逆順でたどる平安京の天皇たち
桓武天皇
さて、いよいよ古代の王者桓武天皇に向かってあと、15名あまりだ。筆者は、平安中期の藤原摂関家の時代に皮肉にも天皇制のゆるぎない秩序が確立されたと見ている。藤原鎌足を祖とする藤原北家は、天皇に徹底的に使え、皇位は狙わない事で権力の中枢に居続けた。藤原氏が早くに天皇(皇帝)の地位を奪っていれば中国はじめ外国の帝国のように当たり前に、王朝の交代が繰り広げられた事だろう。
藤原鎌足
天皇家に娘を送り込み、天皇の娘方の祖父(外祖父)になることで朝廷を牛耳る手法は、その後天皇自身が上皇として朝廷に君臨する院政を考える事につながり、武士はその最高地位征夷大将軍につくことを目指した。皇位を望む事はない。足利義満や織田信長が皇位を望んだと言われるが、筆者はそう思わない。天皇を神の子孫と信じられていた時代だ。
信長・義満
また、天皇の諡号に後〇〇天皇と言うのが出て来るのがこの頃からだ。初見は68代後一条天皇。何と4代に亘り後〇〇天皇が連続し、その後も多くの後〇〇天皇が続く。歴史上似た境遇の天皇や、その業績に憧れた天皇が自分自身の生前に諡号を希望されるケースも出て来る。奈良時代以前は例がなく、天皇制が安定してきた証拠だろう。
醍醐天皇
後醍醐天皇や後水尾天皇(清和天皇の事)などは、先人に憧れて諡号を生前に決めていた。諡号の根拠で一番多いのは、譲位後の地名や陵墓のあるところからつけるケースが最も多い。嵯峨とか鳥羽など地名が多いのもうなずける。弘文天皇や崇道天皇のように怨霊を恐れて明治以降追号しているケースもある。御存じのように明治以降は、元号と諡号は一致することになった。今上陛下は恐れ多いが、亡くなったら平成天皇とお呼びする。当然ながら存命中は、陛下で良い。無論、日本に存命中の陛下は一人しかいないからだ。
- 昭和天皇(第124代): 87歳8か月(89歳)
- 今上天皇(第125代): 84歳5か月 (86歳)
- 後水尾天皇(第108代): 84歳2か月(85歳)
- 陽成天皇(第57代): 80歳9か月(82歳)
- 霊元天皇(第112代): 78歳2か月(79歳)
- 白河天皇(第72代): 76歳(77歳)