ格好が付かないし
行けた筈の予定が諸般の事情でポシャったんでは
やってるったって格好が付かないんでね。
同業はあらまほしきことにしかず。
アレだ、行ける連中はみんな行ってきてくれ。
そして撮った奴は見せる。
行けなかった奴は僻まない。

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