半田たつ子さんからご著書『過ぎし日々に向き合う』(私家版)が送られてきました。
なんと497ページという大著です。カラー写真もふんだんに挿入されています。本は次のような構成になっています。
〔目次〕
なぜ過去を問うのか
私の十代の日々
私を育て、支えた人々-彼岸の家族
敗戦前後の日記抄Ⅰ(昭和十九年…十六歳)
敗戦前後の日記抄Ⅱ(昭和二十年…十七歳)
敗戦前後の日記抄Ⅲ(昭和二十一年…十八歳)
敗戦前後の日記抄Ⅳ(昭和二十二年…十九歳)
過ぎし日々
そして「今」、と「これから」
私のアルバムから-大切な人々とともに-
敗戦前夜の学生時代の日記が中核をなす自伝ともいえる本書を、なぜ発行することにしたのか、半田さんは次のように書いています。
「十代の最も多感な時期に、戦争・戦後を体験した私たちの世代が、次々に彼岸に旅立ち、戦争体験を伝えるために働いてきた団体が、解散に追い込まれる今、さあ、私は急がなければならないのだ。自分の記憶の庭に育った小さな花や果実をよみがえらせて、私たちの世代が、生きて感じ、捉えたこと、願ったことを、言葉としてとどめる……それこそが、それのみが、私のできること、しなければならないことと思うからだ。」12頁
私が初めて読んだ膨大な半田さんの日記から受ける印象は、当然予想したことであるのですが、文学少女と軍国少女を兼ね備えたものだということです。文章力の豊かさに圧倒され、他方なぜここまで軍国教育に「洗脳」されたかと思うのです。それにしてもかつての自分をここまで曝すことのできる半田さんの凄さを思わざるを得ません。
次のような日記が並んで登場してきます。
「…日本が、私たちの愛する祖国が、このように愛らしい春の訪れを受けた日、日本の領土としたマレーシャに敵上陸との報道があり、私は今こそ起つべきであるとひしひしと感じた。元寇以来の国難、勝つ勝つ、断じて勝つ。」(昭和19年2月5日)
「昨日発表された海軍の神風特別攻撃隊の記事を読んで、疲れたなんのとふくれっ面をしていたのが恥ずかしくなった。小我を没して悠久の大義に生きることのうるわしさ。その名も床しい敷島隊、この五人の若武者は肉弾もって敵空母に作裂し、皇国存亡を期しての比島沖海戦を勝利に導かれた。身をもって皇国を救い、帝国海軍の伝統をここに示された。
ああ、この肉弾なくして、どうしてあの大戦果を挙げられたか。この尊い犠牲に、どうしてただ戦果に酔うことができるだろう。この霊をお慰めするために我々は何をなすべきか?」(同年10月29日)
まだしっかり読めないうちに、『過ぎし日々に向き合う』の反響についてまとめられた手紙が半田さんから送られてきました。かなり好意的に賞賛する手紙が多かったなかで、手厳しい批判も取り上げられていました。
ご著書を読み進めているうちに、それをもとにした講演会のお知らせが朝日新聞に掲載されていました。当日は残念ながらうかがうことはできませんでしたが。
■(東京)戦中戦後の日記もとに講演(朝日新聞、2017年8月4日)
◆家庭科男女共修に尽力 半田さん
◇「私は自らを軍国少女に仕立てていった」
家庭科の男女共修に尽力した調布市の半田たつ子さん(89)が、戦中戦後の自らの日記を編集した近刊「過ぎし日々に向き合う」をもとに5日、市内で講演する。「私は教えられた通りに自らを軍国少女に仕立てていった。安易に流されず、染まらず、自分の根を育ててほしい」。半田さんは講演で、こんなメッセージを伝えるつもりだ。
半田さんは故市川房枝さんらが発起人となって1974年に結成した教師や市民のグループ「家庭科の男女共修をすすめる会」の元世話人の一人。会報発行や署名集めなど20年に及んだ運動は、93年度に中学、94年度に高校で男子も家庭科が必修となって結実した。96年には、教育で活躍した女性に贈られるエイボン教育賞を受けた。
同世代が次々亡くなるなかで「価値観をひっくり返された中で生き、暮らしてきた私たちはきちんと発言してこなかったように思う」と、自身の16~19歳の日記の自費出版を決めた。
「元寇(げんこう)以来の国難、勝つ勝つ、断じて勝つ」(44年2月、16歳)、「大将の号令の下に突進して行こう」(45年4月、17歳)。敗戦前、手製のノートにしたためた日記には、こんな記述が目立つ。一方、終戦の翌年には「一年前の今日とは何と隔たりが全てのものに見られることだろう。生のよろこびをひしひしと感じさせられる」と記した。
本の中で半田さんは「これほどまでの負け戦でどうして為政者を信頼できたのかと驚くよりあきれる」と振り返る。戦後、教師となった半田さんは「ウソをつかない」と誓い、教科書であっても納得できなければ無批判には教えなかったという。
今年4月に出版した497ページの大著は知人らに贈り、地元図書館への寄贈も検討している。
講演は調布市上石原3丁目の市西部公民館で午後2時から。無料。先着80人。申し込みは同館(042・484・2531)へ。 (青木美希)
ところで、半田さんの自伝から私たちが読み取らなければならないのは、教育といったものの重みだと思います。…こんなことを考えているとき、戦前の軍国主義教育とはなんだったのかを理解することができる、興味深いフィルムが見つかりました。私の友人塚越敏雄さんが十数年前に6年生の授業に活用したものだそうです。彼が台本を見つけ出して字幕を付けてくれました。ユーチューブにアップしてくれましたのでご覧ください。
●「戦ふ少国民」
【歴史映像】戦争推進教育映画「戦ふ少国民」 昭和19年、電通制作
説明 太平洋戦争中、横浜の西前国民学校で取り組んでいた教育の実態。「立派」な兵士となり、国のために命をささげることが尊いことと教えられたことがわかる貴重な映像。
https://youtu.be/ucbdkc3o8z4
なんと497ページという大著です。カラー写真もふんだんに挿入されています。本は次のような構成になっています。
〔目次〕
なぜ過去を問うのか
私の十代の日々
私を育て、支えた人々-彼岸の家族
敗戦前後の日記抄Ⅰ(昭和十九年…十六歳)
敗戦前後の日記抄Ⅱ(昭和二十年…十七歳)
敗戦前後の日記抄Ⅲ(昭和二十一年…十八歳)
敗戦前後の日記抄Ⅳ(昭和二十二年…十九歳)
過ぎし日々
そして「今」、と「これから」
私のアルバムから-大切な人々とともに-
敗戦前夜の学生時代の日記が中核をなす自伝ともいえる本書を、なぜ発行することにしたのか、半田さんは次のように書いています。
「十代の最も多感な時期に、戦争・戦後を体験した私たちの世代が、次々に彼岸に旅立ち、戦争体験を伝えるために働いてきた団体が、解散に追い込まれる今、さあ、私は急がなければならないのだ。自分の記憶の庭に育った小さな花や果実をよみがえらせて、私たちの世代が、生きて感じ、捉えたこと、願ったことを、言葉としてとどめる……それこそが、それのみが、私のできること、しなければならないことと思うからだ。」12頁
私が初めて読んだ膨大な半田さんの日記から受ける印象は、当然予想したことであるのですが、文学少女と軍国少女を兼ね備えたものだということです。文章力の豊かさに圧倒され、他方なぜここまで軍国教育に「洗脳」されたかと思うのです。それにしてもかつての自分をここまで曝すことのできる半田さんの凄さを思わざるを得ません。
次のような日記が並んで登場してきます。
「…日本が、私たちの愛する祖国が、このように愛らしい春の訪れを受けた日、日本の領土としたマレーシャに敵上陸との報道があり、私は今こそ起つべきであるとひしひしと感じた。元寇以来の国難、勝つ勝つ、断じて勝つ。」(昭和19年2月5日)
「昨日発表された海軍の神風特別攻撃隊の記事を読んで、疲れたなんのとふくれっ面をしていたのが恥ずかしくなった。小我を没して悠久の大義に生きることのうるわしさ。その名も床しい敷島隊、この五人の若武者は肉弾もって敵空母に作裂し、皇国存亡を期しての比島沖海戦を勝利に導かれた。身をもって皇国を救い、帝国海軍の伝統をここに示された。
ああ、この肉弾なくして、どうしてあの大戦果を挙げられたか。この尊い犠牲に、どうしてただ戦果に酔うことができるだろう。この霊をお慰めするために我々は何をなすべきか?」(同年10月29日)
まだしっかり読めないうちに、『過ぎし日々に向き合う』の反響についてまとめられた手紙が半田さんから送られてきました。かなり好意的に賞賛する手紙が多かったなかで、手厳しい批判も取り上げられていました。
ご著書を読み進めているうちに、それをもとにした講演会のお知らせが朝日新聞に掲載されていました。当日は残念ながらうかがうことはできませんでしたが。
■(東京)戦中戦後の日記もとに講演(朝日新聞、2017年8月4日)
◆家庭科男女共修に尽力 半田さん
◇「私は自らを軍国少女に仕立てていった」
家庭科の男女共修に尽力した調布市の半田たつ子さん(89)が、戦中戦後の自らの日記を編集した近刊「過ぎし日々に向き合う」をもとに5日、市内で講演する。「私は教えられた通りに自らを軍国少女に仕立てていった。安易に流されず、染まらず、自分の根を育ててほしい」。半田さんは講演で、こんなメッセージを伝えるつもりだ。
半田さんは故市川房枝さんらが発起人となって1974年に結成した教師や市民のグループ「家庭科の男女共修をすすめる会」の元世話人の一人。会報発行や署名集めなど20年に及んだ運動は、93年度に中学、94年度に高校で男子も家庭科が必修となって結実した。96年には、教育で活躍した女性に贈られるエイボン教育賞を受けた。
同世代が次々亡くなるなかで「価値観をひっくり返された中で生き、暮らしてきた私たちはきちんと発言してこなかったように思う」と、自身の16~19歳の日記の自費出版を決めた。
「元寇(げんこう)以来の国難、勝つ勝つ、断じて勝つ」(44年2月、16歳)、「大将の号令の下に突進して行こう」(45年4月、17歳)。敗戦前、手製のノートにしたためた日記には、こんな記述が目立つ。一方、終戦の翌年には「一年前の今日とは何と隔たりが全てのものに見られることだろう。生のよろこびをひしひしと感じさせられる」と記した。
本の中で半田さんは「これほどまでの負け戦でどうして為政者を信頼できたのかと驚くよりあきれる」と振り返る。戦後、教師となった半田さんは「ウソをつかない」と誓い、教科書であっても納得できなければ無批判には教えなかったという。
今年4月に出版した497ページの大著は知人らに贈り、地元図書館への寄贈も検討している。
講演は調布市上石原3丁目の市西部公民館で午後2時から。無料。先着80人。申し込みは同館(042・484・2531)へ。 (青木美希)
ところで、半田さんの自伝から私たちが読み取らなければならないのは、教育といったものの重みだと思います。…こんなことを考えているとき、戦前の軍国主義教育とはなんだったのかを理解することができる、興味深いフィルムが見つかりました。私の友人塚越敏雄さんが十数年前に6年生の授業に活用したものだそうです。彼が台本を見つけ出して字幕を付けてくれました。ユーチューブにアップしてくれましたのでご覧ください。
●「戦ふ少国民」
【歴史映像】戦争推進教育映画「戦ふ少国民」 昭和19年、電通制作
説明 太平洋戦争中、横浜の西前国民学校で取り組んでいた教育の実態。「立派」な兵士となり、国のために命をささげることが尊いことと教えられたことがわかる貴重な映像。
https://youtu.be/ucbdkc3o8z4