木下黄太ブログより転載
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茨城から沖縄に避難した十五歳の 高校一年女子生徒が恩師にあてた手 紙。という記事が、去年の年末にあ りました。この女子生徒が、もう一 度、皆さんに書いた文章です。
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こんばんは。関東から西に高校1年の9月 に移住しました。 移住のきっかけは、母の言葉でした。
震災から半年間はまったくの無頓着で、 放射能についても全然興味もなく、普通 に高校に入学して 普通に雨にも打たれ、自転車で通学して ました。
その年の7月ごろから、母の仕事関係の人 から 放射能について詳しく聞かされ、どんな に恐ろしい事態か、 必死に調べました。
調べていくうちに、自分の今まで何も知 らなかった 愚かさに気付かされ、ここにはもう住め ないんじゃないかと 思うようになりました。
調度その頃、母の頭痛がすごくひどくな り、仕事も ろくにできず、病院へ行っても何の異常 もないとしか 判断されずに首をかしげることが多々あ りました。
私自身、ただの大げさなことだろうと気 にも留めて いませんでしたが、放射能について知っ た時、 これもその症状なのかなと疑い始めまし た。
そして自分の体の変化にも気づきます。
私は大して体をこわしたりしないし、鼻 血も出ない 健康な体でしたが、母と同じ7月ごろに喉 が腫れて 学校を休むことがありました。
ただの風邪かなと思っていましたが、そ のあとに 10年以上も出なかった鼻血が出るように なり、 すごく驚いたのを覚えています。
放射能について調べているうちに、自分 と同じ 症状の子供が何人もいるということがわ かり、 自分の症状も被爆に近いものなのかなと 思いました。
でもその時点ではあまり深くも考えず、 本当の 放射能の恐ろしさをまだ理解できていま せんでした。
母から西に避難しよう、と言われたとき も バカじゃないのと最初は思っていたけれ ど 母の辛そうな姿を間近で見て、避難する ことを決めました。
避難してから、もともとアトピーを持っ ている私ですが 両腕と胸に赤い湿疹がたくさん出てきま した。
アトピーかと思っていたけれど今までに 見たことのない もので、すごくショックを受けてつらか ったです。
そして同じような湿疹が出ている人もた くさん いることも分かりました。
そして熱も出て、風邪だと思っていた喉 の腫れが 甲状腺とリンパ腺の腫れだということも 病院で調べて分かりました。
その後、チェルノブイリハートという映 画を見て 自分に起こっている症状が将来、どんな 病気に つながるのかということを知った時、 ショックと驚きと怒りと悲しみでいっぱ いでした。
それと同時に自分は逃げられたけど まだ関東にいるたくさんの友達のことが すごく 心配になり、ブログを通して地元の友達 に 訴えかけました。
するとみんなからの返信は、
「親が公務員で動けないから」
「親に放射能に対する不安を言っても相 手にしてくれない」
「どうせ自分は子供産めないから」 「震災の犠牲者になるんだね」
「あなたは逃げられてよかったね」
「今が良ければいい」
「どうせ死ぬなら今いる場所で死にたい 」
高校生である彼女たちの声はとても 諦めに近いものでした。
私たち高校生は意思がしっかりあるにも 関わらず 大人になりきれないで、自分たちだけで 動くことはできません。
親の力がないと自分たちの将来や、自分 の将来の子供を守れません。
誰も経験したことのない出来事ですから 、 誰もどれだけ恐ろしいことになるかなん て想像できないのは 当たり前だと思います。
だから動きたくても動けない人がたくさ んいることも よく分かっています。
それでも、子供の命を大人が守らなくて 誰が守るんですか?
どうして親の選択一つで私たち子供の 未来が奪われなくちゃならないんですか ?
すっごく、口惜しいです。
私は家族に恵まれて、親に理解力があっ て 行動力があって本当に幸せだと思います 。
でもだからこそ、動けずにいる友達や関 東にいる 子供たちを一人でも多く助けたいです。
無力なのはわかっているし、私一人が何 かを 言ったところで大人がまともに聞いてく れないのも 経験しました。
それでもわかってくれる大人もたくさん います。
そんな人たちに私は救われ、もっと 私たち若い世代が声をあげるべきなのだ と 思うようになりました。
きっと私と同じ考えを持っている高校生 や 若い人たちはたくさんいます。
ただ声にできないだけで。
もっと子供の心の声を聞いてください! もっと子供の未来を本気で考えてくださ い! もっと大人だからこそできることをして ください!
私だって、できることならこんなふうに 叫ぶだけじゃなくて行動して少しでも日 本の 大人が変わる何かをしたいです。
でもまずは私たちの声を少しでも聞いて ください。
もし、今はまだ小さいあなたのお子さん が 将来白血病やがんになったとき、 「どうしてあの時逃げてくれなかったの ?」 と言われたらどうしますか?
悔やんでも悔やみきれないし遅いです。
今が今の私たちの未来をつくることを 忘れないでください。
お願いします。
少しでも私たち子供の声が心に響くこと を 願っています。
日本を、日本の子供たちを救ってほしい です。
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こどもたちの未来を奪う権利は、誰にもない。
たとえ親にも。
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茨城から沖縄に避難した十五歳の 高校一年女子生徒が恩師にあてた手 紙。という記事が、去年の年末にあ りました。この女子生徒が、もう一 度、皆さんに書いた文章です。
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こんばんは。関東から西に高校1年の9月 に移住しました。 移住のきっかけは、母の言葉でした。
震災から半年間はまったくの無頓着で、 放射能についても全然興味もなく、普通 に高校に入学して 普通に雨にも打たれ、自転車で通学して ました。
その年の7月ごろから、母の仕事関係の人 から 放射能について詳しく聞かされ、どんな に恐ろしい事態か、 必死に調べました。
調べていくうちに、自分の今まで何も知 らなかった 愚かさに気付かされ、ここにはもう住め ないんじゃないかと 思うようになりました。
調度その頃、母の頭痛がすごくひどくな り、仕事も ろくにできず、病院へ行っても何の異常 もないとしか 判断されずに首をかしげることが多々あ りました。
私自身、ただの大げさなことだろうと気 にも留めて いませんでしたが、放射能について知っ た時、 これもその症状なのかなと疑い始めまし た。
そして自分の体の変化にも気づきます。
私は大して体をこわしたりしないし、鼻 血も出ない 健康な体でしたが、母と同じ7月ごろに喉 が腫れて 学校を休むことがありました。
ただの風邪かなと思っていましたが、そ のあとに 10年以上も出なかった鼻血が出るように なり、 すごく驚いたのを覚えています。
放射能について調べているうちに、自分 と同じ 症状の子供が何人もいるということがわ かり、 自分の症状も被爆に近いものなのかなと 思いました。
でもその時点ではあまり深くも考えず、 本当の 放射能の恐ろしさをまだ理解できていま せんでした。
母から西に避難しよう、と言われたとき も バカじゃないのと最初は思っていたけれ ど 母の辛そうな姿を間近で見て、避難する ことを決めました。
避難してから、もともとアトピーを持っ ている私ですが 両腕と胸に赤い湿疹がたくさん出てきま した。
アトピーかと思っていたけれど今までに 見たことのない もので、すごくショックを受けてつらか ったです。
そして同じような湿疹が出ている人もた くさん いることも分かりました。
そして熱も出て、風邪だと思っていた喉 の腫れが 甲状腺とリンパ腺の腫れだということも 病院で調べて分かりました。
その後、チェルノブイリハートという映 画を見て 自分に起こっている症状が将来、どんな 病気に つながるのかということを知った時、 ショックと驚きと怒りと悲しみでいっぱ いでした。
それと同時に自分は逃げられたけど まだ関東にいるたくさんの友達のことが すごく 心配になり、ブログを通して地元の友達 に 訴えかけました。
するとみんなからの返信は、
「親が公務員で動けないから」
「親に放射能に対する不安を言っても相 手にしてくれない」
「どうせ自分は子供産めないから」 「震災の犠牲者になるんだね」
「あなたは逃げられてよかったね」
「今が良ければいい」
「どうせ死ぬなら今いる場所で死にたい 」
高校生である彼女たちの声はとても 諦めに近いものでした。
私たち高校生は意思がしっかりあるにも 関わらず 大人になりきれないで、自分たちだけで 動くことはできません。
親の力がないと自分たちの将来や、自分 の将来の子供を守れません。
誰も経験したことのない出来事ですから 、 誰もどれだけ恐ろしいことになるかなん て想像できないのは 当たり前だと思います。
だから動きたくても動けない人がたくさ んいることも よく分かっています。
それでも、子供の命を大人が守らなくて 誰が守るんですか?
どうして親の選択一つで私たち子供の 未来が奪われなくちゃならないんですか ?
すっごく、口惜しいです。
私は家族に恵まれて、親に理解力があっ て 行動力があって本当に幸せだと思います 。
でもだからこそ、動けずにいる友達や関 東にいる 子供たちを一人でも多く助けたいです。
無力なのはわかっているし、私一人が何 かを 言ったところで大人がまともに聞いてく れないのも 経験しました。
それでもわかってくれる大人もたくさん います。
そんな人たちに私は救われ、もっと 私たち若い世代が声をあげるべきなのだ と 思うようになりました。
きっと私と同じ考えを持っている高校生 や 若い人たちはたくさんいます。
ただ声にできないだけで。
もっと子供の心の声を聞いてください! もっと子供の未来を本気で考えてくださ い! もっと大人だからこそできることをして ください!
私だって、できることならこんなふうに 叫ぶだけじゃなくて行動して少しでも日 本の 大人が変わる何かをしたいです。
でもまずは私たちの声を少しでも聞いて ください。
もし、今はまだ小さいあなたのお子さん が 将来白血病やがんになったとき、 「どうしてあの時逃げてくれなかったの ?」 と言われたらどうしますか?
悔やんでも悔やみきれないし遅いです。
今が今の私たちの未来をつくることを 忘れないでください。
お願いします。
少しでも私たち子供の声が心に響くこと を 願っています。
日本を、日本の子供たちを救ってほしい です。
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こどもたちの未来を奪う権利は、誰にもない。
たとえ親にも。