子子子子子子子子子子子子
御存じのこの言葉遊びは、「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁であると伝えられている。
これは、「無悪善」と書いた立て札が内裏に立てられた時、嵯峨天皇が篁に読み方を尋ねたところ「さが(悪)なくてよからん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」と読んだ。書いた犯人は篁自身と思った天皇は、自分は何でも読めるのだと弁明する篁にこれを示したという。しかし篁が即意味通り読んだため、天皇の怒りが解けたという。
その小野篁。嵯峨天皇とは16歳年下の篁は、小野小町や小野東風などに繋がる小野一族だ。遣唐使への派遣を拒否し隠岐に流されたこともある。
しかし文武両道に優れ嵯峨天皇に認められ都に復帰する。百人一首には、参議篁として以下のような歌が残っている。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟(『百人一首』11番) 隠岐への島流しの時に読んだものか?
篁は反骨の宰相と呼ばれ相当変人だったようだ。昼間は朝廷に仕える参議であるが、夜はあの世で閻魔大王に仕える役人でもあった。
京都東山の六道の辻にあるお寺に、「冥府通いの井戸」が残っている。あの世に行く井戸があるのならあの世から戻る井戸もあるはずと思っていたら、
近年そのお寺の旧境内から新たに「黄泉かえりの井戸」が見つかった。その六道珍皇寺では毎年お盆前には「迎が鐘」を打ってあの世から精霊を呼び戻す。
お盆明けには、大文字送り火で再びあの世に送り出す。近くの寺町の矢田寺では「送り鐘」をついて先祖を送る。京都のかわらぬ風習はここから始まる。
その伝説の小野篁は、実際あの世で閻魔大王の死者への裁きに数々かかわり何人かこの世に戻したらしい。今でもいるならお願いしたいものだ。
その墓は、北区の雲林院という大徳寺塔頭境内にあるが、紫式部の墓と並んでいる。時代も違うし違和感があるが、愛欲におぼれそのみだらな男性関係に怒った閻魔大王を篁がなだめたという故事に因んでいる。
現代なら救わねばならない死人が多すぎで篁も困るだろうに・・・・・。