十数回の渡独でティルマン・リーメンシュナイダーの追いかけ人になった連れ合いの福田緑が、4冊目にして最終の写真集をこの秋刊行することになりました。現在鋭意製作中です。このコロナ禍、ステイホームがひょっとして彼女の出版発行への追い風になったかもしれません。
今回、全博物館、美術館への写真掲載許可をなんとか無事済ませました。波瀾万丈の涙ぐましい努力の顛末については、いずれどこかで彼女が語るときが来るかもしれません。
さて、あとは推薦文の到着を待つだけでした。ミュンヘンにあるバイエルン国立博物館の博士、マチアス・ヴェニガーさんは大きな仕事を抱えていて、それもようやく終了して、力のこもった長文を届けてくれました。
緑はドイツ語のバールケ先生の力を借りて、なんとかそれを翻訳したところです。
その文章のなかに、とても興味深い箇所がありました。イギリス人のマイケル・バクサンドールのことが書かれていたからです。出版前ですが緑の許可を得て転載してみましょう。この長さでも推薦文の一部です。
●2020年秋出版予定『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家』福田緑、丸善プラネット、「出版に寄せて」マチアス・ヴェニガー〔部分、太字は三津夫〕
…
ドイツでは、彼らの主要な作品が本書にも掲載されているのだが、ティルマン・リーメンシュナイダー、ファイト・シュトース、アダム・クラフト、ペーター・フィッシャーといった巨匠たちの作品をフランケンと位置づけ、ハンス・ムルチャー、イェルク・ジュルリン、シュヴァーベンのミヒェル・エーアハルトとグレゴール・エーアハルト、エラスムス・グラッサーやハンス・ラインベルガーの作品をバイエルンで、またミヒャエル・パッハーの作品をチロル地方で整理しようとしている。一方で、新鮮な、そして先入観のない見解が外国から来ることが多い。ここ数十年間に後期ゴシック時代の彫刻について一番明快に書かれていて面白い本の一つがマイケル・バクサンドール(Michael Baxandall)の著書である。彼はイギリスに住んでいたが、その地では16世紀にほとんどの宗教絵画や彫刻を破壊した。しかし、バクサンドールは、中世ドイツの彫刻家に特に好まれた素材、菩提樹が、どれほど彫刻の姿形、妙技や表現力に影響を及ぼしたのかという疑問を解明しようとしたのだ。
もう一つの現地の伝統と見方にとらわれない目で見て、面白くて興味深い本を出版したのは福田緑氏である。彼女ははるかに遠い、そしてヨーロッパの伝統とは根本的に異なる文化圏からやってきた。彼女の非常に独得な視点は、その多くの自ら撮影した写真に反映されている。その写真への視点はドイツの専門書とは全く異なっているのだ。彼女のリーメンシュナイダー探求は私が勤務するバイエルン国立博物館の貴重な彫刻の一つ、リーメンシュナイダー作の聖マリア・マグダレーナから始まった。聖書によると、このイエスの女弟子は、ある晩餐の際にキリストの足を自らの涙で洗い、髪でその足を拭いて乾かし、高価な香油を塗った女性だと見なされている。さらに伝説によると、聖マグダレーナはその後数十年にわたって荒野に生き、神の恩恵によって彼女の裸身は長い毛髪で覆われたという。そのために1500年代の彫刻家は度々彼女をふさふさした髪の毛で表現した。ティルマン・リーメンシュナイダーもまたこれにならって彼の腕を存分に振るったのである。すでに毛が抜け落ちた胸、膝、足などに始まり、脚の華奢な産毛から豊かにカールして下に伸びる巻き毛まで。福田氏は1999年の8月に、つまり今から21年前、そして制作から500年もの長い年月が経って、この聖マグダレーナを初めて見た。その感動に我知らず涙を流さずにはいられなかったという。
私は、読者の皆さまが、福田氏の写真を満喫し、ドイツ後期ゴシックの彫刻を訪ねて回っている20年間に抱いた彼女の感情の多くに共感してくださることを願っている。
ヴェニガーさんの推薦文は緑には身に余るものでせすが、私にとっての驚きはマイケル・バクサンドールについての言及でした。
緑に同伴した私が興味を持ったのはリーメンシュナイダーだけでなく、同時代の作家たちに対してです。リーメンシュナイダーやファイト・シュトース以外にどんな作家が活躍したのか、どのような作品があるのかということでした。ドイツ中の美術館や博物館に行くたびに、書籍コーナーをしらみつぶしにあたってみるのが常でした。
数年前にベルリンのボーデ博物館で館長のジュリアン・シャプイさんと対面したあと、売店で見つけた本が『DIE KUNST DER BILDSCHNITZER』(彫刻文化、副題がティルマン・リーメンシュナイダーとファイト・シュトースと同時代の作家)でした。400頁を超える大冊で、写真がふんだんに挿入されていて、今まで見たことのないような、私が待望していた本でした。購入したその日からこの本が私たちの中世ドイツ彫刻のバイブルとなったのです。その著者名がマイケル・バクサンドールだったのです。
マイケル・バクサンドールはイギリスの人です。イギリスでは『DIE KUNST DER BILDSCHNITZER』が『The Limewood Sculptors of Renaissance Germany』 (Yale UP, 1980)として出版されていることがわかったのです。バクサンドールは次のような本も書いているようです。
『South German Sculpture 1480-1530 in the Victoria and Albert Museum』 (London: H.M.S.O., 1974)
ウィキペディアにはこんなことも書かれていました。『ルネサンス絵画の社会史』は翻訳もされているので手に取ってみようかと思っています。
■出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイケル・バクサンドール(Michael David Kighley Baxandall, 1933年8月18日 - 2008年8月12日)は、イギリス出身の美術史家。長くヴァールブルク研究所の教授を務め、20世紀後半の欧米の美術史学において中心的な役割を果たした。
●生涯
ウェールズのカーディフで生まれ、ケンブリッジ大学を卒業後、パヴィア大学・ミュンヘン大学で学んだのち、1959年からエルンスト・ゴンブリッチのもとでヴァールブルク研究所の研究員を務めた。その後はスコットランド国立美術館など多くの美術館で実務を積み、ヴィクトリア&アルバート博物館では、建築彫刻部門の学芸員 (Assistant Keeper)を務めている。
この間に『ジョットと雄弁家』(1971年)と『ルネサンス絵画の社会史』(1972年)の2つの著作を発表している。『ジョットと雄弁家』では、14?15世紀イタリアの人文主義者(ウマニスタ)が残した広範な言説分析を通じて、彼らが古代から蘇らせた叙述法・思考様式と、当時の絵画様式とに密接な関係があったと論じている。また『ルネサンス絵画の社会史』では、フラ・アンジェリコやサンドロ・ボッティチェリなどルネサンス期の作品分析に社会史の手法を取り込み、彼らの作品に現れた特徴の形成過程を、芸術家の創造性ではなく、注文主との関係や制作当時の社会状況から説明しようと試みている。
オックスフォード大学美術講座教授などを経て、1981年からヴァールブルク研究所教授に就任した。しかしこの時期からアメリカで研究活動を行うことが増え、主にコーネル大学とカリフォルニア大学バークレー校で教壇に立った。また1991年にはアメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選出されている。
バクサンドールの特徴は、ヴァールブルクの伝統を受け継ぐ圧倒的な博識と関心の広範さにあり、最初期に『ジョットと雄弁家』で見せた言語哲学・西洋古典学の統合から、晩年のティエポロ論や『陰影と啓蒙』における認知科学・現象学を応用した絵画分析にいたるまで、領域横断的な姿勢は生涯を通じて変わらなかった。ロンドンで没した。
今回、全博物館、美術館への写真掲載許可をなんとか無事済ませました。波瀾万丈の涙ぐましい努力の顛末については、いずれどこかで彼女が語るときが来るかもしれません。
さて、あとは推薦文の到着を待つだけでした。ミュンヘンにあるバイエルン国立博物館の博士、マチアス・ヴェニガーさんは大きな仕事を抱えていて、それもようやく終了して、力のこもった長文を届けてくれました。
緑はドイツ語のバールケ先生の力を借りて、なんとかそれを翻訳したところです。
その文章のなかに、とても興味深い箇所がありました。イギリス人のマイケル・バクサンドールのことが書かれていたからです。出版前ですが緑の許可を得て転載してみましょう。この長さでも推薦文の一部です。
●2020年秋出版予定『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家』福田緑、丸善プラネット、「出版に寄せて」マチアス・ヴェニガー〔部分、太字は三津夫〕
…
ドイツでは、彼らの主要な作品が本書にも掲載されているのだが、ティルマン・リーメンシュナイダー、ファイト・シュトース、アダム・クラフト、ペーター・フィッシャーといった巨匠たちの作品をフランケンと位置づけ、ハンス・ムルチャー、イェルク・ジュルリン、シュヴァーベンのミヒェル・エーアハルトとグレゴール・エーアハルト、エラスムス・グラッサーやハンス・ラインベルガーの作品をバイエルンで、またミヒャエル・パッハーの作品をチロル地方で整理しようとしている。一方で、新鮮な、そして先入観のない見解が外国から来ることが多い。ここ数十年間に後期ゴシック時代の彫刻について一番明快に書かれていて面白い本の一つがマイケル・バクサンドール(Michael Baxandall)の著書である。彼はイギリスに住んでいたが、その地では16世紀にほとんどの宗教絵画や彫刻を破壊した。しかし、バクサンドールは、中世ドイツの彫刻家に特に好まれた素材、菩提樹が、どれほど彫刻の姿形、妙技や表現力に影響を及ぼしたのかという疑問を解明しようとしたのだ。
もう一つの現地の伝統と見方にとらわれない目で見て、面白くて興味深い本を出版したのは福田緑氏である。彼女ははるかに遠い、そしてヨーロッパの伝統とは根本的に異なる文化圏からやってきた。彼女の非常に独得な視点は、その多くの自ら撮影した写真に反映されている。その写真への視点はドイツの専門書とは全く異なっているのだ。彼女のリーメンシュナイダー探求は私が勤務するバイエルン国立博物館の貴重な彫刻の一つ、リーメンシュナイダー作の聖マリア・マグダレーナから始まった。聖書によると、このイエスの女弟子は、ある晩餐の際にキリストの足を自らの涙で洗い、髪でその足を拭いて乾かし、高価な香油を塗った女性だと見なされている。さらに伝説によると、聖マグダレーナはその後数十年にわたって荒野に生き、神の恩恵によって彼女の裸身は長い毛髪で覆われたという。そのために1500年代の彫刻家は度々彼女をふさふさした髪の毛で表現した。ティルマン・リーメンシュナイダーもまたこれにならって彼の腕を存分に振るったのである。すでに毛が抜け落ちた胸、膝、足などに始まり、脚の華奢な産毛から豊かにカールして下に伸びる巻き毛まで。福田氏は1999年の8月に、つまり今から21年前、そして制作から500年もの長い年月が経って、この聖マグダレーナを初めて見た。その感動に我知らず涙を流さずにはいられなかったという。
私は、読者の皆さまが、福田氏の写真を満喫し、ドイツ後期ゴシックの彫刻を訪ねて回っている20年間に抱いた彼女の感情の多くに共感してくださることを願っている。
ヴェニガーさんの推薦文は緑には身に余るものでせすが、私にとっての驚きはマイケル・バクサンドールについての言及でした。
緑に同伴した私が興味を持ったのはリーメンシュナイダーだけでなく、同時代の作家たちに対してです。リーメンシュナイダーやファイト・シュトース以外にどんな作家が活躍したのか、どのような作品があるのかということでした。ドイツ中の美術館や博物館に行くたびに、書籍コーナーをしらみつぶしにあたってみるのが常でした。
数年前にベルリンのボーデ博物館で館長のジュリアン・シャプイさんと対面したあと、売店で見つけた本が『DIE KUNST DER BILDSCHNITZER』(彫刻文化、副題がティルマン・リーメンシュナイダーとファイト・シュトースと同時代の作家)でした。400頁を超える大冊で、写真がふんだんに挿入されていて、今まで見たことのないような、私が待望していた本でした。購入したその日からこの本が私たちの中世ドイツ彫刻のバイブルとなったのです。その著者名がマイケル・バクサンドールだったのです。
マイケル・バクサンドールはイギリスの人です。イギリスでは『DIE KUNST DER BILDSCHNITZER』が『The Limewood Sculptors of Renaissance Germany』 (Yale UP, 1980)として出版されていることがわかったのです。バクサンドールは次のような本も書いているようです。
『South German Sculpture 1480-1530 in the Victoria and Albert Museum』 (London: H.M.S.O., 1974)
ウィキペディアにはこんなことも書かれていました。『ルネサンス絵画の社会史』は翻訳もされているので手に取ってみようかと思っています。
■出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイケル・バクサンドール(Michael David Kighley Baxandall, 1933年8月18日 - 2008年8月12日)は、イギリス出身の美術史家。長くヴァールブルク研究所の教授を務め、20世紀後半の欧米の美術史学において中心的な役割を果たした。
●生涯
ウェールズのカーディフで生まれ、ケンブリッジ大学を卒業後、パヴィア大学・ミュンヘン大学で学んだのち、1959年からエルンスト・ゴンブリッチのもとでヴァールブルク研究所の研究員を務めた。その後はスコットランド国立美術館など多くの美術館で実務を積み、ヴィクトリア&アルバート博物館では、建築彫刻部門の学芸員 (Assistant Keeper)を務めている。
この間に『ジョットと雄弁家』(1971年)と『ルネサンス絵画の社会史』(1972年)の2つの著作を発表している。『ジョットと雄弁家』では、14?15世紀イタリアの人文主義者(ウマニスタ)が残した広範な言説分析を通じて、彼らが古代から蘇らせた叙述法・思考様式と、当時の絵画様式とに密接な関係があったと論じている。また『ルネサンス絵画の社会史』では、フラ・アンジェリコやサンドロ・ボッティチェリなどルネサンス期の作品分析に社会史の手法を取り込み、彼らの作品に現れた特徴の形成過程を、芸術家の創造性ではなく、注文主との関係や制作当時の社会状況から説明しようと試みている。
オックスフォード大学美術講座教授などを経て、1981年からヴァールブルク研究所教授に就任した。しかしこの時期からアメリカで研究活動を行うことが増え、主にコーネル大学とカリフォルニア大学バークレー校で教壇に立った。また1991年にはアメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選出されている。
バクサンドールの特徴は、ヴァールブルクの伝統を受け継ぐ圧倒的な博識と関心の広範さにあり、最初期に『ジョットと雄弁家』で見せた言語哲学・西洋古典学の統合から、晩年のティエポロ論や『陰影と啓蒙』における認知科学・現象学を応用した絵画分析にいたるまで、領域横断的な姿勢は生涯を通じて変わらなかった。ロンドンで没した。