後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔154〕「戦前」の今だからこそ、長野・松代大本営地下壕で「戦争」「戦中」を実感すべきだと思うのです。

2017年09月01日 | 旅行記
  清瀬・憲法九条を守る会の数人と、長野方面に夏の1泊2日の小旅行をしました。一昨年の東京多摩の五日市憲法をめぐる旅以来のことでした。
  山梨県の清里の素敵なペンションに宿泊した翌日に一行が向かった先は、長野の無言館と信濃デッサン館でした。メンバーのなかにはすでに訪れた人も多く、私たち夫婦も二回目の訪問でした。
  数年前に訪れたときより、無言館の分館も信濃デッサン館も整備されて実にきれいになっていました。戦争とは何かを、静かに考える美術館として訪れることをお勧めします。

■無言館(ウィキペディア)
 第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて作られた美術館で、美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。館主は窪島誠一郎。自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を蒐集した。
■信濃デッサン館(ウィキペディア)
 1979年(昭和54年)に窪島誠一郎によって設立された。村山槐多、関根正二、野田英夫、戸張孤雁、靉光、松本俊介ら若くして亡くなった夭折の画家たちの作品が展示されている。村山槐多の代表作尿する裸僧(1915年)などが展示されている。2012年2月「信濃デッサン館」内に立原道造記念展示室を新設。


  さて今回の旅の最大の目的は松代大本営地下壕の見学でした。こちらにもすでに訪れた人はいましたが、我ら夫婦は初めてでした。
  とりあえず、松代大本営の概略を知っていただきましょう。

■松代象山地下壕について(長野市HPより)
 松代大本営地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。
 ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。
 第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。
 この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
 なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、様々な見解があります。
 松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています。
・入壕料は無料となっており、午前9時から午後4時までの間、見学可能です。(午後3時半までに入壕していただくようお願いします。)予約の連絡は不要です。
・休業日について…毎月第3火曜日及び年末年始(12月29日から1月3日まで)


  今回は事前に、NPO法人 松代大本営平和祈念館にガイドさんをお願いしました。北原高子さんです。ネット検索で知ったのですが、元高校教師をしていた方で、会の事務局長で、話は実にお上手でした。
 象山地下壕では約一時間半にわたって分厚いパネルを持ちながら、松代大本営建設の目的、なぜ松代が選ばれたのか、どんな計画だったのか、などについての実証的な説得力ある話をしてくれました。さらに、労働者の様子について克明に語ってくれました。
 9ヶ月の間に約10キロに及ぶ壕を7000人の朝鮮人を中心に掘り進め、日本人を含めると約1万人が働いたといわれているようです。そして、8割方完成して敗戦を迎えたということでした。
 公開されているのは約500メートルの壕です。湿気があって長時間いると滅入ってきそうな地下空間(実際に気分が悪くなったのですが)にあって、危険をかえりみず工事にかり出された労働者を思うと、何ともいえない感慨が胸に去来しました。
  松代大本営についてのガイドブックを購入しました。入門書としては恰好のものです。

●『フィールドワーク松代大本営』松代大本営の保存をすすめる会編、平和文化
・内容(アマゾンより)
 本書は、松代大本営をフィールドワークする中・高校生、そして大学生や市民のみなさんのガイドブックとして編集しました。松代大本営のガイドはもちろん、長野県、特に松代の歴史・自然・風土、さらに周辺の史跡についても解説しました。
・アジア太平洋戦争期の国内戦争遺跡の中でも超一級の史跡といわれている長野県松代大本営地下壕群をフィールドワークするためのガイドブック。大本営のガイドはもちろん、松代の歴史・自然・風土なども解説。


  さらに北原さんは、天皇御座所予定地だった舞鶴山を車で案内してくれました。平屋3棟が外から見ることができました。住居は天皇・皇后・宮内省の順に低くなっていっていました。屋根は1メートル、壁は40センチのコンクリートで覆われているそうです。
  そして、朝鮮人労働者、崔小岩(チョ・ソアム)さんのことを語ってくれました。ほとんどただひとりの貴重な彼の証言は『松代大本営と崔小岩』(松代大本営の保存をすすめる会編、平和文化)にまとめられています。早速アマゾンで手に入れました。

●『松代大本営と崔小岩』(松代大本営の保存をすすめる会編、平和文化、1991年)
 去る1991年3月17日、崔小岩さんが急逝された。崔さんは、15年戦争のさなか、16歳で朝鮮から日本に渡った。全国各地の土木工事にたずさわったのち1944年、松代大本営工事の作業員となった人である。崔さんは、天皇制の延命を図った大工事、朝鮮人強制労働によって遂行された大工事、それをつぶさに見、戦後、松代町に住んで語り続ける唯一の証人であった。(「刊行にあたって」から)


  最後に、崔小岩さんのお墓を案内してくれました。そこは、天皇御座所予定地のすぐ近くの清水寺(せいすいじ)でした。
 なんということでしょう、このお寺は私が訪問を待ち焦がれていたところでした。お寺に何回か連絡を取ったのですがかなわなかったところです。実は長野県でも1,2を競う仏像の宝庫だったのです。
 このお寺の一角に崔さんのお墓があり、さらに、大本営造営で犠牲になった人々を弔う平和観音があるのです。
  平和観音や墓石に手を合わせ、ここで北原さんや仲間と別れることになりました。

  実はこの日、小布施のホテルに泊まり、翌日は北斎館・高井鴻山記念館・岩松院巡りでした。その前に、若穂保科の清水寺(こちらも、せいすいじ)を訪ねることができました。やはり仏像の宝庫で、仏像ファン必見の中央仏が揃っているのです。長野県で重要文化財の仏象を一番多く保有している牛伏寺(ごふくじ)は残念ながら拝観できませんでしたが、次回を期しています。
 つでながら、上田市には古刹が目白押しです。前山寺・北向観音・常楽寺・安楽寺(国宝の八角三重塔)など、見所いっぱいです。


●高井鴻山記念館(信州小布施観光情報)
・小布施町大字小布施805-1
・開館時間 9:00~17:00(7、8月は~18:00) 元旦 10:00~15:00
・休館日 12月31日
・入館料 大人300円、高校生150円、中学生以下無料
・電話 026-247-4049
*豪商でありながら画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった高井鴻山に関する資料が集積・展示されています。おびただしい数の作品もさることながら、当時の面影を色濃く残す建物群が訪れる人の心を揺さぶります。北斎の面影と彼を慕った鴻山の想いが感じられ、それはガイドブックや書籍では絶対に伝えることのできない“当時を生きた人の残り香”と言えるでしょう。

●北斎館
・長野県上高井郡小布施町小布施大字小布施485
・026?247?5206 12/31休館 入館料1,000円
・9:00-17:00(11/4-4/30)9:00-18:00(5/1-8/31)9:00-17:30(9/1-11/3)
*葛飾北斎の作品はもちろん、さまざまな角度から日本絵画を紹介する企画展を常時開催しています。
 北斎の作品は、70年間の画家活動で、約3万点にも及び、版画や浮世絵、肉筆画など作風もさまざま。また生涯で30回におよぶ改名があり、春朗(しゅんろう)・宗理(そうり)・北斎(ほくさい)・戴斗(たいと)・為一(いいつ)・画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)などが代表的です。後期には書名に雅号と一緒に年齢が書き込まれていますので、雅号と作風と年齢を気に留めながら鑑賞すると、さらに楽しみが広がります。
 北斎館第4展示室には、北斎が小布施に滞在中に描いた祭屋台の天井画が収蔵展示されています。

●岩松院
・長野県上高井郡小布施町雁田615  026-247-5504 法要、行事により休みあり
・9:00-17:00(4月-10月)
・9:00-16:30(11月)
・9:30-16:00(12月-3月)
*小布施で540年以上の歴史を今に紡ぐ「岩松院」は、戦国武将の福島正則や俳人の小林一茶とも深いご縁のある古寺です。そしてなにより有名なのは葛飾北斎が描いた本堂の大間天井図「八方睨み鳳凰図」です。本堂の中では、どの位置から見ても鳳凰の目がこちらをにらんでいるように見えることから「八方睨み鳳凰図」と呼ばれています。

●すみだ北斎美術館(HPより)→こちらもついでに掲載しておきます。まだ行ってないのです。
 世界的な画家として評価の高い葛飾北斎は、宝暦10年(1760年)に本所割下水付近(現在の墨田区亀沢付近)で生まれ、90年の生涯のほとんどを墨田区内で過ごしながら、優れた作品を数多く残しました。
 この美術館では、北斎及び門人の作品を紹介するほか、北斎と「すみだ」との関わりなどについて皆様にわかりやすく伝えていくため、展覧会をはじめ様々な普及事業を行います。そして、これらの事業活動を通じて国内外に向けて情報を発信し、北斎と「すみだ」の魅力をより一層高めていきます。

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