グッチーの日本寸評

「わが日本を少しでもいい国、住みたい国にしたい」との思いから日本の政治、経済、世相を自由気ままに評論する。

今年のヒット商品は?

2010年11月19日 | 日記
毎年暮れが近づくとその年のヒット商品が取り沙汰される。
一足先に私流の「今年のヒット商品」を取り上げてみたい。
最初に思いついたのはあの「食べるラー油」である。
ラー油そのものは昔から存在していたものだしフライドガーリック、フライドオニオンを混ぜるというアイデアもさほど画期的なものではないと思うのだがあのヒットぶりはスゴい。
本家といわれる桃屋、S&Bのモノは品薄状態が続いており私は未だに口にさせていただいたことはない。
渇望感、期待感は高まるばかりである。
2番目に挙げたいのはLED電球である。
従来型電球に比べ目に見える効能は認められないものの長時間寿命、省電力が高く評価され驚くほどの高価格をものともしない快進撃を見せている。
従来型電球の生産を打ち切り全てLED型に切り替えたメーカーも出てきた。
世の中は急スピードで転換が図られそうだ。
まだまだ該当商品はありそうだがこの続きはあらためて・・・。

揺らぐ政権基盤(その2)

2010年11月18日 | 日記
突如飛び出した法相の「フレーズ2つ覚えておけばいい」発言は地元のいわば身内での話とはいえ国会軽視も甚だしい。
しかも発覚直後は「茶化して言ったが間違いではない。」と悪びれる様子もなく「うっかりしていた」などと釈明できるレベルではない。
菅政権には「泣きっ面に蜂」だが何がしかの任命責任は免れられないだろう。
野党からの辞任要求に対して菅首相は例の如くかばう構えのだがここは思い切って更迭を考えるべきではなかったか。
よく閣僚の辞任は内閣のダメージといわれるが不適格者の温存によるイメージダウンはボディブローのように効いてくる。
これではなかなか内閣支持率の低下を食い止められないだろう。
それともよほど「適材」が払底しているのだろうか・・・。





揺らぐ政権基盤

2010年11月17日 | 日記
かねてよりこのブログで事業再仕分けにあたり大臣、副大臣など政務三役の巻き込みが重要と指摘してきたが残念ながら事態は既に進行、数人の政務官から事業仕分けの手法そのものを疑問視する発言が出るようになった。
ここまでこればもう行政刷新相任せでは収まらないだろう。
議員の歳費削減案も今まで幹事長を中心に合意形成を図ってきたがこちらも限界が見えてきた。
どちらも菅首相自らが乗り出さないとどうにもならない所まできている。
何もかも首相マターというのも大変だがこういう状況を招いた責任の一端は状況を甘くみてきた首相にもあるので止むを得まい。
政権交代の原動力となった09マニフェストが今では重い足枷になって党は溺死寸前にある。
首相には相当な覚悟と実行力が求められているが果たして・・・?



事業再仕分け実施に思う(その2)

2010年11月16日 | 日記
昨日から112事業の再仕分けが始まった。
事業仕分けは民主党政権の唯一の高得点政策であった。
これは何が何でも成功裡に持ち込まなくてはならないだろう。
一つ気になることは新旧の大臣、副大臣など政務三役をまだ十分巻き込んでいないことだ。
昨日も総務省のある事業について仕分け人が(前回の仕分け結果を予算要求に反映していないことについて)詰問していたが担当者は「原口前総務相の強い意向である」と回答していた。
そして当の原口前総務相はその後のインタビューで「当該事業の廃止は承服できない。なぜオレをその場に呼ばないのだ。」と息巻いていた。
「政治主導」を標榜しながら同じ政党の議員同士が反対の方向に走っているのはマズい。
プロセスはどうであれ仕分け担当議員は何らかの方法で政務三役と調整すべきである。
国民からみれば民主党は一つなのだ。

APEC閉幕に思う

2010年11月15日 | 日記
昨日APEC横浜会議が閉幕した。
1,2年前から注目してきただけに終わったとなると(何もやっていないのに)軽い虚脱感に襲われた。
世界の超VIPが隣町の横浜に集結していたなど未だに信じられない気もするがあの厳戒態勢を思い出すと現実だったのだろう。(笑)
それにしても今回のイベントで何か成果はあったのだろうか。
首脳会議で議長役を果たした菅首相は当然それなりの成果を吹聴するだろうが本心をいえば達成感と乏しいのではないか推測する。
採択された「横浜ビジョン」もありきたりのフレーズが並ぶだけで「これで何かが動き出す」というような起爆性に欠ける。
我が国にとって懸案の中国・ロシアとの領土問題についてはスタートラインについたとまでもいえないようだ。
ただ我が国と同様にねじれ国会に直面することなったオバマ大統領とはある種のシンパシーを共有できたに違いない。

TPPが求めるもの

2010年11月14日 | 日記
TPP(環太平洋パートナーシップ)参加の賛否を巡って日本国内が真っ二つに割れている。
しかし世界の趨勢からみて進むべき方向は自ずから明らかである。
問題の根源は日本の産業政策が第二次産業分野に集中し結果として第一次産業の競争力強化がなおざりにされてきたことだろう。
農林水産業はこれを機会にあらためて官民連携して2015年とされる関税撤廃目標時期に間に合うよう産業強化を図るべきである。
今だに農家の個別補償などと聞くとがっかりしてしまう。
ここは生産法人化を柱に生産性向上を推進することが本筋だろう。
製品差別化や付加価値増大化も方策かもしれない。
外圧は絶好のチャンスでもある。
農林水産業関係者は徒に保護策に頼ることなくまた第二次産業の犠牲者といった意識に捉われることなく今こそ発奮し、TPP参加を受け入れていただきたいと思うのである。
勿論政府とはキチンと向き合いながら・・・。


民主党の行く末を考える

2010年11月13日 | 日記
「民主党政治改革推進本部の総会で定数削減案も議員歳費削減案も先送り」と聞いて驚いてしまった。
一体この場にいた民主党議員は先頃の自党の参院選選挙公約をどう考えているのか。
定数削減案は公明党・民社党こそ反対のようだが自民党・みんなの党などは賛成しているのに・・・。
歳費だって民間給与も公務員給与も下がっている中で「自分達だけは別」は通用しない。
こんなに簡単に選挙公約を取り下げていいものだろうか。
「企業献金(条件付き)受領への方針転換」もそうだ。
菅首相は「わが党が受け取らないと(財界が)自民党に献金しにくいという意見があったため」と弁解していたが全く話にならない。
新人議員は少しばかり手元不如意かもしれないが信頼できる政党・政治家として立つか、カネのために約束をすぐウヤムヤにする政党・政治家を志向するのか、を一度立ち止まって考えたほうが良い。
民主党は一歩一歩自壊に近づいているように思わざるを得ない。

国民の生活はどこへ行った?

2010年11月12日 | 日記
国会も新聞・テレビも例の尖閣ビデオの責任論一色である。
たしかに国家情報の漏洩問題とあれば疎かにできないが今回はもともと公開も考えられていた(当初から某大臣などは公表を示唆していた)もので漏洩により大きく国益を損なったとはいえない。
それゆえこれだけことを大きくして国民の生活に直結する政治案件を後回しにする風潮は如何なものか。
どうも日本の政治は熱しやすく冷めやすい性癖を持つ。
責任論を政争の具にするのではなくもっと地道に取り扱ったらどうか。
為替レートは落ち着いているとはいえ先般政治介入を行った水準(1ドル=82円前後)に張り付いたままで多くの中小企業は生死の境にいる。
菅首相はあれほど雇用確保の緊急性を叫んでいたが労働環境はどれだけ好転したのだろうか。
与野党、メディアとももっと国民の生活に根ざした活動を志向すべきであろう。

自然を愛でる

2010年11月11日 | 日記
好天が続く秋の日ふと思いついて近くのハイキングコースに足をのばした。
以前から時々歩く散歩道だがここのところ一寸ご無沙汰だった。
コース沿いにはところどころでアザミや野菊が咲き乱れなかなか風情がある。
イテテッ!やっぱりアザミの棘は痛い。
ススキも多くはちょうど穂を出したところでやわらかくそよいでいる。
月見の季節には間に合わなかったのか。
餌を求めて動き回る野鳥やリスの姿も愛らしい。
クマの話ではないがこのあたりの木の実は出来具合はどうだろう。
・・・てなことを考えながら木漏れ日の中をゆっくり散策を楽しんだ。
巷ではやれ尖閣ビデオの流出だ、やれTPP対応だなどと騒々しいが自然界には無縁である。
たまには雑事を忘れリラックスするのもいいものである。



事業再仕分け実施に思う

2010年11月10日 | 日記
政府は過去の事業仕分け実施分のうち112事業について(過去の)仕分け結果が十分反映されていないとして再仕分けを行うことにしたようだ。
これは当然だろう。
あれほど国民注視の中で実施した結果がかくも軽視されたとなれば行政刷新会議の存在意義まで問われることになる。
是非とも今度の会議でキチンと審議し納得のいく結果を出してしてもらいたいものである。
心配なのは相も変わらず議論が平行線のままで終わってしまうことだ。
その為にももっと担当大臣、副大臣を巻き込み彼らが十分に調整機能を果たすよう誘導したらどうか。
予算要求するのであれば担当大臣自ら何らかのコミットメントがいるだろう。
いまひとつは廃止事業などについて移行期間も同時に考えていくことである。
いきなり「来年度は廃止」などといわれても現実にその事業で生計を立てている公務員、民間事業者を路頭に迷わすような決断は誰もできない。
猶予期間がなければ徹底抗戦は自明の理である。