本気で自殺を考えたことがある人が54万人?だかいるというニュースについて。
本気ってやつがどの程度かは別として、
あるでしょう、多少なりとも。誰にでも。
もう死んでしまいたいと思うこと。
それくらい辛いこと。
でも、
親や大切な人のことが頭をよぎったり、
単純に死ぬ勇気がなかったり。
まあ、それは本気じゃないと言われればそれまでですけど。
そんなんで結局死ねないまま朝が来て。
ずるずる生きてるうちになんとかなったり。
意外な方向から解決したり。
単純に放り投げて逃げ出したり。
それを乗り越えるというのかはわからないけれど。
ある人は、
人生に乗り越えられないことなんかない、と言っていた。
それも一理あると思う、そういう意味で。
時間が解決してくれることもあるだろう。
でも例えば、
病気や事故で自分の大切な人の命が奪われたり。
乱暴されて中絶して妊娠できない体になったり。
家族が突然要介護状態になって徘徊や暴力が激しくどこかに預けたくてもお金がなくて介護疲れしてしまったり。
例えばだけれど、そういう状態になっても、
もちろん死なない人は死なない。
でも、そういう立場の人が自殺したとしても、私は責められない。
その辛さは本人にしかわからない。
痛みの感じ方が、十人十色なのと同じように、
同じ経験でも、感じ方は人それぞれだ。
痛みを強く感じてしまう人だって、
好きで痛いわけじゃない。
メンタルの強さって、もちろん経験積んで耐性がつくこともあるけど、
幼少期にDV受けたりして精神的に歪んでしまったら、
それはハンデだよね。
SOS出せたらとっくに出してるんだろうし。
前者ふたつは、時間とともに少しずつ立ち直ったり受け入れたり、悲しみは消えなくてもだんだん薄くなっていくみたいな、そういうこともあるかもしらんが、
最後のやつは、相手が死なないとずっとこの日常が続くの?みたいな気持ちになるし。
置いて逃げるわけにもいかず。
もう死んで楽になろう…って、そうなるのもわかる。
そういう場合って、死にたいんですってどっかに相談したらどうにかなるもんなのかな?
子育てだって、いつか終わると思ってるからなんとか乗り切れてるけど、
それだって産後は気が狂いそうだった。
ノイローゼで無理心中したくなる気持ちは、正直わかる。
普通に親も旦那も健在でもこんな気持ちになるのだから、
ひとりで誰も頼りがない母親の気持ちなんて想像を絶するわ。
何が言いたいかよくわからなくなってきたけど…
もちろん何かを乗り越えて弱さを克服した人もたくさんいるんだけれど。
でも乗り越えるってひとりじゃできないと思うんだよ。
そばにいる人とかだけじゃなくて、
例えば通りすがりの人のちょっとした気遣いが身に染みたとか。
テレビを見て笑ったとか。
仕事したら気がまぎれたとか。
時間が解決する、っていうけれど、
その解決してくれる時間の間には必ず人が関わってると思うんだよね。
完全に引きこもりで誰とも会話せずに何かを乗り越えるなんて不可能だと思うの。
自殺するかしないかってそういう意味で紙一重だと思うから。
誰かの生きる希望になるなんて、
そんな大袈裟なことはできないけれど。
死にたいと、思ってしまうひとの弱さを、
そんなの甘えだとか、切り捨てて考えないで、
ひとの弱さを認めて、
その人の気持ちに少しでも寄り添って考えられるような、
そういう人でありたいと、思いました。
本気ってやつがどの程度かは別として、
あるでしょう、多少なりとも。誰にでも。
もう死んでしまいたいと思うこと。
それくらい辛いこと。
でも、
親や大切な人のことが頭をよぎったり、
単純に死ぬ勇気がなかったり。
まあ、それは本気じゃないと言われればそれまでですけど。
そんなんで結局死ねないまま朝が来て。
ずるずる生きてるうちになんとかなったり。
意外な方向から解決したり。
単純に放り投げて逃げ出したり。
それを乗り越えるというのかはわからないけれど。
ある人は、
人生に乗り越えられないことなんかない、と言っていた。
それも一理あると思う、そういう意味で。
時間が解決してくれることもあるだろう。
でも例えば、
病気や事故で自分の大切な人の命が奪われたり。
乱暴されて中絶して妊娠できない体になったり。
家族が突然要介護状態になって徘徊や暴力が激しくどこかに預けたくてもお金がなくて介護疲れしてしまったり。
例えばだけれど、そういう状態になっても、
もちろん死なない人は死なない。
でも、そういう立場の人が自殺したとしても、私は責められない。
その辛さは本人にしかわからない。
痛みの感じ方が、十人十色なのと同じように、
同じ経験でも、感じ方は人それぞれだ。
痛みを強く感じてしまう人だって、
好きで痛いわけじゃない。
メンタルの強さって、もちろん経験積んで耐性がつくこともあるけど、
幼少期にDV受けたりして精神的に歪んでしまったら、
それはハンデだよね。
SOS出せたらとっくに出してるんだろうし。
前者ふたつは、時間とともに少しずつ立ち直ったり受け入れたり、悲しみは消えなくてもだんだん薄くなっていくみたいな、そういうこともあるかもしらんが、
最後のやつは、相手が死なないとずっとこの日常が続くの?みたいな気持ちになるし。
置いて逃げるわけにもいかず。
もう死んで楽になろう…って、そうなるのもわかる。
そういう場合って、死にたいんですってどっかに相談したらどうにかなるもんなのかな?
子育てだって、いつか終わると思ってるからなんとか乗り切れてるけど、
それだって産後は気が狂いそうだった。
ノイローゼで無理心中したくなる気持ちは、正直わかる。
普通に親も旦那も健在でもこんな気持ちになるのだから、
ひとりで誰も頼りがない母親の気持ちなんて想像を絶するわ。
何が言いたいかよくわからなくなってきたけど…
もちろん何かを乗り越えて弱さを克服した人もたくさんいるんだけれど。
でも乗り越えるってひとりじゃできないと思うんだよ。
そばにいる人とかだけじゃなくて、
例えば通りすがりの人のちょっとした気遣いが身に染みたとか。
テレビを見て笑ったとか。
仕事したら気がまぎれたとか。
時間が解決する、っていうけれど、
その解決してくれる時間の間には必ず人が関わってると思うんだよね。
完全に引きこもりで誰とも会話せずに何かを乗り越えるなんて不可能だと思うの。
自殺するかしないかってそういう意味で紙一重だと思うから。
誰かの生きる希望になるなんて、
そんな大袈裟なことはできないけれど。
死にたいと、思ってしまうひとの弱さを、
そんなの甘えだとか、切り捨てて考えないで、
ひとの弱さを認めて、
その人の気持ちに少しでも寄り添って考えられるような、
そういう人でありたいと、思いました。