逆順でたどる平安京の天皇たち
52代 嵯峨天皇 ① 皇室発展の為、盛んな生殖活動
元号 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
嵯峨山上陵 |
諱 |
神野 |
父親 |
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母親 |
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皇后 |
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子女 |
仁明天皇 他多数 |
皇居 |
・はお相手 。は子
- 皇后:橘嘉智子(檀林皇后)(786-850) - 橘清友女
- 正良親王(仁明天皇)(810-850)正子内親王(810-879) - 淳和天皇皇后秀良親王(817-895)秀子内親王(?-850)俊子内親王(?-826)芳子内親王(?-836)繁子内親王(?-865)
- 妃:高津内親王(?-841) - 桓武天皇皇女
- 妃:多治比高子(787-825) - 多治比氏守女
- 夫人:藤原緒夏(?-855) - 藤原内麻呂女
- 女御:百済王慶命(?-849) - 百済王教俊女
- 女御:百済王貴命(?-851) - 百済王俊哲女
- 女御:大原浄子(?-841) - 大原家継女
- 更衣:飯高宅刀自 - 飯高岳足女
- 更衣:秋篠高子(または康子・京子) - 秋篠安人女?
- 源清(?-?)
- 更衣:山田近子
- 宮人:交野女王 - 山口王女
- 宮人:高階河子 - 高階浄階女
- 宗子内親王(?-854)
- 宮人:広井氏 - 広井弟名女
- 源信(810-868)
- 宮人:布勢武蔵子
- 源貞姫(810-880)源端姫(?-876)
- 宮人:上毛野氏
- 源弘(812-863)
- 宮人:安倍氏 - 安倍楊津女
- 源寛(813-876)
- 宮人:笠継子- 笠縫[3]または笠仲守[4]女
- 源生(821-872)
- 宮人:粟田氏
- 源安(822-853)
- 宮人:大原全子 - 大原真室女
- 宮人:紀氏
- 源更姫
- 宮人:内蔵影子 - 内蔵高守女?
- 源神姫 源容姫 源吾姫
- 宮人:甘南備氏
- 源声姫
- 宮人:文室文子 - 文室久賀麻呂女
- 宮人:田中氏
- 源澄(?-?)
- 宮人:惟良氏
- 源勝(?-886)
- 宮人:大中臣岑子 - のち藤原有統の妾
- 宮人:橘春子
- 宮人:長岡氏 - 長岡岡成女
- 女嬬:当麻氏 - 当麻治田麻呂女
- 掌侍:菅原閑子
- 生母不明
- 源継 源年姫(?-874)源良姫(?-884)
桓武天皇の第2皇子である嵯峨天皇の即位は、兄の平城天皇の「薬子の変」を抜きには考えられない。次回以降詳しく書くが、歴史は当然ながら勝者の記録だ。従って、藤原薬子が勝利していれば奈良の平城へ還都となったはずだ。古の都奈良を脱出して山城に遷都を企てた桓武上皇の暴挙を平城上皇が阻止した。と、なったかも知れない。まだまだ平安京が永続的な都と認知されるまでの話なのだ。
従って嵯峨天皇は、皇室の安定的継承と発展の為、生殖にいそしんだ。上記にウキベディアから全親王・全皇女を書き写した。残念ながら全部の子供を書いているとは思えないし、記録に残っていても皇女については誕生日の記録すら残っていない。ほぼ男性は全員源氏を名乗ることになる。
その様に名のある皇子の誕生を調べると、21歳から43歳まで間断なく子をなしている。名のあるお相手の女性が32名である。56歳に崩御するまで頑張った。