アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

375 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 64代 円融天皇 政争の具(世継ぎの誕生で決まる)

2018-06-04 09:16:54 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

64代円融天皇

「円融天皇」の画像検索結果

村上天皇の皇子で、冷泉天皇の同母弟である。禅譲とは言え兄弟やいとこへの皇位継承は穏やかではない。

第64代天皇

在位期間
969年11月5日 - 984年9月24日

元号

安和天禄天延貞元天元永観

先代

冷泉天皇

次代

花山天皇


誕生

959年4月12日

崩御

991年3月1日  円融寺

陵所

後村上陵

守平

別称

金剛法(法名) 朱雀院上皇

父親

村上天皇

母親

藤原安子

中宮

藤原媓子  藤原遵子

女御

藤原詮子  尊子内親王

子女

一条天皇

 

円融天皇も御多分にもれず藤原摂関家に翻弄された人生であった。3名の皇后・中宮を見れば歴然だ。まず、藤原こう(女偏に皇)子は、兼通の娘。次が詮子で兼家の娘。兼家と兼通は兄弟でありライバルであった。そして3人目は、頼忠の娘で遵子、同じ藤原家だが政敵の関係である。義理の父がすべて政治上の敵であることで、円融天皇の立ち位置が分かる。詳しくは書かないが、頼忠→兼通→兼家の順番に権勢が移動する。最初のこう子に皇子が誕生していれば若しかしたら兼通の血脈で次期天皇が生まれたかもしれなかった。円融天皇は平等にまじめに?勤めたが、しかし皇子は詮子にのみ産まれている。後の一条天皇である。結果、花山天皇を挟んで一条天皇になり、兼家の息子3兄弟の時代へと続く。

「子作り 方法」の画像検索結果意味はありません


この時期、政治手腕や勉学努力より高貴な血筋が重視された。国家を安定的に運営するためには高貴な者だけの狭い世界で結婚を繰り返した。いとこ同士の結婚は当たり前に行われているし稀ではあるが異母兄妹の結婚もあったらしい。とにかく自分の子に高貴な相手と子を成すかどうかが最大のポイントとなるのである。

受胎祈願のお寺や安産を願う神社など、ほとんどこの時期の創設である。

「染殿地蔵」の画像検索結果染殿地蔵「敷地神社」の画像検索結果わら天神(敷地神社)

花山天皇への譲位後、比較的自由な上皇の身で、詩歌管絃の遊楽や石清水八幡宮石山寺南都諸寺への御幸を行った。また、一条天皇実現後は、幼帝を指導して院政の意図があったともいわれるが、すでに時代は藤原全盛期を迎えつつあった。

「円融寺」の画像検索結果

晩年過ごした円融寺で崩御し、諡号はその寺名に因む。

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