逆順でたどる平安京の天皇たち
61代 朱雀天皇 偉大なる天皇に挟まれ存在の薄い天皇
元号 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
醍醐陵 |
父親 |
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母親 |
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女御 |
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子女 |
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皇居 |
醍醐・村上時代と言うが、間に朱雀天皇がいらっしゃる。残念ながら存在感は薄い。まず、菅原道真の怨霊を一番心配する時期に育ったために、幾重もの几帳の中で全く外に出ずに育てられた。まさに「温室育ち」であった。事実病弱で、女御もそばに入れず皇女も皇子も誕生の期待は薄かった。
醍醐・村上時代は置かなかった摂政を置き政治を任せた。藤原家は忠平の時代で結果として朝廷との蜜月関係を構築した。
さらに、まさに在位中承平・天慶の乱と重なりその鎮圧に忙殺される。世が乱れるのは「天子の徳の無さ」と考えられる時代である。朱雀天皇自身が早世していることもあり、政治的にも文化的にも功績は残っていない。
母の生命力に救われる。
因みに、母の藤原穏氏は、皇太子であった保明親王を生むが早世してしまい、孫もすぐに亡くなってしまった。
しかしその後38歳で朱雀天皇を生み、41歳で村上天皇を生んだ。2代に亘り国母を勤め70歳まで生きた。母の生命力が皇統の維持に貢献したのだった。